ⅱ.
久々の投稿です。
いつ以来だ……?
……半月振り?
書類を捌いていたオーディンは、人間領から届いた一通の親書に目を留めた。
シンシアの生まれ故郷であるキルトから届いたそれ。白い紙に押された王の刻印に、息を吐く。
「返事を出さなくてはな……」
ルノーシェの王と直に話がしたい。そこに娘を連れて来て欲しい。要約するとそのような内容だった。
話をすることもシンシアを連れて行くことも別に構わない。アウルレクスでもそのような話になっていた。永住などは絶対にさせないが。
オーディンはふと執務机の上に置いてある水晶を見やった。遠見の術のかかっているそれには、まったりお茶をしているシンシアの姿が浮かんでいる。どうやらエルディアナとフレイが訪ねて来たようだ。
歌姫の力なのか、彼らは誰にも感知されずにあっさりと結界を超えて来る。部屋を度々訪れていることを知っているオーディンだが、人畜無害なので放置していた。シンシアは退屈しているので丁度よいだろう。音は届かないので何の話をしているのかは解らないが、シンシアは何処か嬉しそうだ。
オーディンは少し思案を巡らせると、ペンを手に取った。
* * * * *
夕食後の穏やかな時間。のんびりとくつろいでいたシンシアはオーディンの発した言葉に貌を上げた。
「キルトに参られるのですか?」
「ああ。キルトから親書が届いた。お前も連れて行くから、そのつもりでな」
外出禁止令が発令されてからもうすぐ半月。やっと外に出られる。
真紅の双眸を輝かせ、浮かび上がりそうなシンシアとその周りで踊っている精霊たちの姿を見て、オーディンは彼女を引き寄せた。ちょこんと小柄なシンシアは彼の膝の上に収まる。
彼女から歌姫の話を聞いた日から、精霊たちの姿が目に映るようになった。時折吹き抜ける風に紛れる姿や灯りの焔の周りでくるくると回る影を見るたびに、オーディンは複雑な心情になる。
白い頬を指先で撫でると、くすぐったそうに彼女は目を細める。ふにゃりと頬が緩むのは前と同じくいつものこと。ただ、雪のような肌が仄かに色付く。
うっとりと細められた瞳が紅から黒へと移ろって潤む様に、オーディンは目を細めた。
「……なあ」
「はい」
「何故、俺なんだ?」
彼女はきょとんと首を傾げた。さらりと揺れる漆黒の髪に指を絡めると、絹糸のようなそれは柔らかく零れて落ちていく。
夜の女神の色を持つ、精霊の愛し児。神の血を引き、不可能を可能にする圧倒的な力を持つ歌姫。彼女が歌えば、大地は潤い、豊穣がもたらされる。
彼女の存在を知れば、数多の王が彼女を欲するだろう。人ならざるこの稀有なる美貌だけでも、寵姫として傍らに置きたいと望む者は多いだろう。
一方のオーディンは、シンシアのことを小さくて可愛らしい猫だと思うことはあっても、彼女を女として見たことはない。ユリアのように妹が増えたというような気分だった。
それは彼女が歌姫だと知った今でも変わらない。
「……何故、と仰られましても」
澄んだ漆黒の双眸が彼の姿を映す。ぱちぱちと何度か瞬き――――
「……何故?」
「俺に聞くな」
シンシアは肩を竦めた。その際にオーディンの貌の前にあった漆黒の髪が頬をくすぐる。
「恋に理由などあるのでしょうか?」
澄んだ声で彼女は呟いた。室内を自由に揺蕩っていた精霊たちがくすくすと笑い声を漏らす。
「始まりの女神――――私たちの始祖である彼女はある人間の男に恋をしました。けれども、彼女は最初からからのことを愛していた訳ではありません。むしろ、彼に対して警戒を抱いていました」
戦乱に満ちる世界。狂気と混沌の支配するその中に降り立った女神は初め、初めて見た人間の男に眉を顰めた。
血に塗れた衣装を纏い、狂気染みた瞳で女神を見ていた彼。手にする剣は幾人を屠ったのか、鋭い煌きは欠けて曇ってしまっていた。
「彼女は問いました。何故、戦うのかと。すると彼は返しました。己が安寧のためだと」
『人間と魔族の戦いなんざ、俺は知らない。剣を取らなければ、家族がやられる。護るために戦う。ただそれだけだ』
彼の生まれ故郷はカイルの山の程近くにあった。人間と魔王の戦場に程近いその村は戦乱に巻き込まれ、彼もまた生きるため、家族を護るため、剣を揮っていた。
ならばと、女神は戦を停めるため、彼に力を貸すことにしたのだ。
「彼女は彼を通して世界を見ました。戦で荒れた土地、血によって澱んだ風、屍の浮かぶ水……そのような過酷な状況で、けれども人も魔族も懸命に生きていました。今は争いが起こってはいても、いつの日にか平穏が訪れると希望を持って」
慈しみを湛えて、漆黒の双眸が細められる。懐古の光の宿し、シンシアはオーディンを見上げた。
「カイルの戦いの後、歌姫狩りと言う哀しいことが起こっても私たちが貴方方を愛することができたのは、貴方方が希望を忘れないから。貴方方が幾度となく立ち上がろうとするから、手を差し伸べたいと思った」
シンシアはオーディンに華奢な四肢を委ねた。淡い花の香が彼の鼻腔をくすぐる。
「私を見て、想いを寄せて下さった方はいました。けれども、本当の意味で私を見て下さった方はいらっしゃられなかった」
彼女の容姿に惹かれて恋に落ちた者がいた。彼女の能力に魅入られて愛を囁いた者がいた。
けれども、彼女の心を震わせる者は現れなかった。
「貴方が初めてでした。傍にいたい。私のことを知って欲しい。歌を捧げたい――――そう、想ったのは」
貴方が私をただの飼い猫だと思っているのならば、それでも構わない。私は貴方を癒す歌姫でありたい。愛を歌いたい。芽生えた気持ちは熱を孕んで揺らぎながら膨らんでいった。
「それが、私の気付いた恋です」
穏やかに微笑む少女の姿に、オーディンはふと若きアウルレクス王の姿を思い浮かべた。彼女を求めていた彼は、彼女の何を見て、何を想っていたのだろう。
ほんの気紛れで拾った人間の少女。何となく猫が飼いたくなって眷属にした少女は、気が付いたら傍にいることが当たり前になっていた。まだ5月かそこらしか経っていないというのに。
心の中に落とされた歌は、確かに彼に安らぎを与えていた。彼女が攫われて、いなくなるかもしれないということに、底知れない苛立ちを感じた。
そこまで考えて、オーディンは苦笑した。ここまで真っ直ぐな想いを彼女から受けて、初めて思い知った。
どうやら自分も、シンシアと言う存在に囚われているらしい。と。
男性の心情描写って難しい……




