ⅲ.
*04/14 改行入れてみました。
王都の一角の喫茶店。そのオープンテラス。
アウルレクス王エレクシヤは、時計を見ては辺りを見渡し、時たま紅茶に口を付けては再び時計に視線を落とす、ということを繰り返していた。事情を知っていて様子を窺っている近隣住民やその他大勢からしてみれば、先程から落ち着きないことこの上ない。
週に1度、王都に薬を売りに来るシンシアと会う約束を取り付けてあるのだが、時間になっても来ない。紅茶もすっかりと冷めてしまった。
風邪でも引いたのだろうか……薬師の彼女が?
つらつらと考えていると、隣のテーブルに2人の男が座った。傭兵らしき2人は、他愛もない世間話を始めた。
「最近調子はどうだ?」
「実に平和だよ。戦争もないから、あっても商人の護衛ぐらいしか仕事がないし」
隣なので、必然的に話の内容はエレクシヤの耳に届く。することもないので、彼はぼんやりと2人の会話を聞き流した。
男2人は暫く他愛もない話をしていたが、そういえばと片方の男が声を少し低くした。
「この間、雨が降っていただろ。あの時、西の方に向かっていた俺の知り合いが乗っていた乗合馬車が、狼の群れに囲まれたんだと」
「それは災難だったな。そいつは大丈夫なのか?」
「ああ、あいつは大丈夫だ。ただ……」
「ただ?」
男はそこで口籠ると、少し声を潜めた。自然と、エレクシヤは耳を澄ます。
「ただ、な……同じ馬車に乗っていた魔術師の女の子が子どもを助けて川に落ちたってな……雨で濁っている上に流れが速くなっていて……とても助けられなかったそうだ」
一緒に狼から馬車を護ってくれた、黒い髪と目の綺麗な嬢ちゃんだったのにって、悔やんでいたよ。
黒髪黒目。儚げに微笑む少女の姿が、脳裏に浮かぶ。
「シア――――?」
* * * * *
夢と現の狭間を揺蕩う感覚。
覚醒へと向かっていく意識に、シンシアは重たい目蓋を開いた。途端に、見知らぬ天井が視界いっぱいに広がる。
「…………?」
ここはどこなのだろう。ぼんやりとした意識の中、シンシアは億劫に身を起こし、辺りを見渡す。
彼女が横たえられていたのは、大人が優に5人は横になれそうな広い寝台。深い濃紅の天幕が張られ、柱のひとつひとつには繊細な紋様が刻まれている。スプリングの効いた寝台に張られた肌触りの良い白いシーツからは、淡い花の香りがする。
室内は落ち着いた深い紅で統一され、一目で上質だとわかる調度品が品よく並べられていた。
ふと思い立って自身の四肢を見下ろす。脇腹をはじめとして色々と怪我を負っていた筈だが、白い肌は傷一つ見当たらない。少し気怠いだけだ。
泥や血に塗れていた身体は綺麗に清められ、白い薄絹の寝間着に着替えさせられている。
「いきているの……?」
「――――生きていらっしゃられますよ」
不意に響いた声に貌を上げると、紅い髪と碧い双眸の豊満な四肢の女が扉の前に立っていた。
黒い使用人のドレスに白いエプロンを纏った艶やかな女だ。滑らかな肌は白過ぎて血の気が全く感じられない。なのに唇だけが異様に紅く、蠱惑的に微笑む様は見る者を魅了する。
人とは思えない美貌。シンシアもよく精霊かと言われるが、それとはまた違う美しさ。
「……魔族」
「人魚のリムと申しますわ、お嬢様」
彼女はそう微笑むと、黒いドレスの裾を翻し、寝台の傍らに立つ。
「お身体のお加減は如何でしょう? 何処か、痛みますか?」
気遣わしげに貌を覗き込んでくるリムを、シンシアは見つめ返す。
「ここはどこなのでしょう……?」
「ルノーシェの王城、その王の寝室ですわ」
「……は?」
言われたことの意味が解らない。思わず眉を顰めると、紅い髪の女は碧の双眸を細めた。
「お嬢様はルノーシェ領内のクレスク河の河原で倒れていらっしゃられたところを、陛下に拾われたのですわ」
クレスク河は人間領と魔王領を隔てる大河だ。そういえば、自分が落ちた川は下流の方でクレスク河と合流していた。シンシアが思っていたよりも大分流されてしまっていたようだ。
「本当は客室をご用意するつもりだったのですが、ここはルノーシェ――――人間の言うところの魔王領。下手に城内に人間であるお嬢様がいらっしゃったのならば、何が起こるやもしれないと、陛下の命でこちらでお休み頂きました」
確かに、人間と魔族の仲はあまりよくない。弱っている今、何かあっても、今の自分では何の対処も打てないことだろう。
「……ありがとうございます」
「お礼はお嬢様を拾われた陛下に。わたくしはあの方の命に従ったまで」
リムはそう言うと、微笑みを絶やすことなく首を傾げて見せた。
「何か召し上がられますか? と申しましても、お嬢様は7日もお眠りになられていたので、軽いものしかご用意できませんが」
「……そんなに?」
目を見張り、シンシアは再び己の身体を見下ろした。元々あまり肉の付いていない華奢な四肢だが、確かに前よりはやつれてしまっている。はたっと思い立って両腕に嵌めてある銀鎖の腕輪を見ると、ちょっとしたことですぐに手から抜けてしまいそうになっていた。慌てて長さを調節して、落としてしまわないようにする。
「……あの」
「はい」
「……お風呂、入りたい、です……できたらでよいので」
臥せっていたためにまともに湯浴みもできていない。身体を拭いてはくれていたようだが、ゆっくりと湯に浸かりたい。
リムは笑って、快く了承してくれた。
「では、湯浴みをして、お着替えをして。それからお食事に致しましょうか」
湯の準備を致しますので、少々お待ちください。
シンシアはこくりと小さく頷いた。