ⅰ.
ただいまシンシアは絶賛不機嫌であった。
「何かある度に外出禁止令が下りているような気がします……」
ぶつぶつと呟きながら、シンシアは部屋に備え付けれらている茶器を手に取る。
誘拐事件から、シンシアは北の宮から出して貰えなくなった。少し部屋から出ようとしただけでも何処からとなくリムやフラウが駆けつけて来て、酷い時にはユリアやオーディンの手によって連れ戻される。
お陰で研究室のある南の宮にすら行けない。
「それは貴女の警戒が足りないからよ」
自分以外の誰もいない筈の部屋に響く声。シンシアはそれに応えることなく一瞬で湯を沸かすと、茶器を温めた。カップの中の湯を捨てて、ポットに茶葉と湯を入れる。程よく蒸らしてカップに注ぐと、芳しい香りが室内に漂った。
「あ、私砂糖3つ、ミルクもね。フレイは?」
「いえ、お構いなく……」
「フレイは砂糖なしですって」
「…………」
エルディアナの言葉に、シンシアは額に手を添えた。2人の前に茶を湛えたカップを置く。
「王の部屋にまで勝手に入って来て……怒られても知りませんよ」
ちゃっかりと椅子に座っていたエルディアナは肩を竦めた。
「ばれなきゃ平気よ。この私が本気になれば、できないことはないのだから」
あながち嘘でもない言葉に、シンシアは半眼になった。息を吐き、居た堪れなく立っているフレイに椅子を示す。
「貴方も席にどうぞ」
「はあ」
躊躇いがちにフレイの座る様を見て、シンシアも2人の向かいに座る。
「何のご用ですか?」
「暇そうだから見に来てやったのよ。精霊たちが夜姫が暇そうにしてるって噂していたから」
「へー」
気のない返事をして、そう言えばとシンシアは戸棚を漁った。密かにユリアが差し入れてくれた城下の菓子を取り出す。先日シンシアが買い求めて、残念ながら攫われた際に落としてしまったものと同じ店の菓子だ。お忍びらしく秘密だと言われていたため、シンシアは保存のために結界を張って隠していたのだ。
「エルディアナからのお土産と言うことにしておきましょう」
それがいい。そうしよう。
実はオーディンは既に気付いていたりするのだが、精霊たちは彼により口止めをされていたため、彼女に報告をしていない。エルディアナは部屋の隅で息を潜めてシンシアを見つめている精霊たちを一瞥した。
「そう言えば、先日の誘拐の件のことなのだけれど」
「はい」
「貴女、誰からか恨みを買っていない?」
きょとんとシンシアは首を傾げた。茶を口にしたフレイが貌を上げる。
「姫が目覚める前に、男たちに訊いたのです。何故、歌姫のことを知っているのかと。彼らは従者を連れた、派手ではなくともかなり身なりの良い娘より聞いたと申しておりました」
フードを目深く被っていたために顔は知れないが、仕草や着ていた衣装から、恐らく、貴族の令嬢と思われる。彼女は黒髪の歌姫のことを示唆すると、神の力が手に入ると男たちをそそのかしたのだ。
シンシアは一口茶を含み、ほうと息を吐く。
「かもしれませんね」
「かもしれませんねって……なんて呑気な」
呆れ顔のエルディアナに、だってとシンシアは口を尖らせた。
「私は後ろめたいことはありませんもの。何故、何かされるかもしれぬと言って、こそこそと隠れなくてはならないのですか?」
「それで一度攫われた身で何を仰っているのですか」
「もしかして、前の毒殺未遂も同一人物?」
「姫、毒殺されたことがあるのですか!?」
思わず机に手を突いて立ち上がったフレイに、シンシアとエルディアナは慌てて己のカップと菓子を避難させる。机が揺れたが、被害は最小限に留まった。
「申し訳ございません……」
「大丈夫です。それと、毒殺は未遂ですよ。私は生きています」
「はい……」
フレイは椅子に座りなおした。少し茶が零れてしまっていたので、魔法で清めてしまう。
「恐らく、同一人物ではありましょう。なかなか可愛らしいことをして下さっています」
「そうよね。殺す気で来るのなら証拠が残らないようにこっそりきっちりやらないと」
「同感です」
折角のお茶の時間なのに、何だか話が物騒なものに飛んでしまった。シンシアは唸りながら菓子を頬張る。甘くともくど過ぎず、ふんわりと柔らかいそれに、ふにゃりと頬が緩む。フレイは甘いものが苦手らしいが、それでもちゃくちゃくと食べ進めている。また買いに行こう。シンシアはこっそりと心の中で決意した。
和やかな時間が流れていく。
「あ、私、オーディンとお話しました。私は歌姫です、と」
「そう」
エルディアナはほくほくと菓子を口にしかけ――――動きを止める。フレイは危うく茶を吹きかけて咽ていた。シンシアはまったりとそんな彼の背を擦る。
エルディアナは呆然と、眷属の少女を見た。
「はなした? ……あの男に? 全部?」
「はい。打ち明ける、その意味も」
幸せそうに貌を綻ばせるシンシア。仄かに頬を染めて、初恋を打ち明けた乙女のような初心な反応。
まだまだ先のことだと思っていたエルディアナは、長らく妹のように可愛がっていた少女の姿に何も言えない。
代わりにフレイが尋ねた。
「王は御身のことを受け入れられたのですか?」
「いいえ。本当にただ、想いをお伝えしただけです」
オーディンはかなり困ったような顔をしていた。当然だ。今まで飼い猫として飼っていた少女が、女の顔をしたのだから。
想いは告げても、シンシアは今まで通り飼い猫生活を続けるつもりだ。もし彼が想いに応えてくれるならまだしも、そうでないのなら彼にとって煩わしいものでしかない。王の妨げになることだけはしてはいけない。
「何だか……メティス様のようになりそうね」
途端にフレイが渋い顔をする。シンシアは苦笑した。
メティスはシンシアの母の名だ。王を愛したがために、周りの嫉妬を受けて弱って逝った哀れな歌姫。
彼女の場合は王に押されに押されてであったが、どちらにせよ歌姫として一国の王に関わることとなってしまった。そのために、本来の生よりも遥かに早く逝ってしまった。
シンシアは淡く微笑む。
「あの方が私を不要だというのでありましたら、私はアウルレクスの森に戻るつもりです。彼の妨げになりたくはありません」
恐らく、そのまま彼に抱いた想いを胸に、生き続ける。
歌姫は一途な一族だ。生涯でたったひとり者だけを愛し抜く。本当に稀に、数十年に一度他の者と添い遂げる者もいるが、大抵の者は唯一と定めた者程の情熱を抱くことができなくなってしまうのだ。殆どの者が薬師と魔術師として生計を立てて仕舞えるだけに、余計その傾向にある。
「まあ、シアの選ぶ道だものね。うん。おねーちゃんは恋が叶う方に応援する。打ち明けちゃったからには飼い猫だけじゃなく、ちゃんと両想いになれるように頑張りなさい」
「私も。姫の幸せを望みます」
最初は母のこともあり、反対されるかもしれないと思っていた。だからさり気なさを装って打ち明けた。
最初は僅かに戸惑っていたシンシアだが、眷属の2人の激励に花開くように微笑んだ。
「はい! 頑張ります」
焔姫の『アイリス』も『イリス』も同じ『Iris』なのですが、
私の気分的に違う名です。カタカナだからかな?
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
エルは彼女の末裔です。
夜姫(黒髪黒目)と焔姫(金髪翠目)、ぱっと見、全然似てない姉妹だねっ!
って作者のくせして思っちゃいました。




