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月に捧ぐ恋の調べ  作者: 白毬りりま
Ⅴ.絡み合う思惑
38/65

ⅶ.



 その後男たちは皆捕えられ、城へと連行された。調書によると、彼らは何者かにより黒い髪を持つ歌姫の存在を示唆され、街にいたシンシアを攫ったのだという。

 シンシアと共にいた青年フライはエルディアナに引き取られていった。また日を改めて事の話を聞くことになるだろう。

 オーディンは寝台に腰掛けて眠る少女を見下ろした。

 差し込む月光のためか、血の気の全く感じられない青白い肌。寝台に広がる静謐な黒髪。

 先程の彼女はいつもとは違う雰囲気と口調と相まって、人にも魔物でもない、手の届かない存在に思えた。彼女の肌を青白く浮き立たせていた黒いワンピースもその助長していたのだろう。ふと目を離した瞬間に何処かに消えてしまうのではないのか。そのような錯覚を、オーディンは抱いた。

 ふと……彼女の瞼が震えた。暫く窺っていると、のろのろと漆黒の双眸が覗く。

「……オーディン」

 高く澄んだ声に名を呼ばれ、オーディンは微笑した。

「お帰り、シア」

 彼女は困ったように薔薇色の唇を開く。

「……ただ、いま」

 頬を撫でると、彼女はくすぐったそうに小さく笑う。そして何処までも透明な漆黒の双眸で王を見つめた。

「お話を、聴いてはくださいませんか……?」

 たおやかな風情で小首を傾げるシンシアに、オーディンは頷いて見せた。


「昔々の事でございます。人間と魔族の戦が神によって鎮められた後のこと。神はひとりの男に恋をしていました。精霊たちの祝福を受けて2人は結ばれ、やがて3人の姫を儲けます」

 とても有名な昔話だ。ルノーシェでも人間領でも、子どもの寝物語として語られ、ほんの幼子ですら知っている。

「神の胎より生まれ出でた3人の姫君……一の姫である、慈愛と安らぎの夜姫クリスフィア。二の姫である、剣と熱情の焔姫アイリス。三の姫である、豊穣と無垢の花姫リアベル……彼女たちは不思議な力を持っていました」

 神の娘の名に、オーディンは訝しんだ。記憶しているものと彼女の言っている名が違う。

 眉を顰める彼に、シンシアは微苦笑を浮かべた。

「今は夜姫は『クリス』、焔姫は『イリス』、花姫は『ベル』と呼ばれていますものね。違和感を抱くことでしょう」

「ああ」

「仕方がありませんわ――――だって彼女たちの今の名は歴史の中で変えられたものだもの」

 息を呑むオーディンの、宵色の双眸を真っ直ぐに見つめて、シンシアは抑揚のない声で続ける。

「私の名はシンシア・ディーヴァ・クリスフィア。貴方はアウルレクスでこの名を耳にされたと思われます」

「……夜姫と、同じ名前」

 はい。静かに頷くシンシアに、オーディンは吃驚と……何処か納得したような眼差しを向ける。

 彼女の静謐な容姿も、闇のような髪も、瞳も。最初から全て、人ではないような気がして。気のせいかと思えば思うほど、疑問は静かに積もっていた。

 それが今漸く、溶けていく。

「私は、夜姫クリスフィアの末裔なのです」

 彼女は泣きそうな貌でそう口にした。


「私たちは神の姫の血を引く歌姫。私たちの歌う歌には、不可能を可能にする力があります」

 神の眷属である彼女たちは、精霊から――――世界から愛されている。

 彼女の望みは世界によって叶えられ、それは時に山を抉り、海を割り、数多の人の運命すらも歪めてしまう程の力を持つ。

「私が望んだのならば、世界は私の願いを叶えてくれる――――私はそれが怖い」

「……怖い?」

 こくりとシンシアは小さく頷いた。大きな双眸にオーディンの姿が映る。

「歌姫は生涯にただひとり、唯一と定めた者を愛します。生涯をかけて愛し、その命を愛する方に捧ぐ……ただひたすら、純粋に愛を歌うのです」

 無垢な心は、ただひとりを真っ直ぐに見つめる。その者のために生きていく。

 歌姫が誰かを愛するとき、精霊は彼女たちの紡ぐ歌に歓喜し、豊穣を招く。彼女の住まう地域は潤い、彼女が生きている限り幸がもたらされる。

「しかし、その者と引き離され、その方への想いを引き裂かれることがあったのならば」

 彼女は目を伏せた。長い漆黒の睫毛が月明かりで青白い頬の上に影を落とす。

「歌姫は哀しみのあまり嘆きの歌を――――愛する方のいない世界の崩壊を望む歌を、歌うのです」

 世界は無垢な心に応えようと、その願いさえも叶えようとする。

 風は止まり、水は枯れ、土が死んでいく。やがて生命ある者は緩やかに活動を止め、眠るようにしてその生を終える。カイルの戦いで神が歌った時とは逆のことが起こるのだ。

「かつて歌姫狩りとして、王位に就く者、野心ある者が歌姫を攫いました。数多の歌姫が愛する方と引き離され、彼らを愛することを強いられた。愛しい方を愛することができずに凌辱された彼女たちは嘆きの歌を歌いました……」

 そして始まったのは、世界の崩壊だった。

「何も知らぬたくさんの者が、命を落としました。夜眠り、そのまま目覚めなかった者。病を持っていて治療を受けていたのに、治療師が目覚めなかったために亡くなってしまった者。水が枯れてしまったために餓えて逝った者……彼らには、罪などなかった……」

 ぎゅっと白い手が大きな手に縋った。オーディンはその手を握り返す。

「私たちの歌は彼らの命を奪ってしまいました。たくさんの光が消えてしまった……哀しみの満ちる世界の中で、私たちは2度とそのようなことが起こらぬよう、掟を定めした」

 大事が起こらぬ限り、歌姫は歴史の表舞台へは姿を現さない。

 たとえ(かみのちから)を必要とする場であっても、歌姫であることを明かすことは決してならない。

 神の名を引き継ぐ代わりに、彼女たちは幾夜に渡って旋律を紡ぎ、人々の中にある記憶を改竄した。神の娘の名を変え、歌姫と言う存在を人々の中から忘れさせたのだ。

 2度と同じ過ちを犯さぬように歌姫の素質を持つ娘に記憶を継承させ、カイルの戦いや歌姫に関する事件を戒めとしてこの世界に残した。神の娘の名を持つということは、そうして永い記憶を背負う者の証なのだ。

 皆が忘れている中、ひっそりと隠れ里(ルミペトル)で身を寄せ合って暮らし、闘いを治めた神の血を引くことを誇りに思う。

「1300年間、私たちはずっとそのようにして暮らしてきた……」

 1300という数字に、オーディンは引っ掛かりを覚えた。以前森の中の家で彼女が言っていた言葉が脳裏に思い浮かぶ。

『最後にルノーシェの王とアウルレクスの王がなされた会談は、非公式のものであっても、もう1300年程も前になりますもの……』

「その時に、当時のルノーシェの王とアウルレクスの王が非公式に会っていたのか?」

「……覚えていたのですか?」

 シンシアは僅かに目を瞠った。少し明るい声で答える。

「ルノーシェは夜姫の、アウルレクスは焔姫の縁深い国ですので。加護を授ける代わりに、カイルの戦いを少し変えた物語――――貴方方がよく御存じの物語を流布して頂いたのです」

「そうなのか……」

 不意に彼女の美貌に濃い影が差した。高い声が震える。

「私はずっと……何かの拍子に誰かの命を脅かす歌を歌ってしまうのやもしれないと思うと、とても恐ろしかった」

 だって、覚えている(・・・・・)。彼女に受け継がれた2000年にも渡る記憶は魂に刻まれ、時折彼女の思惟に割り込んでくる。

 もう、誰かが哀しむ様を見たくはない(・・・・・・)

 もう、誰かを哀しませたくない(・・・・・・・・)

 いつの日にか、自分も母や祖母、その前の歌姫たちと同じように誰かと恋をして、歌姫をこの身に宿すのだろう。

 その子にこれ以上の哀しみの記憶を背負わせたくはなくて、何時しかシンシアは人と距離を置くようになった。

「エルやお姉様方はそのような私をあまり好く思ってはいないのです」

「考えは人それぞれだ。お前がそう思うのなら、無理をして動くことはない」

 だが何もしないで後々後悔をするような場合が起こったのならば。その時に幾らでも行動を起こすことができるようならば、それでいい。

「今は俺の飼い猫だが、それでもその命はお前のものだ。後悔しない程度に思う存分生きろ」

 シンシアは暫く虚を突かれたような顔をした。彼の言葉をよく噛み砕き……やがて緩やかに貌を綻ばせた。

「はい……!」

 泣き顔にも似た貌で笑う少女を、抱き寄せる。縋り付いてくる華奢なこの身体に、とてもではないが世界を揺るがす程の力があるとは思えない。

 だがオーディンは実際に彼女の歌う様を見た。世界が彼女の歌に震え、彼女の願いを叶えようとする様を。

 怖がるのは無理がないと思う。まだ15、6の少女であるのなら、なおさら。

 漆黒の髪を撫でながら、オーディンは口を開いた。

「やはり、エルディアナも歌姫か」

「私が言ったということは秘密ですよ。歌姫であることは、夫と歌姫(むすめ)にだけ伝えられることなのですから」

 子どものように悪戯っぽく笑うシンシアに、オーディンは目を瞬かせた。今、何と。

「シア、お前……」

 くすくすと、シンシアは密やかに笑みを零した。

「お話を聞いて下さって、ありがとうございます」

 いくらか心が軽くなった。同時に胸の奥で熱い焔が揺らぐ。

「私は王である貴方のもの。これから先、貴方が私に飽きて手放してしまっても、その事実は変わりません」

「シンシア」

「――――おやすみなさい」

 かなり無理やり話を切り上げてシンシアは毛布の中に潜り込んだ。するりと彼の手に幾筋の髪が残る。疲れていたのだろう、程なくして規則正しい寝息が聞こえてくる。

「……正気か?」

 尋ねかけても返事はない。こんもりとした塊があるだけだ。

 手の中の髪を恨めしそうに眺め、オーディンは溜息を吐くと窓の外を見つめた。夜明けには程遠い空。かなり複雑な心境を持て余す。

「猫なんだがな……」

 その認識を少しばかり改める必要があるようだ。

 オーディンは再び深く息を吐くと、彼女の隣に横になった。




シアのことを猫にしか思っていなかったオーディン。

まあ、そのためにひろってきたものですからねぇ……

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