ⅱ.
ピュモの実の果実水はとても甘かった。
「どうですか?」
「とても美味しいです」
シンシアは頬を緩めて薄桃色の液体を口にする。凍らせた果実も入っていて、シンシアはすぐにこれを気に入った。人間領には果実を凍らせたものは王族諸侯ぐらいしか口にする機会がない。
賑わう街は活気付いている。先程の子どもたちのように、皆が笑っていた。
「昔は、ここまでの活気はなかったそうですよ」
独り言のように、アルフが呟いた。シンシアは目を瞬かせて隣に座る青年を見上げる。
「俺も生まれる前なんだけど、今よりもずっと弱肉強食の色が強くて、弱い立場の種族はまともに街を歩くこともできなかったんだって。でも」
「でも……?」
アルフはくすんだ金の双眸を細めて笑った。
「今の陛下になって、随分生き易くなったって。あまり力のない種族でも同じ生きている者だから変わりないって、護ってくれたんです」
獣人は人間よりも強く永い生命力があっても、魔族程ではない。強い魔族同士がほんの少し戦闘を起こすだけで、その余波で亡くなる者もいた。軽視されて奴隷のような扱いを受ける者もいた。だが弱い彼らは顧みられることはなかった。
オーディンはそれを疑問に思った。何故弱いからと顧みられないことなどがあるというのか。
昔程争いがあるわけではない。むしろ平穏に生きてもいい筈だ。弱いのなら護ってやればいい。永く続いていた風習に、オーディンは疑問を投げかけた。
もともと新しいものや珍しいものに惹かれる性格のオーディンに貴族たちは最初、所詮王の気紛れと聞き流した。だが王は夜な夜な国内を飛び回り、民の様子を見て回り――――ある日突然切れた。
「俺も祖父に聞いた話なんですけど、結構酷い扱いを受けている種族とかあって、税を搾り取っていたり領民に低賃金で重労働を強いていた領主は『同じ目に遭ってみるか?』と全ての財を巻き上げられて爵位を剥奪されたそうです。地図にも載っていないような村から攫って来て若い女性を囲っていた者は去勢されて同じ目に遭ったそうです」
「…………」
実はオーディンは凄く怖い人物なのではないのだろうか……? 貌を強張らせるシンシアに、アルフは澄ました貌をした。
「猫姫が凄いんですよ。陛下の傍に平然といて、しかも気に入られている癖に勝手にいなくなるってかなりの強者です。前に陛下の気に入っていた玩具――――基、望んだ物が何でも出てくるっていう壺をうっかり壊したエドワード将軍が逆さ吊りにされてました」
「……オーディンにはできるだけ逆らわないようにします」
シンシアは心に強くそう誓った。
「……魔族と獣人がわかり合うことができたのなら、人間も受け入れて貰えますか?」
「俺は、できると思います」
「そう」
ルノーシェに来る前から、相手を尊重し、認め合うことができれば共にあれると信じてきた。まず己が相手を尊ばなくては、相手は己を受け入れることはないと。そしてそれは母から受け継いだ想いでもあった。
『自分を大切にし、相手も同様に大切になさい。相手も自分と同じように意思を持ち、信念を持っていること……違う者であるのだけれども、それは変わらない。たとえそれが人間であろうと魔族であろうと、生きていることに変わりはないのだから』
いつの日にか貴女は大人になって恋をするでしょう。私たちは世界を慈しむ一方で、ただひとりを一途に愛する者。
もしかしたら相手には見向きもされないかもしれない。もしかしたら相手は先に逝ってしまうかもしれない。
『けれども、忘れないで。どのような仕打ちを受けたとしても、相手を憎んではならない。許せる心を持って。でないと、いつになっても争いはなくならない』
哀しみだけが降り積もるの。哀しげに漆黒の双眸を伏せて、寂しげな微笑を浮かべて。
『生きている者を愛して。世界を慈しんで――――そして貴女は唯一と想えるひとを見つけ、一生をかけて恋をしなさい』
キルトに来たばかりの頃にはただ父から一方的な寵を受けるのみだった母。嫌がらせの数々による心労と毒によって臥せることが多く、見事な黒髪は艶を失ってしまっていた。類稀な美貌は翳り、時折密かにやって来ていたルミペトルの女が何度も郷に戻るように催促をしていた。
けれども母は一度も頷くことはなく、静かな夜にそのまま静かに息を引き取った。嗚咽を漏らして母の遺骸に縋り付く父の姿を、シンシアは涙を流すことなく見つめていた。
だってその死に顔は子ども心にもとても美しかった。とても安らかで、透き通っていて。
母は父を愛したことを幸せに想いながら亡くなったことを知っていたから。
誰かを愛することはとても難しくて苦しいのだけれど、その一方でとても穏やかで、温かくて。とても満たされた気持ちになることを、教えて貰ったから。
だから、今度はシンシアが誰かを愛する番なのだ。誰か愛しいひとを見つける一方で、誰かにも愛する喜びを知ってほしい。
たとえ、種族が違っていても。
* * * * *
「他に行きたい場所はありますか?」
アルフの問いかけに、シンシアは目を輝かせて案内書を見せた。ここからあまり遠くないところにある菓子店を示す。
「ここに行きたいです!」
「わかりました」
了承したアルフの後について行こうとして、シンシアは擦れ違い様に通行人の男とぶつかった。
「きゃっ……」
小さくよろけたシンシアだが、何とか踏み止まった。その代わりにフードがずれて豊かな漆黒の髪があらわになる、謝罪を口にしようと貌を上げると、男が繁々と見つめて来ていた。
「あの……?」
「こりゃ結構な美人だなぁ。嬢ちゃんもしかして精霊か?」
シンシアは漆黒の双眸を瞬かせた。違うのでふるふると首を横に振る。
「次はぶつからないように気を付けなよ、嬢ちゃん」
闊達に笑う男の大きな手が彼女の頭を撫でるように掻き回す。出てくる前にリムに散々梳られた漆黒の髪はくしゃくしゃになった。
「ごめんなさい。あと、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると男は笑いながら去っていく。
「気を付けてください、猫姫」
「ごめんなさい」
シンシアはしゅんとして、今度はぶつからないように青年の後について行った。
「にしても綺麗な嬢ちゃんだったなぁ」
先程シンシアとぶつかった男は、ひとりそんなことを呟きながら歩いていた。
「黒い髪に黒い目……まるで夜の女神クリス姫だ」
実際に神の娘がこのような所にいる訳がないが、男は最初本当にそう思い、思わず精霊かと尋ねてしまった。
神が天に還って早2000年。人間の中には神の存在を信じている者の方が少ないが、ルノーシェの者は安らぎと慈しみの夜姫クリスを崇拝しているため、少なくなってはいるが信じている者はまだ存在する。男もその1人だった。
ふと視界が陰り、男は訝しんで足を停める。
「……気のせいか?」
だが次の瞬間、目の前に数人の影が現れた。取り囲まれるようにして立つ彼らに、男は目を丸くする。彼らは皆同じように顔が見えないよう黒いフードを目深に被り、腰に剣を佩いていた。そのうちの1人が1歩歩み出て、口を開く。
「少し、先の少女について聞きたいことがある」
一緒に来て貰おう――――
ピュモの実のモデルは桃です。plumにモモ。
何か怪しい影が登場です。
黒いマントに武装とか、通報レベルです。




