ⅰ.
暑さが増して日に日に日差しが鋭くなって来た頃。シンシアはオーディンの執務室で他国の名産品を調べていた。貿易という手段を取れば和平を結び易いだろうとの考えからだ。人間領にあってもルノーシェにない物はある。逆もまた然り。それにより生活が豊かなものになるとなれば、双方の民も受け入れやすいだろう。
執務室内に置かれたソファに寝そべってエレクシヤから貰った資料を眺めていたシンシアは、ふと目を瞬かせた。
「オーディン」
「なんだ」
国内情勢の報告書に目を通していたオーディンは貌を上げて飼い猫を見やる。少女はひょいっと起き上がって彼の前に立った。
「今思えば、私はルノーシェのことをよく知りません」
シンシアがルノーシェに来てから5月近く。春の初めだった季節も夏になっていた。
その間、シンシアは城の外――――城下にすら出たことがなかった。多少の制限があれど、広いルノーシェの城内を探索して回る、程のことぐらいしかしたことがないのである。
「やはり、直に見てみないとわからぬこともありますし。1日でよいので、城下に出てみてもよろしいでしょうか?」
「いいぞ。護衛を見繕っておく。明日にでも行って来ればいい」
「ありがとうございます!」
ぱあっとシンシアは目を輝かせた。にゃっほぅっと飛び上がってソファに飛び乗る。魔法を使ったのか、着地の際にぽふっという間の抜けた音しかしなかった。褒められた行為ではないが、余程嬉しいのだろう、いそいそと『王都観光案内~これで王都を網羅すべし!~』と書かれた色鮮やかな案内書を開いている。国民が作って王都の入り口で配布されているというそれ。オーディンは初めて見るそれを飼い猫は一体何処で手に入れたのか、甚だしく謎だ。
「女官の皆さんが美味しいお菓子を売っているお店のお話をなされていたのですが……あ、このお店ですね!」
「…………」
オーディンは目を細める。はしゃいでいる彼女のその姿は、子どもそのものであったからだ。
爽やかな風が駆け抜ける。日差しは相変わらず強いが、アウルレクスの夏程ではない。日陰に入ればひんやりと心地よい風が頬を撫でるのだ。
「わぁ……っ!」
人外の行き交う街を見渡し、シンシアは歓声を上げた。整備された石畳の上を魔族や獣人が種族に関わらず歩いている様は、人間領にいては全く想像の付かないものである。
「すごいのですね……」
「いつものことです」
そう返してきたのは、武官である犬人のアルフという青年だ。明るい茶の髪の彼は隙なく辺りを見渡している。それ程警戒しなくともと、シンシアは苦笑して頭を覆っている空色のフードを押さえた。
シンシアの何処までも澄み渡った清冽な美貌と、貴族の令嬢を連想させる優美な仕草は、望まずとも周りの目を惹いてしまう。護衛が付いていても余計な面倒事に絡まれないように、彼女はフードを被ってその艶やかな髪と端正な面差しを隠していた。薄い生地のそれは日除けも兼ねている。
ルノーシェでは人間領でも見るものもあるが、やはり珍しい果実や料理、鮮やかな色彩の衣装、希少な魔力を帯びた宝石や魔具などはシンシアの興味を惹いて止まなかった。
ふと……仄かな香りが鼻をくすぐる。
「甘い香り……これは何ですか?」
「これはピュモという果実です。よい匂いがするので花と葉は芳香剤としても使われています。搾った物を売っているみたいなんで、買って来ましょうか?」
思わぬ言葉にシンシアは無邪気に貌を綻ばせた。
「よいのですか?」
「猫姫の望みをできるだけ叶えるように陛下より仰せ付かってます」
「ありがとうございます」
少しお待ちください。そう言って彼は屋台へと向かっていく。シンシアは大人しく、噴水前の椅子に腰掛けた。店は繁盛しているようで、列ができている。当分アルフは戻って来られないようだ。
子どもたちがはしゃぎながら駆け回っている。微笑ましく彼らを眺めていると、そのうちのひとりの少年がつんのめって転んでしまった。膝を擦ったのか、血が滲んでいる。
「ふぇ……」
泣きそうに顔を歪めたが、泣くまいと歯を噛み締めて堪えている。周りの子どもたちが心配げに彼の顔を覗き込んだ。
「だいじょーぶ?」
少年は汗を浮かばせながらも笑顔を作って見せた。
「だい、じょ……ぶっ!?」
立ち上がろうとし、痛みのためか固まってしまう。大きな双眸に大粒の涙が浮かんだ。
「っぅ~~っ!」
魔族であってもやはり子ども。人間よりも遥かに高い再生能力と生命力を持つ彼らでも痛いものは痛い。必死で我慢している少年に、シンシアはくすりと笑みを零した。
「痛いのに我慢できて、偉いね」
突然現れた年上の少女を、少年たちは胡乱げに見上げる。
「おねーちゃん、だぁれ……?」
「魔法使いなのです」
「まほうつかい? ヴァンパイアじゃないの?」
魔法が当たり前なものであるルノーシェには魔法使いや魔術師といった者があまり馴染みがないらしい。首を傾げる彼らに、シンシアは尋ねた。
「怪我を治さないの?」
「……まだ上手につかえない……」
見ると、他の子たちも同じように沈んだ顔をした。
「あらあら」
シンシアは苦笑する。細い指を少年の膝に掲げ、ゆっくりと回す。子どもたちは食い入るように白い指を見つめる。
「いたーいの、いたーいの、飛んでけー」
最後に指を振り上げると白銀の光が傷の周りで生まれ、傷口の中に流れ込んでいく。少年は傷口が温かくなっていることに気付いた。
光が消えた時、傷も跡形もなく消えてしまっていた。元通りになった肌に、彼らは歓声を上げる。
「わぁっ!」
「おねーちゃんすごい!」
はしゃぐ子どもたちに、シンシアは目を細める。
「おねーちゃんありがとー!」
「もう転ばないように気を付けてねー」
「うん!」
ばいばーい! 手を振りながら子どもたちは駆けて行った。シンシアは手を振りかえして微笑む。周りの者たちも笑って彼女たちを見ていた。
そんな中、離れたところからその様を見つめていた影があった。
ルノーシェに戻ってまいりました。
アルフくんは何故犬なのか。
護衛=忠犬? という式が頭の中でできてしまったからです。
見た目20ぐらいかな?
お気に入り登録して下さった方々ありがとうございます!!
訳あって別名義で『Legend of Wonderland』という話を始めました。
ヒロインが情報屋の物語です。よろしければご覧ください<m(◦ω◦)m>




