ⅱ.
*04/14 改行入れてみました。
シンシアの住む森は王都から少し離れている。日帰りで森に帰るため、普段は近くの街まで乗合馬車を利用するのだが、この日はいつもとは少し違った。
「……真っ直ぐ家に帰りたかったのですが」
ぽつりと呟くシンシア。同じ馬車に乗り合わせていた傭兵をしているという壮年の男が苦笑いを浮かべる。
森までもうすぐの所の川辺。何時の間にか降り出した雨のために、視界が悪い。
乗合馬車の行く手には、5頭の狼の姿があった。
「最近、森の実りが少なかったからかしら……」
のんびりと呟きながら馬車から降りてくるシンシアに、傭兵の男は慌てた。
「危ないから馬車に戻った方がいい」
「……私は魔術師です」
魔術師の言葉に、男は目を見張る。
「戦闘経歴は?」
「昔、何度か」
漆黒の双眸で狼たちを見据え、シンシアは言い放つ。
「貴方の足手纏いにはなりません。私が右の2頭を引き受けますから、後の3頭はお願いします」
「わかった」
男は頷くと、腰に佩いていた剣を抜く。
シンシアは目の前の狼を確認すると、魔法構成を組んだ。
「水よ」
呼びかけに呼応し、辺りに満ちる水気が震える。白い手にある構成を展開し、シンシアは詠唱した。
「其は何人をも捕え得る縛めなり。我が声に応え、我に仇成す者たちを捕えよ」
袖の中から覗く、掲げた両の手首に嵌められた細い銀鎖の腕輪。それに付けれた三日月を模した装飾品が煌く。
瞬間、水柱が立ち上がり、狼たちを巻き込み渦を巻いた。
「弾けろ!」
空中で水柱は弾け、狼たちは森の奥深くへと飛ばされていく。
「……少し、きつかった、かな?」
白い肌に、雨とは違う雫が伝う。肩にかかっていた春先の冷たい雨の滴る漆黒の髪を後ろに払う。
シンシアは傭兵の男の方を振り返った。雨で動きが鈍っているためか、男は若干苦戦気味だが、2頭の狼相手に剣を揮っている。援護しようと魔法構成を組みかけていたシンシアは、首を傾げる。
……2頭?
おかしい。狼は全部で5頭。シンシアの倒した狼は2頭。なのに、今男が対峙しているのは2頭のみ。周りに倒れている狼の姿はない。
素早く視線を巡らせる。
「きゃあっ!」
甲高い悲鳴に視線を向けると、何時の間にか1頭が馬車の傍まで寄っていた。
「風よ!」
考えるよりも先に組みかけの構成を瞬時に完成させ、狼へと放つ。空気が渦を巻き、狼を空に巻き上げる。シンシアは白い手を一振させると、狼は森の奥深くに飛ばされて行った。
男の方を窺うと、2頭の狼が地に伏していた。
「終わった……」
息を吐く男に、シンシアは微笑する。
狼もいなくなり、安堵した馬車の御者や客たちが様子を窺って馬車から降りてくる。
雨も弱くなってきた。じきに止むだろう。
ふと、シンシアは視界の隅で動く影を見た。乗客の1人である小さな少年が、川岸で川を覗き込んでいた。
この川は大人2人分の背丈ほどの深さの谷のようになっていて、普段よりも流れが速くなっている今、子どもが落ちてはまず助からない。
シンシアは戻ってくるように口を開いた。
「坊や。危ないから」
戻っておいで。そう言う前に、子どもの四肢が傾いた。足元がぬかるみ、雨で濁った激流へと落ちて行く。母親の悲鳴が上がった。
シンシアは咄嗟に足に脚力増加の魔法をかけ地面を強く蹴ると、子どもの許まで跳躍する。落ちて行くだけだった子どもの纏う外套を掴み、崖の上目掛けて勢いのままに放り投げた。
「お嬢ちゃん……っ!」
放り投げた子ども受け止めた傭兵の男の叫びに、大丈夫だと返そうとして。
シンシアの身体は、そのまま濁流に呑まれた。
* * * * *
何時の間にか雨は止んでいた。日が沈んで月が昇る頃、激流で濁る川の岸辺にシンシアの姿があった。
纏っていた衣装は泥水で茶色く染まり、ところどころ裂けてしまっている。四肢に負った怪我からは血が流れ、特に脇腹に負ったものが酷かった。
止血しようと冷え切ってよく動かない手を怪我の方へと手を伸ばすが、魔力が上手く纏まらず、構成も組めない。
血が流れ過ぎた。段々と冷たくなって感覚がなくなっていく指先。一瞬、脳裏に死が思い浮かぶ。
いくら薬の知識と治癒魔法に優れ、『魔女』などと謳われていても、シンシアはただの人間の少女だ。致命傷を負い、血が流れ過ぎれば、あっけなく死んでしまう。
……死んでもいいかもしれない。ふと、そんなことを思う。
誰とも縁なく、森の奥で独りでひっそりと暮らしていたのだ。やりたいことも大してないし、死んでも誰も悲しむことはない。旧い知人は、自分の失態に呆れるだけだろう。
ああ、でも。投げ出された己の汚れた手をぼんやりと見つめ、シンシアは小さく微笑んだ。
エレクシヤは泣くかもしれない。民の幸せを1番に考える彼は、たった一人の命でさえ失われることを酷く厭うのだ。そんな彼の治めるアウルレクスが、つつがなく幸せそうに笑う民の姿が、シンシアは好きだった。
意識が遠ざかっていく。視界が霞んで、もうよく見えない。
不意に、月が翳る。目線だけ動かし空を見上げると、月を背に浮かぶ影があった。
「――――生きたいか?」
低く響く感情の籠っていない声。
紡がれた言葉に、空虚な硝子玉のようだった漆黒の双眸に光が灯った。端正な美貌を歪める。泥に塗れた細い指が河原の石を掴む。
「……いき……た…い……」
目頭が熱くなり、冷たい雫がこめかみを伝っていく。
傍らに影が舞い降りる音がした。月光を思わせる白金の髪が目に映る。
「そうか。ならば――――」
密やかに心の中に忍び込んでくる声に、朦朧とする思考を巡らせ、頷く。
低い笑い声が聞こえたかと思った瞬間、唇に触れる熱があった。
薄れ行く意識の中でシンシアは、煌く真紅の双眸を見た。
主人公、色々あってかなり自分に淡白です。
薬師だから他人が死にそうになると助けにかかりますが、
こんな状況になると死んでもいいかなって思うくらいには。
あと戦闘があるとぐいぐい出て行こうとします。
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