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「とにかく、アルカナ戦争が始まる前に最低でも下位職になってもらうぞ」
呆然としていた私に、鼬は突然予想外すぎる言葉を発した。
「えっ、てかアルカナ戦争ってまだ始まってなかったの?」
てっきりもう始まってるのかと思っていた。てかようしやってやるぜうおおお燃えてきたァァァっ! なんて腹の中でごうごうとやる気を燃やしていたのに! よかったそのやる気を表に出す前で本当によかった!
私がそんな質問をすると、鼬は少し黙った後、溜め息を一つついてから目の前で自分の目録を開いた。
その中の持ち物、貴重品の欄。神秘の宝玉を選択すると、神秘の宝玉が出てくるのではなく、違う画面が映ったのだ。
それは一覧のようなものだった。
――――――――――――――――――――――――
[○オンライン] №0【愚者】
[○オンライン] №1【魔術師】
[○オンライン] №2【女教皇】
[●オフライン] №3【女帝】
[○オンライン] №4【皇帝】
[●オフライン] №5【法王】
[○オンライン] №6【恋人】
[○オンライン] №7【戦車】
[○オンライン] №8【剛毅】
[●オフライン] №9【隠者】
[●オフライン] №10【運命の輪】
[●オフライン] №11【正義】
[○オンライン] №12【刑死者】
[○オンライン] №13【死神】
[○オンライン] №14【節制】
[○オンライン] №15【悪魔】
[●オフライン] №16【塔】
[●オフライン] №17【星】
[○オンライン] №18【月】
[○オンライン] №19【太陽】
――――――――――――――――――――――――
鼬の横から覗き込むように見させてもらうと、その一覧にはオンラインになっているものと、オフラインになっているものがある。
ほとんどオンラインになっているけど、七つだけオフラインだ。
アルカナ戦争の参加者はログアウトできないから、ログアウトしているわけじゃない――――となると、もしかしてこれは、まだ選ばれていないってことなんだろうか?
「このオフラインって?」
「まだ神秘の宝玉の所持者を選んでいない状態だ。全ての神秘の宝玉がオンラインになった時、アルカナ戦争が開始される。それまでは神秘の宝玉もただの石同然だ」
「そうなんだ……。どれくらいで開始されるの?」
「さあな。だが遅くとも一週間以内には開始されるだろう」
一週間以内――――。時間は案外あるようでないようだ。もしかしたら明日にでも開始されるかもしれないし。
20個中、13個の神秘の宝玉所持者はもうすでに動き出してる。
その中には鼬みたいに前回から続けて参加している人もいるだろうし、私みたいに新しく始めた人が巻き込まれてわけがわからないまま参加せざるを得ない、って人もいるはずだ。
私は鼬に会えてアルカナ戦争について教えてもらえたけど、他の初心者の人はアルカナ戦争なんてわけのわからないものについて何も知らずに参加するなんてかなり不利なスタートなんじゃ――――。
あれ。
「……はて?」
「どうした」
メニューウインドウを閉じた鼬が、首を傾げる私を訝しげに見る。
いや、うん、なんつーか、気になったことが一つだけある。
「ねぇ鼬。アルカナ戦争の参加者って、一般プレイヤーが突然選ばれたりすることもあるの?」
「…………いや、基本的にはないはずだ。アルカナシステムは、一般プレイヤーと使っているシステムそのものが違う。一般プレイヤーが神秘の宝玉を所持することは出来ない。一般システムを利用していたプレイヤーが、突然アルカナシステムに変更されるという事例は俺が知る限りでは聞いたことがない」
断定的な言い方をする鼬に、きっと実際試してみてそうだったのだろうと思った。鼬は根拠のないことを断定して言うような人じゃないとなんとなく思えたから、きっとその言葉に偽りはないはずだ。けれど、あり得ないとは言い切れない、ということは私のバグですでに解っている。なんらかの事故があれば、一般プレイヤーがアルカナ戦争に巻き込まれることもなくはない、ということを頭の隅に置いておいたほうがいいかもしれない。
だとすれば、もう一つ疑問が沸いてくる。
「――一般プレイヤーって、アルカナ戦争のこと知ってるの?」
「…………中には知っている者もいるだろう。隠されるべき戦いではあるが、所持者同士の戦いを目撃されれば話は別だ。一度外ではどうなっているのか、一般プレイヤーに確かめようとしたこともあったが、」
そこで言葉を切って、鼬はひどく難しそうな表情で腕を組んだ。
なんて形容すればいいのか迷っている、という表情だ。
「どう、だったの?」
その先を促すように訊ねると、鼬は視線を一度私に向けてから、小さく息を吐いて告げた。
「記憶の混同が見られた。ログアウトする度に、アルカナ戦争の記憶だけがすり抜けて落ちるらしい。ログインした時に思い出すと言っていた」
「?」
つまりどういうことだってばよ。
「じゃあ、アルカナ戦争のことはこのゲーム内でしか認識されない、ってこと?」
「おそらくは。とは言え試したのは二人ぐらいだ。これが明確な答えとは言えない。ログアウトしている時は、アルカナ戦争のことすら忘れる。忘れていることすら忘れている状態のようだ」
「…………」
忘れていることすら忘れている。なんとも度し難いことだ。
つまり「なかったこと」にされてるようなものだと思っておくことにする。
忘れてることにさえ気づいていないのなら、それは何も知らないのと同じことだ。
そして私もさっきまで忘れていたことがあった。
それを思い出して浮かんだ疑問。それは鼬の回答を聞いて、ますます疑問となる。
言っていいのか、言わないほうがいいのか、いやしかし、これはきちんと解明したい事柄だ。
「あのね、私こっちにログインする前に、RF-COのプレイヤーに会ったんだけど」
私がログインする前のこと。
幾分落ち着いて冷静になった今だからこそ考える余裕が出来たようなものだ。
脳裏をよぎるのは、ラウンジで出会ったイケメンのお兄さん。RF-COのプレイヤーなのかどうかを私に訊ねてきたその人は、確か『夜月』というユーザーネームを名乗った。
そして、――――
「その人、私に『アルカナ戦争って知ってる?』って聞いてきたんだ」
「――! 本当か?」
「うん。『夜月』っていうユーザーネームの人なんだけど……」
「――――」
そのユーザーネームを告げた途端、鼬は僅かに眉間に皺を寄せた。
怪訝そうな表情ではない、ということは多分知っているんだろうけれど、難しい表情で顎に手を添えて考えこんでしまった鼬。
「……知ってる人?」
首を傾げて訊ねると、鼬は私を見てから少し黙った後、視線を地面に落として肯定も否定もしなかった。
ただその横顔がどこか複雑そうで、握られた拳には踏み込んではいけない何かがあるのではないかと感じ取ってしまって、それ以上言及が出来なかった。
やがて鼬は顔を上げて、また無表情に戻り私の質問には答えないまま淡々と告げる。
「――――それが真実だというのなら、前回の戦いからアルカナシステムに何らかの変更点があるということだろう。『夜月』が何者だろうと、アルカナ戦争について知っているのならおそらくは関与者だ。警戒はしておけ」
「え、で、でも……」
「話は終わりだ。他に疑問がなければこの森を出るぞ」
唐突にも思えるくらい話をぶった切ってしまった鼬は、そのまま踵を返す。
まだ聞きたいことは色々あったけど、その背中が拒んでいるように見えて、それ以上は訊ねられなかった。
むぅ、と眉を寄せ、私は置いていかれないように鼬の後ろを追いかけた。
◇
そうしたことがあり、森を出た私と鼬はアルカナ戦争が始まるまで、私のレベル上げを当面の目的として行動することになった。
鼬はクエストの途中だったこともあり、私達はまず鼬が依頼を請けた町に向かった。
森を出ると視界に広がるのは平原と土がむき出しでならされた街道。
仮想現実とは言え、正直そのリアリティ感には脱帽した。ダンジョンの中もそうだったけど、肌に感じるこの空間は現実と遜色がないのだから。現実と錯覚してしまいそうなほど緻密に組み上げられたその風景や外観は、世界最高峰レベルの技術を結集させた集大成と謂われるだけはある。うん。素人同然の私でもこれはすごいと思える。
さておき、ちょうど太陽が空の真上を通過する頃合。いわばお昼時って頃に、一つの町に入った。
レンガと木造で出来た家々が並ぶ町は、【ダーリトン】と呼ばれていて、町の門や建物のたちこちに杖のマークが刻まれている。つまりここは杖を象徴とする国、【マギカ】の領内であるということを示しているのだ。
それを見て、改めて私は自分が『始まりの町』ではない別の場所からスタートしたのだということを実感した。
ダーリトンはマギカの首都【ラインログド】から随分と離れた偏狭の地にある町であり、ユーザーのほとんどは首都やその近辺に集まっている為ダーリトンにはNPC以外のプレイヤーはほとんどいなかった。
鼬がNPCにクエストの報告を済ませた後、今度はスキルショップに移動した。
スキルショップと言うのは文字通りスキルを売るお店のことだ。村や集落以外の町や街、首都なんかには必ず存在するところで、置いてあるランクや数は町<街<首都と差があるものだけど、まぁ大抵のものはそろっているはず。
どうしてスキルショップなんかに寄ったのかと思えば、鼬にスキル欄を見せてみろと言われて私は目録を開いてスキル欄を開いた。
――――――――――――――――――――――――
◇所持スキル
[戦闘 A ]【上級・水中戦闘術 Lv28】……水中での戦闘における負担を無効化する
[戦闘 B ]【バックアタック Lv38】……背後からの攻撃によるダメージを高める
[戦闘 B ]【挑発 Lv45】……敵の敵愾心を自分へと向ける
[戦闘 D ]【薙刀術 Lv1】……薙刀による戦闘を行う
[通常 B ]【交渉 Lv32】……他人との取引における成功率を高める
[通常 D ]【鑑定 Lv1】……不明アイテムの解明をするスキル
[外周 B ]【潜水 Lv50】……潜水による体力減少を防ぎ、息継ぎを不要とする
[外周 D ]【採取 Lv1】……ダンジョン内にて採取を行う
[外周 D ]【探索 Lv1】……ダンジョン内にて道を発見する
――――――――――――――――――――――――
む、知らないスキルがある。というか、てっきり引き継いだのはアイテムと時間だけかと思っていたからちゃんと確認してなかったんだ。
おそらくこのAとBのスキルは、私のではなくて【ソウ】のスキルだ。職業スキルの変更は出来ないけれど、装備スキルはいつでも変えられるようになっている。とすれば、ここにあるスキルは【ソウ】が装備していなかったストックスキルだと理解した。
だけど、同じように覗き込んでいた鼬は怪訝そうに表情を顰めた。
「……鼬? どうかした?」
「減っている。【ソウ】のスキルはもっとあったはずだ」
「え? そうなの?」
ていうか減ることなんてあり得るのか、なんていう疑問は鼬も同じように抱いているので聞くに聞けなかった。
元々データの引継ぎさえバグだったのだから、多少は違う点があってもおかしくはないと思うんだけど……どっちにしろ今の私ではBランクスキルもAランクスキルも装備できないんだからアイテム同様宝の持ち腐れなのだ。
「……とりあえず使えないスキルはそのままにしておけ。新しいスキルを買ったほうがいい」
「む、でも私所持金は引き継いでないから、ちょっとしかないよ?」
確か私の所持金は500Gしかなかったはずだ。
スキルはDランクのものでも安くて1000Gからだったはず。スキルは買う以外にもクエストの報酬だったり他人からもらうことも出来る(もちろん熟練度は1からだけど)、他にも一定のレベルまで熟練度を鍛えると一段階上のスキルにランクアップすることもある。その面倒な手順を省いたのがスキルショップ。スキルを簡単に購入できることは出来るけど、ランクの高いスキルほど馬鹿みたいな値段がつく、というのを聞いたことがある。
「……いや、所持金も引き継いでるだろう」
「え?」
「――――【ソウ】は金銭にだらしがなかった」
視線を逸らしてそう言った鼬に、あぁ、となんとなく察してしまった。
つまり、二千時間もやってて所持金がたったの500Gしかないのは、宵越しの金は持たねえぜヒャッハー、的な人だったのか。いや、私もあるとついつい使っちゃうタイプの人間だから否定できない。
そんなことを考えていたら、鼬はさらりと私に告げた。
「スキルカードは俺が買って譲渡する」
「え?」
「不満でもあるのか?」
「いや、え、そんなことはないけど……」
怪訝そうに眉を寄せる鼬に、私は首を振った。
まさかそこまでしてくれるとは正直思っていなかったから意外だった。
私の返答を聞いた後、鼬はスキルショップのカウンターへ向かい、NPCの店員と話をしてショップウインドウを開いて中を見ている。
(いいのかなぁ……?)
鼬の行動は親切心なのか、それとも仲間となった以上は足を引っ張られては困るから、ということなのか。
鼬はとくに無表情で、何を考えているのかわからない。鼬の意図が掴めない。
鼬ほど強いプレイヤーなら、Lv1の初心者プレイヤーなんて仲間にする価値がないんだけど、その鼬が私を気にかけるのは、多分私が【ソウ】のデータを使ってるから。それに関して鼬がどう思っているかも解らないけど、鼬が私に力を貸そうとする理由なんて【ソウ】関連としか思えない。
こうなってしまった以上私も前の【ソウ】と関わりがないとは言えないんだけど、実際に鼬が思ってるような人じゃない気がするから、なんだかいいように騙して使ってるみたいで結構良心がいたんだりする。
こんな調子でいいんだろうか、という疑問が、その時私の脳裏を掠めていった。
◇
とまぁ、こんな経緯で、私はきたるアルカナ戦争に対し十分な力をつけるために特訓中なのだ。
初心者の平原に入ってから四時間くらいが経過した。他のプレイヤーはほとんどいない。フィールド自体が広いということもあるけれど、今更こんな偏狭な場所にある初心者用の平原を訪れる者があまりいないということなのだろう。
陽が西へと傾き斜陽が大地を赤く焼けるような色に染め上げていく。緋色を混ぜた黄金色の日差しが、私の長い赤銅色の髪と同じように見える。
地平線へと伸びていく夕陽。東の空からは夜が迫りつつあり、星が煌き始める。そんなところもリアリティがあるなぁ、なんて思いながら、休息も兼ねた『鑑定』を終えて武器を持って立ち上がる。
バックステップのスキルカードを購入してもらった後、私達はすぐにこのザーニャ平原に入り、敵と戦ってはLvを上げ、敵からドロップしたアイテムで『不明』とされるものがあればそれを鑑定し中身を調べつつ休息というのを繰り返している。
(現実世界は今どうなってるんだろうなぁ……)
陽が沈み始めているということは、時間帯はもう五時を過ぎているはず。
心配をかけてしまうことを心苦しく思いながらも、私は今出来ることに専念しようと決めて薙刀を握り締めるた。
回想終了。
地味なレベル上げ作業が続きますよ。