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鼬サイドのお話です。
赤銅色の髪。一部だけが白金のメッシュが入った長い髪。大きな琥珀色の瞳。
突然目の前に現れた少女に、鼬は驚きを隠せなかった。よく似ている、と感じた印象は、目元が【彼】に似ていたから。
ここまで容姿が同じになることなどあるのだろうか。今や何万人にも上るユーザーがいる中で、髪と目の色だけが同じならばまだ偶然と言えただろう。けれど、その色合いも、白金の入っている場所さえ【彼】と同じ。
しかも、ユーザーネームも【ソウ】――――完全な一致に、鼬は言葉を失った。
レベル1の初期職業《冒険者》。
鼬がいたアドリスの森は中級者用、つまり上位職になりたてか、上位職へのクラスチェンジを目前とした下位職のレベル上げの場とされるダンジョンである。そんな場所に、初期装備の冒険者が一人で訪れるなど自殺行為にも等しい。
この森に出る独特の魔物、リザードモンクに追われていた彼女を流れで助けた鼬が、何故ここにいるのかと訊ねると――。
「いや、これはなんというか不可抗力というか……、私、今日からRF-COを始めたんだけど、チュートリアルをスキップしたら何故かこんなところからのスタートになってて」
ソウと名乗った少女は、自分でもよく分かっていないのか困ったような表情でそう言った。
あり得ない。初心者がいきなり中級者用のダンジョンからのスタートなんて聞いたことが無い。
そう一蹴した鼬に、彼女が次に見せたのは目録だ。
そこにあったものを見て、鼬は硬い何かで頭を思い切り殴られたようなショックを感じた。
もはや否定しようのない証拠。
プレシャスレベルのアイテムがごろごろと、およそレベル1の冒険者には相応しくないアイテムの類。見る人が見ればそれは反則だと思うだろう。その中で決定打となったのが、楡の腕輪で出来たギルド【蒼龍】の証だ。
ただの装飾品。古い神木を材料にある装飾職人のプレイヤーに頼んで作ってもらった、『ゲーム内で四つしかないはず』のアイテムだ。
他のプレイヤーが持っているはずがないアイテムを持っている――――。
そして何より、神秘の宝玉の存在。
№19【太陽】の神秘の宝玉。それは、前回のアルカナ戦争で【彼】が持っていた神秘の宝玉だ。
こんな偶然が、あり得るのか。
彼女が使っているデータは、間違いなく彼のデータだった。
不意に鼬は思った。
もしこれが偶然でないとすれば。
もしこの狂った設定が神秘や奇跡を冠するというのであれば。
――――彼女は、【彼】なのではないか――――。
そう思った瞬間、鼬は彼女に問いかける行為を止めることが出来なかった。
「……一つ聞くが、陸奥蒼依という名に、心当たりはあるか?」
鼬の問いに、少女は怪訝そうな表情ではなく、若干驚いたような表情を浮かべて訊ねてきた。
「えっ、むつ? むつって、陸の奥ってかいて陸奥?」
「確かそうだったはずだ」
【彼】の本名――陸奥蒼依。それは、鼬こと和泉泰智の親友の名だ。
と言っても、現実で知り合いだったわけではない。
出会ったのはこのRF-CO内でのことだが、それでも二ヶ月という短い期間で彼らは互いを信頼しあうほどの親友となった。だからこそ、鼬は【彼】を失ったという結果に対し、罪人のような罪悪感を胸に抱いている。
――――それなのに、もういないはずの【彼】のデータを持って現れたのは、【彼】によく似た少女だった。
「――――」
「どうした?」
黙りこんだ彼女に、鼬は尋ねた。
すると、驚いたような表情を浮かべていた彼女は、顎に指を添えて告げる。
「いや、うん……ごめん、同じ苗字に驚いて。私も陸奥っていう苗字なんだけど、家族や親戚に【蒼依】って名前の人はいないから、多分同姓の知らない人だよ」
「……同姓? 本当にそうなのか?」
「こんな状況で嘘をついてもどうしようもないってば」
同姓――それは鼬にとって予想通りであって、予想とはわずかに違った。
VRのゲームのほとんどは、一部を除いて異性でプレイすることなど出来ない。RF-COも性別は変えられない仕様になっている。
だから、普通に考えれば彼女が【彼】であるはずがない。
それでも、と複雑な感情を抑えきれずにいると、少女が恐る恐ると鼬に声をかけてきた。
「あの、初対面でずうずうしいのは承知で、お願いがあるんだけど……」
その視線が、どこか助けを求めているようなものに見えて、鼬はわずかに息を呑んだ。
何を頼んでくるのか、だいたいの想像はつく。彼女もアルカナ戦争の参加者であるというのならば、ログアウトが出来ない。さらに言うなら、アルカナ戦争の概要すら理解していないだろう。
一瞬、鼬の脳裏によぎったのは、記憶喪失、あるいは記憶の改竄だ。
女性プレイヤーとなっているのも、アルカナ戦争の知識がないのも、『そういう風にされた』というものではないか――――。
どちらにしても、【彼】と似た相手に助けを求められるというのは、鼬の胸に鈍い痛みを起こす。
それを拒むことに僅かな躊躇いはあったが、鼬は事実を口にした。
「…………何だ。離脱なら俺も出来ないぞ」
「えっと、ログアウト……出来ない、だと……!? なななな、何で!?」
お願いを口にしかけた彼女が、鼬の返答に驚愕し、狼狽する。
だから鼬は、自分の身の上と、無駄だ、ということを伝えるために口を開いた。
「……。この世界に降り立つ前に、翡翠の髪をした女に、【神秘の宝玉】を寄越されただろう」
「え、あ、どうしてそれを……?」
呆然とする表情すら、どこか【彼】の面影がある。
少女は呆然としてはいるが、何故知っているのか、ということを言及しない。鼬の遠まわしな言葉の中でも、なんとなく察することはしたらしい。頭の回転は悪くないようだと鼬は思った。
けれど決定的な言葉を望んでいるようにも見える視線に、鼬は応えた。
「――――お前と同様に、俺もまたその女から寄越された【神秘の宝玉】の所持者だからだ」
鼬の言葉に、少女は頭のどこかでは推測していたのか、そこまで驚いた様子はなく理解した様子だった。
どうしても重なる【彼】の姿――。
「神秘の宝玉を所持者が奪い合うこの戦いは、【神秘の戦争】と呼ばれている」
アルカナ戦争という単語を聞けば、何かを思い出すのではないか――――そんな淡い期待すら抱いて、鼬は告げた。
◇
「敗者にはペナルティって言ってたけど、あなたには何かペナルティがあったの?」
少女が鼬にそう訊ねたのは、神秘の宝玉と、アルカナ戦争についての説明を終えた時だった。
罰――――前回参加者で、勝利できなかった所持者たちに等しく与えられる不平等な罰。人によってどんな罰が与えられるのか、一貫していないそれについて、鼬は詳しくは分からない。
それについて訊ねられ、鼬は視線を逸らした。鈍痛が胸に落ちてくる感覚。
「――――」
罰ならある。確かに与えられた。
夢を見るはずのない夢。繰り返す喪失の悪夢。
問いかけた彼女に他意がないことはわかっている。
「……言う必要はない」
だからこそ、言うのは憚られた。
『彼』に似ている彼女に『夢』のことを言うのは、それこそ許しが欲しい自分の心の弱さだと鼬は思ったのだ。
顔を背けた鼬に対し、少女は僅かに唇を尖らせた後、それについて言及することなく別の話題に変えた。
――前回の結末について教えて欲しい。その言葉に、鼬は複雑な感情を抱いた。真っ直ぐ鼬の目を見つめて訊ねる彼女の視線。人に物を尋ねる時、教えを請う時の『彼』と同じ、相手の目を真っ直ぐに見るというそんな些細な行為さえ性別が違っても印象が重なる。
根本的な部分が似ているのだろうか。その視線に耐え切れず、鼬はふいと視線を逸らした。
「……一週間前、神秘の宝玉をすべて集めた時に、最後の『審判者』が現れた。そいつを倒した後、『世界』への扉が開かれたが……勝者が何を望み、どうなったのかは分からない」
「え?」
「願いを叶えて開放されたのか、そうじゃないのか……少なくとも、もうこのゲームの中にはいない」
それを口にして途端、鈍い痛みが現実を認めさせるかのように胸に広がって鼬は地面を見たまま沈黙した。
アルカナ戦争の最後の勝者。前回の戦いの結末。繰り返し見る悪夢の一遍、その時の記憶は鼬の中に深く刻まれて残っている。
言うべきか、言わざるべきか、少し悩んでから鼬は顔を上げた。
そして、もう一度だけ確かめようと思った。
「【ソウ】」
どこか懐かしい響きの、【彼】の名を呼ぶ。
【彼】に呼びかけるように。【彼】に話しかけるように。
そうすれば、心のどこかでいつものように笑顔で振り返るのではないかと――――。
「え? あ、はい」
――――そんなことが、あるはずなかった。
身を改めるように強張らせる少女。だけど今の鼬の呼びかけに違和感を感じているようで、それが気のせいなのかそうじゃないのかと眉を寄せている。
鼬は、そんな彼女にさらに告げた。
「ギルド【蒼龍】のリーダーであり、前回の勝者の名前だ」
瞬間、彼女はその琥珀色の双眸を大きく見開いた。
その表情に満ちたのは驚きと疑惑。
固まった表情の中、目だけが右から左へとさまようように動く。それだけで、きっと今少女の頭はフル回転しているのだということが理解できた。
「ちょ、ちょっと待って。目録起動」
そう言って彼女は目の前で目録を開き、何かを確認するように視線を動かしていた。
そうして固まること数秒。
ようやく点と点が線となって結ばれたらしく、恐る恐ると言った様子で少女は鼬へと訊ねた。
「……もしかして、このデータって」
その問いに、鼬はただ頷く。
ここまで来て、今更否定するつもりもない。
「――――【ソウ】のデータだ」
その言葉に、鼬を見上げた少女は言葉を失くした。
鼬はもう一度だけ、僅かな奇跡を願って訊ねた。
「もう一度聞く。……お前は本当に、陸奥蒼依という名前に心当たりはないのか?」
彼女の返答は即答ではなく、少しの間を置いてから返された。
「……ごめん、やっぱりわからない」
彼女の口から紡がれたのは謝罪と否定。
同じ容姿で、同じ名前で、同じ苗字で、同じデータを使うだけの、『赤の他人』だと――――。
木々の葉を揺らす涼しげな風に赤銅色の髪が揺れ、彼女はどこか居た堪れないといった様子でその髪を掻いた。
その姿がやはり【彼】に似ていて、鼬は視線を逸らした。
奇跡を否定するという偶然に、どれほどの力があるのかなど想像もつかない。もとより、『運命に至る』と銘打っているこの世界で、偶然、ということなどあり得るのだろうか。
この世界の理、全ては必然だと誰かが言った。
ならば、やはりこの邂逅も、運命となりえるのではないだろうか。
To be continued...
序章は鼬サイドで始まり鼬サイドで締める、と。
鼬は奏=蒼依なんじゃないかと思ってます。
序章はここで終了、次回から第一章に入ります。