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予想していた衝撃はなかった。
それどころか、予想外の状態になっている。なんだこれ。どうなってるんだ私。
「――――はぁっ!」
青白い光の軌跡が扇状に広がって、彼はトカゲ二体をその一刀のもとに沈めた。強い。何この人強い。私の攻撃が微塵も通らなかったあのトカゲを相手に一撃ってどういうことなの……!
そして私はというと、何故かこの人の腕の中に居る。どうしてこうなった。
ぶつかる、と思った瞬間、反射的にわずかに身体をずらした彼の腕が私の着地と同時に抱きとめてくれて、そのまま剣を引き抜いて背後のトカゲを斬り捨てた――のが今の流れ。
「ギャイイィ」
「ギャギャウ!」
仲間をやられて怒ったのか、残る二体が立ち上がり拳(……拳か?)とにかく掌底を繰り出してくる。
やばい、この位置は私にも当たる。詰んだ。よく分からない現状に死を覚悟して強く目を閉じると、急に身体が反転した。
「うわっ!?」
「っ、ち」
聞こえたのは、痛みというより煩わしそうな舌打ち。思わず開いた視界に映ったのは、先ほどの位置から百八十度回転した位置で、つまり私をトカゲの攻撃から守るために立ち位置を変えて身を挺して庇ってくれたのだ。
片腕に私を抱きこんでるせいで防御も回避も出来なかったんだろう。だったら簡単なことだ、邪魔な荷物を突き飛ばすなり放るなりすればいい。この瞬間この場において、私という存在は枷以外の何物でもないのだから。
なのに。
どうしてこの人の腕は私を放そうとしないのだろう。
「…………」
無言で私を見る深い蒼玉のような瞳が、どこか悲しそうに見えた。
それも一瞬。
きっとこの腕は戦闘が終わるまで放されない、と思ったのが嘘のように、彼は私を解放した。
数歩よろけて思わず尻餅をついてしまって、すぐに見上げた時に視界に入ったのは彼の背中だった。
その逞しい後姿に、思わず息を呑んだ。
荷物を捨てたことで空いた手で剣の柄を握り、両手で剣を構えた彼はトカゲの間合いに踏み込んだ。
地面を蹴る。
彼の持つ白銀の刀身には蒼白いほのかに光を放つ文字のようなものが刻まれていて、それが剣を振るたびに先ほどのように軌跡となる。振るう剣戟の軌跡が斜め上からの袈裟斬りから回転しての横一閃、そして下方からの斬り上げ。
(速い……!)
その流れるような動きで行われたそれが、網膜に焼きついたかのように私は目を逸らせずにいた。
二体のトカゲは鋭い連戟に、奇声を上げて消滅する。これもまた一撃。その場に残ったのは静寂と、倒した魔物からの戦利品だけだ。
剣を収めて振り返った彼を、へたり込むようにただ見上げる。
風が吹いて、彼の蒼い髪と、私の赤銅の髪が靡いた。
とにかく、あれか、私は助かったのか。
「…………ぁ」
お礼を言わなくては、と混乱している頭が何よりも先にそれを思い浮かべる。
お礼の言葉を口にしようとした瞬間、先に声を発したのは彼だった。
「お前は誰だ」
……………………は?
開口一番、彼は私を見たときの驚きや、悲しそうな顔などどこへやら、今は『得体の知れないモノ』を見るかのように私を睨めつけている。
その瞳は私を探るようなものに等しい。
「……あ、いや、あの……ソウと言います」
「………………」
とりあえずユーザーネームを名乗ったら、何故かますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。何故だ。
「……とりあえず、立ったらどうだ」
ぶっきらぼうな物言いに、思わずむっとしてしまう。
だけど言ってることは正論だ。正直座ったまま見上げているのも辛い。立ち上がろうとして、腹部に鈍い痛みが走った。そうだ、トカゲにやられてHPが減ってるんだ。視界の端に映る体力ゲージが示す数値は42/100。うわぁ、かなりやばい。あれ、でもちょっと回復してる?
あ、そうか。戦闘をしないでこうして座っているだけで『休息状態』になるのか。
「えっと……ちょっと体力削られちゃって。立つと辛いんですが」
「…………」
このまま座って体力回復してもいいかなー、なんて訊ねてみる。
すると彼は無言のまま、私の前に腰を下ろした。どうやらOKみたいだ。無言は肯定。その行動は承諾と受け取るので反論は認めないからね!
そこでふと思い出した。
「あの……傷、大丈夫ですか?」
この人さっき、私を庇ってくれたんだ。
たぶん二体同時の攻撃を喰らったと思う。しかも背中だ。攻撃は喰らう箇所によって体力の減りが違うはず。急所は勿論、背中からのバックアタックもダメージ比率は通常より上がる仕組みだ。
恐る恐ると訊ねてみると、彼は私を一瞥してから視線を逸らした。
「問題ない」
あっさり一蹴。心配してるんだけど、と思ったけれど私みたいに初心者でもないみたいだし、あきらかに職業も上位クラスのものだ。
一撃でトカゲを沈めるくらいの腕前なんだから、私の心配なんて無駄なのかもしれないけど……。
「……。助けてくれてありがとうございました」
ここは、やっぱりちゃんとお礼を言っておかないと。
私だったら完全に詰みだったけど、こうして無事でいられるのも彼のおかげなんだから。
ぺこりと頭を下げて感謝の言葉を伝える。こういう礼儀は、現実だろうと仮想現実だろう大切にしないと。
顔を上げると、彼は少しだけ驚いたような表情を浮かべ、それから何とも読みづらい無表情のまま視線を逸らした。
「……鼬だ」
「鼬、さん?」
「敬称も敬語もいらない」
ユーザーネームらしきものを言葉短く告げる中で、慣れない、とぽつりと呟いたのが聞こえた。
それがどういう意味かは分からなかったけれど、敬語とかは苦手な人なんだろうな、と思う。なんとなく。
それはさておき、本題に入るように彼――鼬が訊ねてきた。
「それで、お前はどうしてここにいる。この【アドリスの森】は、少なくとも初期装備の【冒険者】がソロで乗り込めるような場所ではないぞ」
じろりと怪訝の眼差しを向けてくる鼬に、私はうっ、と言葉を詰まらせる。
アドリスの森、なんて聞いたことがない。無料体験期間ではいかなかった場所なんだろうと思う。三日で出来ることなんて限られてるんだから当然といえば当然なのかもしれないけど。
少なくともトカゲに攻撃がまったくもって通じなかった時点で私も同感です。ここは初心者用のダンジョンじゃないことは分かってる。
「いや、これはなんというか不可抗力というか……、私、今日からRF-COを始めたんだけど、チュートリアルをスキップしたら何故かこんなところからのスタートになってて」
「…………あり得ないな」
「あり得なくても嘘なんていわないって! もうバグとしか考えられないの、これは! 目録だって私のじゃないみたいだし……」
「? どういう意味だ」
また眉を寄せる鼬に、私は言うより見せたほうが早いと思って、目録を起動させた。
その内容を鼬に見せる。とにかく、この異状を誰かに見せて、私の代わりにGMに連絡なりログアウトしてもらって運営に報告してもらうしかない。運が避ければ早急に救助が望めるはず!
それをお願いしようとして、私は言葉を呑んだ。
アイテム欄を見た瞬間の彼の表情が固まったからだ。それまで無表情だった彼の顔は、それこそ最初に見た時と同じくらい驚愕に満ちていたからだ。
「…………あ、あの」
「……、どうして」
「え?」
ザッと立ち上がった鼬が私のほうを見て、鋭く見据えてくる。やだなんか怖いんですけど。
体力も8割がた回復したので、私も立ち上がる。と言っても身長差があるから見上げることには変わりないんだけど。鼬の身長は、170後半はありそうな気がする。
不意に、鼬が真剣な表情で私を見据えて訊ねてきた。
「……一つ聞くが、陸奥蒼依という名に、心当たりはあるか?」
「えっ、むつ? むつって、陸の奥ってかいて陸奥?」
「確かそうだったはずだ」
――――私と同じ苗字に、思わず震えた。
【陸奥】という苗字は結構珍しい。陸奥というのは母方の旧姓だ。けど、一人っ子の私に兄妹はいないし、親戚や従兄弟にも【蒼依】という名前はいなかった気がする。
だから、同じ苗字の別人――――になるはずなのに。
(む、なんだろう……ひっかかる)
知らないのに知ってる気がする。その印象は、もしかしたら別のクラスにそんな名前の人がいたような、というレベルだ。顔まではまったくもって出てこない。
けれどその名前には何故か、親しみやすい印象を持った。同姓だからだろうか。
「――――」
「どうした?」
「いや、うん……ごめん、同じ苗字に驚いて。私も陸奥っていう苗字なんだけど、家族や親戚に【蒼依】って名前の人はいないから、多分同姓の知らない人だよ」
「……同姓? 本当にそうなのか?」
「こんな状況で嘘をついてもどうしようもないってば」
嘘をついたら余計に混乱するでしょ! 主に私が!
私の言葉に偽りがないのを信じてくれたのか、鼬は腕を組んでものすごく複雑そうな表情を浮かべた後、何かを真剣に考えているようだけどそれは私の与り知るところではない。
しんと黙り込んでしまった彼に、私は少し待ってから息を吸った。
私の目的は一つ、彼にこのことをGMなり運営なりに連絡してもらうことだ。
「――あの、初対面でずうずうしいのは承知で、お願いがあるんだけど……」
「…………何だ。離脱なら俺も出来ないぞ」
「えっと、ログアウト……出来ない、だと……!?」
なん……だと……!?
こちらの発言を読んでいたかのように告げられた鼬の言葉に、愕然とする。
「なななな、何で!?」
「……。この世界に降り立つ前に、翡翠の髪をした女に、【神秘の宝玉】を寄越されただろう」
「え、あ、どうしてそれを……?」
呆然として、思わず問い返す。
その私の反応に、鼬は私に「まだ分からないのか」というような視線を向けてきた。いや、うん、分からないわけじゃない。
この状況で、さっきよりも冷静になった頭を少し整理すれば、答えは容易に導き出せるのだから。
鼬は、私が謎の女性によくわからないモノを渡されたのだと知っている。初対面でそんなことがわかるという理由なんて一つしかない。
「――――お前と同様に、俺もまたその女から寄越された【神秘の宝玉】の所持者だからだ」
こちらの予想をなぞるように、鼬はそう言った。
そう、私の状況を知り得るというのならばその理由は一つしかない。
――――彼もまた、同じ状況下にあるというだけだ。
「神秘の宝玉を所持者が奪い合うこの戦いは、【神秘の戦争】と呼ばれている」
その言葉に、何だか眩暈がする。
ああ、いっそ夢であって欲しかった。
陸奥蒼依という名前だけのキャラが出ました。主人公と同じ苗字を持っていますが、さてその人物は一体何者なのでしょうか。と言ってもすぐに分かりそうな気がします(笑)
次回はその名前の人物と、物語の核となる『アルカナ戦争』について触れます。