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瞼を開く。
私の視界に飛び込んだのは、あたり一面が鏡となっている空間だった。広さにしておよそ二十畳くらいだろうか。私一人では広すぎる室内は、多方面に設置される鏡が合わせ鏡となって私という存在を無数に存在させているように見えた。
もちろんここは、あのカプセル型のVR機器の中じゃあない。現実から離れた仮想現実の中だ。
そして無数の鏡の中にいる私は、すでに『私』の姿ではなかった。
赤銅色の腰までの長い髪に、右側の一房だけ白金メッシュが掛かっている。それから、琥珀色の瞳。これが私が作った容姿などの外見のデータ。こういった本来の容姿からかけ離れたような外見がゲーム内で活動する『自分』となり、IDカード内にデータとして保存されている。大体IDカードを作成した後、ドリームイーターのような専門の施設でデータをいじることが出来る。
性別や骨格自体は変えられないから、男にしたり身長を低く、高くするというのは無理だ。声帯も変えられないからだいたいは声でバレてしまう。けれど、身を引き締めて女の子っぽくしたり、胸をぺったんこにして男の子っぽくしたり、というのは可能。実際にそういうことをする人もいる。
外見を自由に変えられるというのは、ちょっとした擬似整形みたいで楽しい。
私のデータは、一年前、RF-COを出している会社の人気作品である学園ファンタジーVR-MMOを初めてプレイした時に作成したものだ。魔法学園モノをテーマにしていて、それはRF-COよりも冒険度が低く自由度がとても高かった。MMORPGと違って戦ったりなんだりレベルがどうのこうのというものは比較的少なく、どちらかというとほのぼのとした魔法による研究と生産、学園という舞台を楽しむようなものだった。
初めて作った容姿のデータなので、とても思い入れがあるから変えていない。ファッション感覚でころころ変える人もいれば、もう一人の自分という感覚で貫き通す人と様々だ。
『データシンクロ率を計測します。指示に従って動いてください』
そんな音声がどこからともなく聞こえてくる。
シンクロ率というのは、ちゃんと意識に従って身体が動くかどうかというもの。
これは初めてプレイする時や、ログアウトして外装データをいじった時などに行われる五分程度の動作確認テストのようなもので、シンクロ率が90%未満となると本来の機能が正常に作動しない恐れがある為ログアウトさせられる。
とは言え、システムを勝手にいじって骨格や性別を変えたりするようなデータの改竄がされていない限り、ほとんどの人は95%から100%のシンクロ率を出す――あからさまに胸を盛っていたり、痩身の人が巨漢に設定していたりすると話は別なんだけど――。
音声に言われるままに、身体を動かす。
一通りの行動検査が終了すると、少ししてから結果が出た。
『シンクロ率99%。問題はありません』
む、外見は髪の色と長さや目の色以外はほとんど変えていないはずなんだけどな。
…………。
………………。
……………………少しだけ胸に見栄をはっただけだもん。
◇
「K・A・N・A! KANA、これでどうだ!」
『すでに使用されているユーザーネームです』
「うおおおおおこれもかああああ!!」
時間はかかるだろうな、と踏んでいたけれどまさかここまでとは……!
私に残された最後の関門、そう、ユーザーネームだ。
ゲーム内で使われる名前。本名を登録している人もいれば、HNのように別名を使っている人も当然いるわけで、私が望んでいたことごとくのユーザーネームが使用されているという結果になっている。
「くそー。もう思いつかないよー。かと言って変な名前にして変な風に呼ばれるのは嫌だしなぁ」
最初につけようと思っていた前回も使ったユーザーネームの『ソウ』がすでに使われているのは、やっぱり予想がついた。だけどまさか苗字の陸奥まで駄目とは思わなかったなぁ。陸奥なんて苗字珍しいから絶対いけると思ったんだけど……よくよく考えたら有名な漫画のキャラに『陸奥』ってのがいて、そのキャラが好きな友人に結婚してくれって冗談で迫られたことがあったっけか……なんてどうでもいいことを思い出してしまう。
「はー、どうしようかなぁ……」
さしあたりのない名前でもいいから、決めないことには始められない。ユーザーネームを決めるだけですでに三十分が経過した。本当に時間というのはあっという間だ……。
少し考えて、目の前の半透明なパネルに文字を打ち込んでいく。
「よーし、じゃあ奏のアナグラムで、……『ナディカ』、設定!」
『すでに使用されているユーザーネームです』
「誰が使ってんだよおいぃぃ!」
頭を鏡にたたきつけたい衝動を堪えて叫ぶ。
ナディカ、おまえだけはゆるさないぜったいにだ!
「あーもう、だめもとでもう一度、ソウ、設定!」
カタカナでソウ、と打ち込んでから、どうせまた音声データの無情な否定が飛んでくるだろうし、と思って別の名前を考えようとした瞬間。
『――――。使用できるユーザーネームです。ユーザーネーム、【ソウ】を反映しますか?』
えっ、何いまの間。じゃなくて、何で一番最初に駄目だったソウが使えるようになったの?
「……誰かRF-COのデータ消したのかな?」
考えられる可能性としては、RF-COをプレイする前に作るシステムデータの削除。言うなればセーブデータみたいなもので、もうプレイしないと思ったならデータの削除が出来るようになっている。
単純に考えればそうなんだけど、なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか……。
どうしようか悩んだけれど、このままずるずると妥協して変なユーザーネームになるのは嫌だ。正直、本名の『奏』の音読みである「ソウ」が使えるなら、それに越したことはない。もともとそのユーザーネームが第一希望だったんだし、それが通るのなら文句なんて言ってられない。
「よーし、『イエス』!」
こうなりゃ自棄だ、と言わんばかりにOKボタンに触れて確定する。
『――――。ユーザーネームを反映しました。システムデータを保存しています』
とりあえず今日は下見が目的だ。ようやく親の許しを得てすぐに来たとは言え夕方までにログアウトして帰らないと、怪我が治ったばっかりなのにお母さんに心配をかけちゃう。
一人っ子なんだから、これ以上心配をかけないようにしないと――――。
『システムデータの保存が完了しました』
無機質なアナウンスが響く。
私の格好はと言うと、頭は明るい赤銅色の長髪に一房だけプラチナのメッシュ入り、琥珀色の目に、初期装備とされるゴーグルに片胸当て、黒いインナーとオレンジを基調にした皮革のジャケットにベルトにズボンという皮革装備一式。
背中には初期の武器として選んだ薙刀を背負っている。初期武器からいろいろ選べるのは正直ありがたい。槍と薙刀と弓と少し迷ったけれど、薙刀は女性プレイヤーにお勧めと言うことでそれにした。
無料体験の時には剣を使ったんだけど、確か「おまえは猪突猛進だから遠距離攻撃が出来るのか長物にしとけ」って言われたんだよね……。
職業は冒険者。
RF-COでは、最初は皆冒険者から始まる。Lvが10に達すると、冒険者から下位職業に転職できる数が広がり、そこからさらに上位職クラスチェンジが可能となる。
もちろんクラスチェンジして上位の職に就けば、装備できるスキルも格段に増えるので目指すは転職後のクラスチェンジだ。転職とクラスチェンジは基本的に異なる扱いになる。簡単に言うと、転職はあくまで職を変えるもの。クラスチェンジは、その職の上位クラスに変わるというものだ。
必要条件を満たさなければクラスチェンジできない上位職もあるので、そこらへんは本当にやりがいがあると思う。
とりあえず私は、何に転職するかっていうのはまだ決めていない。
それは一つ一つ見て、自分で考えて、あとはフィーリングで決めればいい。
とにもかくにも冒険だ!
もう躍る心が抑えきれなくて、胸が高鳴ってる気して手を当てる。
『――ゲームを開始します。チュートリアルを実行しますか?』
む、これは初心者用の説明というやつか。
でも基本的な操作なら三ヶ月前の一週間という無料体験期間で経験済みだから、基本的なことは問題なしだ。
改めて教わるものでもないし、時間ももったいないので『SKIP』ボタンに触れる。
『チュートリアルをスキップします。【レーツェル・リーゼ】への門を開きます』
鏡だった部分が地面に沈んでいく。そこは扉になり、扉はゆっくりと左右に開かれた。
眩い光と白い渦。そこがどうやらゲートと呼ばれるものらしい。ここをくぐれば、始まりの街に転送されるのだ公式サイトには書いてあった。
レーツェル・リーゼというのは、この世界の『名前』。
そして大きく五つの大陸と、四つの大国で構成されている。
剣を象徴とする武人の国、神薙ノ国。
杖を象徴とする魔術の国、マギカ。
金を象徴とする商人の国、エル・ドラディア。
杯を象徴とする神聖の国、グレイシス。
この四つの国を中心に、様々なダンジョンや街や村が存在する。とりあえず初心者が最初に始めるのは、この中の商人の国、エル・ドラディア付近にある『始まりの街』と呼ばれる場所だった気がする。
一歩踏み出して、その光の渦へと身体を進めていく。
これから、私の冒険奇譚が始まるのだ、と逸る心のまま、意識を投じた――――。
◇
――――汝、扉を開く可能性を秘めし者。
この大地は、あらゆる神秘を秘めた箱庭である。
…………ん?
――――箱庭の空、『理想郷』の扉は閉ざされている。
…………なんだろう、オープニングかな?
女性の声が聞こえてくる。光の渦の中、しかし映像らしきものはどこにもない。
――――汝、二十の神秘の欠片を求め、
閉ざされた扉を開く可能性を持つ者。
……クエスト?
いやいや。いきなりそれはないっしょ。いくらMMORPGだからってOPでクエスト説明とか……。
――――二十の『神秘』がすべて揃う時、
『審判』は下される。
アルカナ……?
あれ、どっかで聞いたような……?
――――これは秘されるべき戦いの幕開け。
『世界』の扉を汝の手で開く時、
汝の望むあらゆる願望は奇跡によって成就され、
汝はこの箱庭から解放を得るだろう。
えっ?
今ものすごくとんでもないことを言われたような。
すると突然、私の目の前に流星のように光が飛来して降り注ぐように落ちる。キラキラとそれ自体が光を放ちながら落ちてきて、思わず両手で受け止めるとそれは五センチ大の丸い装飾のついた宝玉だった。
無色透明で色はない。
体験版ではこんなことなかったはず。てかこれ何だろう?
疑問に思って首を傾げていると、その宝玉から光が止んだ。
何? えっ、何?
不意に、何もない空間に、美しい翡翠色の髪をした女性が立っていた。
なんというか、言うとするなら絶世の美女、というか。透き通るような白い肌、慎ましやかな珊瑚色の唇、小さな顔に桜色の頬、澄み切った青空のような碧玉を埋め込んだような双つの眸。
「……十九番目の神秘の欠片を、貴女に授けます」
先ほどまで聞いていた声が、彼女から発せられる。
その表情はどこか悲しそうで、それなのに瞳は強い意思を秘めていて、そのギャップに思わず息を呑んでしまった。
わけが、わからない。
どういう意味かを問いただしたいのに、身体が動かなかった。
「神秘を求め、【箱庭】へおゆきなさい」
その一言によって、私の意識は直接ライトを当てられたかのように、真っ白に染まっていった。
冒険が始まらない(´・ω・`)
複線をいっぱいちりばめて後でちゃんと回収できるのかが不安です。
誤字脱字などありましたら教えていただけると幸いです。