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陽は完全に地平線の彼方へと沈んでいき、空には丸い月と現実世界じゃプラネタリウムでしか拝むことが出来ないような満天の星空が暗い夜空に散りばめられたように煌いている。
月明かりのおかげか夜の七時を過ぎた頃でも暗さをあまり感じず、私のレベルが6になると同時に、鼬から「今日はここまでだ」という制止がかかった。
だんだん敵の動きにも慣れてきて、身体が思うように動いてきていたのに、その制止の言葉はちょっと意外だった。
「どうして? まだまだやれるよ」
ぐっと拳を握り締める。鼬は手を出さないしほとんどソロ戦闘のようなもので、休息を含めて戦闘をしているせいで結構時間を喰ってるから出来ればもっと鍛えて今日中には下位職に転職できるLv10に達したいところなんだけど。
「七時を過ぎた。魔物の質が変化する」
「え?」
魔物の質が変化?
何ソレ、と思っていると、周囲の地面がぼこぼこと土がせり上がり、中から茶色い骨と皮しかないような手が出てきた。
「うおおおおおなんじゃありゃホラーか!!?」
次々と頭やら身体が出てきて、骨と皮と土で出来てますというような魔物がゆらゆら不安定な体勢でこちらへと迫ってくる。
バイオなんたら的な感じというかここフィールドは墓地じゃなくて平原のはずなのにどうしてゾンビ系統が出てくるんだよ!
「いやいやいや、なんでゾンビ!?」
「ゾンビじゃない、土人形だ」
「骨までリアルなんだけど土で出来てるとな!」
つか土人形を名乗るなら土偶で来いよ!
そんな突っ込みもむなしく、ゾンビに近い姿をした三体の土人形――――つかクレイって粘土のことだよね。粘土……?――――に対して武器を構え戦闘態勢を取る。
一歩下がって下段に薙刀を構えると、不意に三体のうちの一体が手を上げる。
む、何だ? あの間合いじゃ攻撃は届かないけど――――いや大丈夫、今までの魔物みたいに間合いを保ちつつ攻め込めばいける!
「っ馬鹿! 間合いを取るな!」
……そう思っていた時期が私にもありました。
「へっ?」
一体の土人形が地面に手をついた瞬間、その場所に淡い黄色の光を放つ小さい魔方陣が広がった。
鼬の声が聞こえた次の瞬間には私の足元から土柱が突き出しておもっくそ腹部に突き刺さる。
「が、っ、――!」
鈍い衝撃が腹部に走る。激痛というわけではないけれど、視界の端のHPゲージが三分の一以上も削られて薙刀を支えに何とか倒れるのだけは堪えた。
ちなみに余談として、RF-COの痛覚というのは、どんな攻撃を喰らっても一定だ。最初に軽く叩かれるような鈍い痛みがきて、ダメージが大きければ大きいほど身体が重くなるような感覚。あとは僅かに痺れるような小さい痛みが続くというもの。でもこれは臨場感を出すための演出であって、仮想空間で痛みを感じたくないプレイヤーはシステム設定でオフにも出来たはずだ。
「っつつ、……てか、今の何!?」
「地の魔術だ。ここはマギカの領内、魔術を持つ魔物がほとんどだ。とは言え、初心者用のダンジョンでは『夜』にならないと出てこない類なんだが――――」
事情を説明する鼬が腰から剣を抜いて、私の腕を引いて無言で後ろに下がらせ私の前に立つ。お、おう、さりげなく庇う仕草にちょっと驚いた。
「二体削る。一体はお前が倒せ」
「お、おす!」
鼬がそう告げると、手首を返し魔物の元に疾走した。残る二体の魔物が手をあげ、そして数秒の間を置いて地面に手をつく。
二つの術式が魔方陣を描き、鼬の左右から挟みこむように土柱が地面から突き出た。
「いた――」
ち、と呼びかけた声は掻き消える。
ほんの一瞬。瞬きをしていたら鼬が何をしたかも見逃していたところだった。
ただ振り払うように手を動かしただけ。その動作だけで、鼬の身体は一瞬だけ淡い青緑の薄い膜に包まれ、次の瞬間には突き刺さろうとしていた二つの土柱は粉々になった。What!? 今何が起きたんだ……?!
そして詠唱硬直と呼ばれる、魔術発動後の硬直で動けない魔物二体に一閃。面白いぐらいに一撃で沈んだ。力量の差を思い知らされるような、それでいて見ているだけで興奮と憧憬を抱く姿に、薙刀を握る手に力が篭る。
私も、ああなりたい。
私にとっては互角の敵でも、鼬にしてみれば雑魚敵だ。そんな雑魚敵を一刀の下に沈めたからといって別に特別すごいことではない。Lv差がありすぎる雑魚を一撃で倒したところで誇ることなどなにもないというように、鼬は無表情のままだ。逆にドヤ顔なんてしたらそれだけでドン引きしたと思う。
負けてられない、なんて柄にもなく思った。
いや、実際私と鼬じゃ勝負にすらなり得ないんだけど、それでも私は情けない姿を見せたくないと思った。
残るは一体。私に魔術を食らわせた土人形だ。さっきみたいに間合いを置いたら同じことの繰り返しになるのは目に見えている。
だったら――――、
「魔術を喰らう前に攻め込む!」
そう決めて薙刀を下段に構えたまま駆け出す。ダン、と地面を蹴って左手を下げて右腕を上げると、薙刀の刃が上を向く。
「はあっ!」
手首を返して土人形に振りかぶり、袈裟懸けに斬り下ろす。土人形の胴に命中したけれど、HPバーは四分の一しか減っていない。くっそ硬い。はじかれないだけマシか。
刃物系の武器には切れ味というものがあって、切れ味レベルは1から最大10まで存在する。
初期装備のこの銅製の薙刀は当然切れ味レベルが1。スキルの中には切れ味スキルというものも多分存在すると思うけど今はそんなことはどうでもいい。
――――ちなみに打撃系(槌やナックルなどの武器)は切れ味の変わりに硬度という。
「せぃやッ!!」
振り下ろした薙刀を引き寄せて、手首を返す。手前のほうを掴んでいた左手を離して柄に指先を添えたまま滑らせ、同時に右手もスッと柄頭の方へとずらして持ち手を入れ替えた。刃先を土人形へと向けて、そのまま左から腰に重心を落として横へと払い、土人形の首を落とすつもりで振りぬく。
HPゲージは半分近くまで減ったけど――――!
「くっ!」
やられっぱなしでいられるほど甘くはないらしく、土人形の拳が肩に直撃してのけぞった。
む、痛いけど耐えられる。HPが今ので半分まで減らされてしまったけど、あと二撃入れられれば私が勝てる。
ふぅ、と息をついてから武器を構えなおす。私のほうが早い。二回攻撃を入れるだけ、地面を踏みつけるように踏み込んで斬りかかる。が、土人形は私の予想に反する行動に出た。
「あ」
ガギンと鈍い音を立てて、土人形の腕が私の薙刀をはじいたのだ。
はじかれた反動で両手が上に引っ張られる感覚があった。つまり胴ががら空き。これはやばい、と一瞬で頭の中が理解した。
次の瞬間に突き出された土人形の土臭い拳が、私の腹部に叩き込まれた。
「――――!」
一瞬視界が白くなる。『気絶』状態にさせられて、視界が歪んでいるのだと気付いた。
HPゲージがさらに半分に減ってる。次の一撃を喰らったら最後だ。あれ、そう言えばPTで死んだらどうなるんだっけ。
ダメだ、倒さないと、でも手に力が入らない、身体が重い、ああもう、っ動けよ私の身体――――!
数秒の間を置いて、視界がクリアになった。
こんな隙だらけの状態で土人形が私にトドメをささないなんてそんな馬鹿な。RF-COの敵AIは馬鹿みたいに賢いというのは聞いたことがある。雑魚もそうだ。油断すると雑魚でも詰むとかなんとか。
どうして、と顔を上げると、理由はすぐに解明された。
首がない。
土人形の顔があった場所はなにもなく、手を上げた状態で硬直していた土人形は、私の前で身体を崩し倒れた。その身体はすぐに光の粒子と化して消滅する。
これが土人形じゃなかったら軽く錯乱してた。血も何も吹き出るようなものじゃなくて本当によかったと思う。それにしたっていきなり首がなくなると正直心臓に悪い。
「…………」
きん、と音を立てて剣を収めた鼬が無表情で私を見ていた。
何を思っているんだろう。聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気持ちだった。
鼬は、私に倒せと言った。
でも私は、あいつを倒せなかった。
なんだろう、この感じ。なんていうか、胸の奥がむずむずするような感覚。
だけどそれ以上に、赤ゲージまで磨り減っている体力が、身体に重力を上乗せしてるようで重い。
座り込んだら立てなくなりそうで、薙刀を杖みたいに支えにして何とか立っている状態の私を見て、鼬は一度目を伏せた。
「今日はここまでだ。ダーリトンに戻るぞ」
それだけ。
私に対して何も言わず、無表情で抑揚のない声は、何を考えているのか解らなかった。
それが、少しだけ悔しい、なんて思って。
だから私は、崩れそうになる膝を意地でも堪えながら頷いた。
◇
『治癒術』のスキルをセットした鼬にHPを四分の三まで回復してもらうと、身体への重さは和らいだ。
鼬に、土人形の魔術をどうやって破壊したのかを聞くと、どうやら『魔術障壁』という魔術で打ち消したらしい。上級魔術を軽減、中級魔術を半減、下級魔術を無効にするとんでもない防御魔術で、しかもそれは『魔装』という魔法剣士の職業スキルを発動している時のみ無詠唱で発動できるという。なにそれすごい。
ザーニャ平原を抜けてダーリトンへと戻ってくると、そのまま宿屋に入った。
鼬が取った部屋でとりあえず今後の話をすることになったのだけど、途中から鼬の声が飛んでる。いや、鼬が意図してそうしてるわけじゃなくて、私の思考がうまく捉えられないんだ。
あれ、これ、どうなってるんだろ。
システムの不具合? またバグ? 五感がおかしい。視覚も聴覚も正常じゃない気がする。意識がはっきりしない。気を引き締めないと飛んでいってしまいそうになる意識に、鼬がようやく私の異変に気付いたようで、どうしたと問いかけてくるけど、――――。
(む、ダメだ、……意識が)
飛ぶ。
「ごめん、」
なんとかそれだけを搾り出した瞬間、私の意識はブラックアウトした。
◇
ふわふわふわふわ。
なんだかすごくふわふわした場所にいる気がする。
周囲は酷い霧というか靄というか、辺りが見渡せず数メートル先も何があるか見えないくらいの風景の中に私はいた。どうしてこうなった。
「あれぇ……?」
地面は大理石の床みたいに固い。だけど動くたびに水面をつつくように波紋が広がるのが、なんだか面白かった。
ていうかそれより、ここは何処なんだ?
「……夢?」
いやぁまさか。RF-COには確か夢を見る設定なんてなかったはずだ。
となれば、やっぱりシステムの不具合かなにかじゃないだろうか。もしくは、私の『本体』に何か起きたか。もしそうだとしたら、のんびりしてる場合じゃない。このままバグでログアウト、なんてことも可能になるならぜひともそうしたいけれど、しばらく待ってもそんな気配はなかった。
(なんなんだよ、もう……ここは一体何なんだ)
痛みそうになる頭を抱えて、私は溜め息をついた。
――――その時だ。
かつん、と私以外の足音が聞こえてきて、私は反射的に顔を上げた。
「え?」
靄の向こうから人影が現れる。その人物を見て、私は双眸を見開いた。
いやまさか、そんな馬鹿なことが。
「おとうさん……?」
幼い頃一度だけ写真で見た名前も知らない私の【父】の顔が、そこにあった。
長いだろ……まだ一日しか経ってないんだぜ……。
本当に濃厚すぎる一日です。奏の頭パンクするんじゃないかこれ(´・ω・`)