レモンの島で芽吹く少女の夢①
「フーりん。せとうちは、日本の首都なのか?」
「ぷぷぷ。違いますよ。ジェラルダさんってば、女神の息子なのにおバカさんなんですね」
「……フグの姿に戻して火あぶりにしてやろうか」
フーりんは「ひぇ」と声を漏らしたあと、その範囲をざっくりと説明した。日本の本州、四国、九州に面した範囲を『せとうち』と呼ぶらしい。内海のことを『瀬戸内海』と呼ぶとも。
「せとうちは広いんだな。さて、どこからお宝を頂くべきか。ん?」
港町の方から澄んだ黄色い泡が飛んでくる。鼻に抜ける落ち着く匂い、ほのかに酸味のある香りで、嗅ぐだけで身体の緊張が和らいだ。意識してみると、せとうちのあらゆるところから湧いているようだ。
「なんだこの黄色い泡は? せとうちにも、マナの様な生命力を生み出す物質があるのか?」
「僕には何も見えませんよぅ」
どうやら、この黄色い泡は、女神の血が流れている俺にしか見えないらしい。何かがこの泡を発生させていることは確かだが、今はせとうちの宝のことだけを考えよう。
「さて」
俺は、親父の言葉を思い出した。
女神の母さんが唐揚げというものを食べて笑顔になったことを。それならば、女神の血を引く美しい俺はどんな表情をして笑うのだろう。
俺はフーりんに訊いた。
「せとうちに旨い唐揚げはあるか」
と。
フーりんは目を点にして、
「唐揚げは日本のどこにでも有りますよぅ! 鶏肉に衣をつけて揚げたら唐揚げですー!」
と言ったあとに、
「あ。でも、瀬戸内レモンをかけたらめちゃくちゃ美味しいって、漁師さんたちが言ってた! 有名なのは広島の瀬戸田レモンなんだって!」
そう言った。
瀬戸田レモン。瀬戸内レモンとどう違うのか。
いや、おそらく瀬戸内レモンは広義の意味で、広島の瀬戸田というところに有る物を瀬戸田レモンと言うのだというのだろう。
フーりんによれば、
「酸っぱいけど、瀬戸田町のレモンは、皮ごと食べれるんですよぅ! グリーンとイエローの2種類があって、今はイエローのレモンが成るって言ってました!」
らしい。
レモンとは、酸っぱい食べ物で、皮ごと食べられるのは珍しいのか。
また、フーりんが楽しそうに、
「瀬戸田町は2つの島の中にあって、レモン畑だらけなんだよぅ♪」
そう言う。
フーりんは、海の生き物だから、レモン畑を見たことはないようで。どういう物なのか、想像だけしてみた。
(レモン。畑で育つということは、そんなに大きな物ではないな? 島じゅうに成るということから、イモの様な物だろう)
唐揚げを一層美味しくするアイテム。もしかしたら、そこで俺は新しい感情が湧くかもしれない。
母さんは、どんなふうに笑ったのだろう。息子である俺は、どんな顔をして笑うのだろう?
「唐揚げに瀬戸田レモンをかけたら、笑顔になるのか?」
俺の言葉を聞いたフーりんが、複雑そうな顔で、
「漁師さんたちは、海の生き物を捕獲したときに『大漁だー!』って笑顔になります。食べることにとても執着を持っているなら、笑顔になるんじゃないですか? 僕らにとっては恐怖でしかないけど……」
そう言った。
確かに、仲間が漁師に攫われて、食われるのは辛いだろう。天然のフグということは、何度も仲間が捕まる場面を見てきたはずだ。
そんな恐ろしい捕食者の姿に変えてしまった。
(人型に変えたのは残酷だったか……)
いろいろと考えていると、フーりんが、
「でも、今は人間の姿なので! 食べる準備、出来てますよ、ジェラルダさん!」
と腕まくりをして舌を出した。さすが天然のフグだ。養殖とは違って、適応力があるな……。
「じゃあ改めて自己紹介だ」
怪盗マントが瀬戸内海の潮風で靡く。自慢の紅い髪は、心地よい日の光に晒されてより神秘的に輝く。
「俺は、異世界より来た怪盗ジェラルダ。日本の宝を俺なりの美学で頂きに来た。女神の息子だ。本日、せとうちの味覚。瀬戸田レモンを頂く!」
海の波が拍手する様に折り重なって鳴る。
(決まった)
目の前のフーりんは、
「女神の息子なのに、目立たない離島の町のレモンを盗む怪盗……? なんかマヌケだな〜」
とバカにするように目を細めた。
「なんだよ。じゃあ、怪盗は何をしたら格好良いんだ? 俺の親父は大怪盗だけど、他人の宝を盗んだ奴だ。俺はそれを踏襲したくない」
フーりんは、
「それを考えるのも、怪盗じゃないですか。というか、何も考えずに怪盗を名乗るなんて、女神の息子なのにちっちゃいですねぇ〜」
と、偉そうに言った。
癪に障る言い方だが、そのとおりだった。怪盗という響きの良さで『怪盗ジェラルダ』と名乗ったが、何をするのかがブレブレだ。
怪盗といえば、もっとこう……。
闇夜や月さえも舞台に変えて、華麗に獲物を頂く格好良い存在なのではないか?
「……うむ。しかしながら、人の宝を盗むのは、美しい俺の美学に反してる。だったら、人の忌むべきものを盗み、人を笑顔にしたいものだ」
俺の独り言に「裸踊りでもすれば?」と茶々を入れるフーりん。腹立つ。
「取り敢えず、瀬戸田って町に行ってみるか」
俺は女神の息子。
どんな空間も移動できる。もちろん、文字情報を探り当てたり人の些細な話し声を聴いたりすることも出来る。
異世界の言葉だって容易く理解できる。
耳を澄ませた。
《──また朝が来た。つまらない朝が──》
少女の気怠そうな声がする。周囲の音から、瀬戸田に住む者だと分かった。
「つまらない朝、か……」
女神の息子である俺には、奇跡を起こす力がある。少女が言う『つまらない朝』を吹き飛ばしてしまえば、それは『つまらない朝を頂いた』事にならないか?
「よし、決めた! 俺は少女から『つまらない朝』を頂くぞ!」
「え、瀬戸田レモンは?」
「あとで普通に貰いに行く! そこら辺でドロップ出来そうだから!」
「ドロっぷ……? て、ええええええ!!??」
俺は間抜けな声を出したフーりんを抱えて、声の持ち主の居場所を探り当て、移動した。
そこは散らかった暗い部屋だ。布団にうずくまる少女の姿がある。
(なんだあの光る四角い板は?)
少女は板に夢中で、俺たちに気づいていないようだ。声を掛けようとしたら、
「……つまんないのよ、田舎の休日なんて。あーあ、事件でも起こらないかしら」
と、物騒なことを言って布団に包まってしまった。そのまま眠りにつく。寝息がうるさい。
(まるで魔物のような生き方だな……)
俺は女神の息子だ。
少女の心の内を探ることもできる。しかし、生きる目標もアイデンティティも、何も無かった。ただ1日にどれだけSNSの『いいね』というボタンが押されるのか。それだけが休日の彼女の楽しみなのだそうだ。
(確かに、つまんねぇだろうなー……)
永遠の命もない人間が、日々の人の生き方に『いいね』を送り合う。まるで、観測者の様な生き方だ。
──《我が夫エセールもそうですが、人の血が流れる者に退屈は似合いません。だから人は旅や冒険をするのだと思います》──
(母さんがそう言ってたっけ……)
光る板は、しばらくして光を失った。おそらくこの魔性板のようなものが、少女の本来の力を奪っているのだろう。
俺が、それに触れようとした。瞬間、
「──へっくしゅん! ふぐぅ……」
フーりんが大きなくしゃみをする。少女が目を覚まし、大きな黒い瞳で俺の橙の目を覗き込む。
……、
…………。
「うわー! 不法侵入ーーっ!!!」
「ち、違うんだ。俺は怪盗ジェラルダ! お前の『つまらない朝』を頂きに……」
「なにそれ、きっしょ! きっしょ! 出てけぇ!!!!!」
少女は枕やクッションを俺に投げてきた。しかし、魔性板のようなものは、大事に握りしめて決して離さない。
(投げてこないということは、装備しているのだな。もしかしたら、取り外し不可能な呪いのアイテムなのかもしれない)
あの板には不思議な呪いがある。
(人を観測する様な『いいね』という数字に取り憑かれた少女を救いたい)
そう思った俺は、怯える彼女に問いかけた。
「お、お嬢さん。たくさん『いいね』がもらえたら、あなたは笑顔になりますか?」
女神である母さんを意識した問い掛けだ。なるべく落ち着くような声色で言った。
少女は混乱しながら「バズりたいけど、こんな田舎じゃ無理だよ!」とキレ気味で応える。
取っ掛かりが見えた俺は、
「じ、じゃあ。一緒にバズるネタを探しに行こう!」
「へ?」
そう言って、透明な光になって宙に浮く魔法を彼女に掛けた。これなら外見を気にする女性でも、今直ぐに外に出られると思ったからだ。
「それじゃあ、正式に予告するぞ。怪盗ジェラルダは、少女の『つまらない朝』を頂きます!」
「うわーダッサ〜!」
少女の声は俺の予告に心底拒絶を表していた。
(ダサいとか、心が抉れること言うなよな!)
傷つくだろ……!
魔法を以てしても、未だ少女は光る板を持ち、ジッと眺めながら退屈そうに文字を打っている。
夢だと思っているのかもしれないな。
(ふふ、女神の息子である俺と神々の国日本の加護があれば、少女1人の笑顔なんて、簡単に引き出せるさ)
「よし、ゆくぞ!」
俺達は窓から颯爽と、輝く朝へ飛び出した。
(黄色い泡の数が多いな。これはなんなんだ?)
やたらいい匂いのする朝だ。
「……それはそうと、何か忘れているような気が……ん?」
考えていると、風の流れが大きく変わった。荒々しい風が後方から吹く。振り返ってみると、
「わぁああ! ジェラルダさぁ〜ん! 僕を忘れないでぇええええ〜!」
空を泳ぐフーりんが、俺たちを必死に追いかけていた。




