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創作民話

高崎山と瓜生島(創作民話20)

作者: keikato
掲載日:2025/10/21

 豊後の国、高崎山の眼下に広がる豊後湾。

 そこには、昔。

 瓜生島、大久光島、小久光島、東住吉島、松崎島など、いくつかの島々が浮かんでいました。なかでも瓜生島はひときわ大きく、東西はおよそ四キロメートル、南北は二キロメートルほどありました。

 島の西側は水深が浅く、大潮で干潮を迎えると砂浜が顔を出し、向かいの高崎山と陸続きになりました。かたや東側は豊後湾でも一番の深さ、およそ七十メートルほどもありました。

 またこの瓜生島は、東のはしに大岩と呼ばれる大きな岩山があり、そのほかのところはほとんどが砂でおおわれていました。

 そうしたことから島には、田んぼはおろか畑もろくになく、緑といえば砂地に、背丈の低い草が生えるぐらいでした。

 ひきかえ対岸にある高崎山は、田や畑こそなかったものの緑にあふれ、びわ、栗、柿、いちじくといった山の幸に恵まれていました。

 こうしたことから干潮の日を迎えると、瓜生島の人々は砂浜伝いに高崎山に渡り、果実を求めました。

 ただ、高崎山にはもとより猿が住みついており、山のふもとの果実は人間たちのもの、山の奥の果実は猿たちのものと、昔から長い間、それぞれ山の幸を分け合っていたのでした。


 およそ四百年ほど前。

 この瓜生島には、濱村をはじめ五つの村に五百戸ほどの家があり、多くの島民が暮らしていました。

 一方、高崎山では猿が増え、そのころすでに千匹を超すほどまでになっていました。そして、なおも数を増やし続ける猿は山をおりてきて、ふもとの果実にまで手を出すようになりました。

「出て行け、こん泥棒が! ふもとん実は、昔からワシらのもんやぞ」

 人間が追い返そうとしますが……。

「なにをいうか。こん山んもんは、ワシらんもんやけんな」

 猿たちは一歩も引き下がりませんでした。

 その後も争いは絶えることはなく、島の者に怪我人まで出るようになりました。


 そんなある日。

 瓜生島の長は各村の長や若い衆を集めました。

「みなん衆、どげえしたらいいかのう?」

「高崎山から猿を追い出すなんち、とてもできんこっちゃしのう」

 島で生まれ育った年寄りが、なかばあきらめたようになげきます。

「そんとおりじゃ。猿んヤツ、そりゃあすばしっけえし、それにかしこいけん」

 瓜生島のだれもが、高崎山の猿はすばしっこいうえ賢いことを知っていたのでした。

「あん猿たちも、いのちきをしなけりゃならんけんのう」

「さあーて、どうしたもんかのう?」

 集まった者たちは首をひねるばかりで、これといった名案がいっこうに思い浮かびません。

 そうしたなか……。

 島の長がつと顔をあげました。

「いいことを思いついたぞ。猿んヤツと取引きしちゃどげじゃろう」

「なあ、長どの。猿と取引きっちゃ、いってえどうなさるんじゃ?」

 若い衆が首をかしげます。

「綱引きじゃ。瓜生島と高崎山とに綱を渡しち、ワシらと猿で綱引きするんよ。そしち勝った方が、高崎山ん食いもん、いただくちゅうことにするんじゃ」

「そげなこと、ヤツらが受けるじゃろうか?」

「なあに、名案があるんじゃ。みなん衆、ちと耳をかしちくりい」

 全員をそばに集め、島の長は耳打ちするように話し始めました。

「綱引きすりゃあ、力んつええワシらが勝つに決まっちょる。じゃからな、ワシらが百人で、ヤツらは山におるもん全部ちゅうことに。そうすりゃ、ヤツらも喜んじ受くんはずじゃ」

「そげんことをすりゃあ、ワシらが負けち、もともこもねえんでは?」

「そこでじゃ……」

 島の長は名案とやらを話して聞かせ、最後にこう言い添えました。

「そんうち猿んヤツ、きっとくたびるんはずじゃ。そこんところを見はかろうちな、ワシらが一気に綱を引き返すという算段じゃ」


 島の長は高崎山に出向くと、さっそく親分猿に綱引きの話を持ちかけました。

「なあ、どげじゃろう。ワシらが負けたら、こんりんざいここにはこんけん」

「そん話、喜んじ受けちゃろう。じゃけんど、ワシらをえろうみくびったもんじゃのう。こん山に、仲間がどんだけおるか知らんようやな」

「猿どんこそ、ワシらをみくびらんほうがいいで」

 島の長は言い返してから、

「綱ん方は、こちらで準備しちょくからな。そんじゃあ、三月後の大潮の日に勝負じゃ」

 親分猿をにらんで勝負の日を告げました。

「よかろう」

 親分猿がキッキッキッと笑います。

 まわりにいた猿たちも、声をそろえてキッキッキッと笑いました。自分たちの勝ちが、すでに決まっているかのように……。

 人間百人、猿千匹で引くゆえ、綱は長くて丈夫でなければなりません。その日から島民たちによって、昼も夜もなく、綱引きに使う綱が編まれたのでした。


 綱を編みあげるだけで三カ月が過ぎ、猿と約束した大潮の日がいよいよやってきました。

 勝負当日の朝。

 島民らの手によって、陸続きになった砂浜に綱が渡されました。その綱の太さは大人の腕ほどもあり、長さも瓜生島の東側から高崎山の中腹までありました。

 瓜生島では男衆百人。かたや高崎山には、猿の大群がすでに集まっていました。

 砂浜のまん中あたりには、瓜生島の長と高崎山の親分猿が立っています。

「はじめー」

 島の長の合図と同時。

 島の若い衆が東に、猿の若い衆が西に向かって、いっせいに旗を振り始めます。

 東側には瓜生島の百人の男衆、西側には高崎山の猿の大群、それぞれがいっせいに綱にとびつきました。

 長く伸びた綱が砂浜から離れて宙に浮きます。

 ワッショイ、ワッショイ。

 エッサ、ホイサ。

 綱は東にも西にも動きません。それもそのはず、綱の東側のはしは大岩に結ばれていたのでした。

 猿たちは、みながひっしに綱を引いています。

 ひきかえ島の男衆たちは楽なもので、綱を引くまねをするだけでいいのです。猿たちがくたびれるのを待って、一気に引き返すという手はずなのでした。

 ところが半刻ほどが過ぎても、猿たちはくたびれるようすがありませんでした。かけ声をあげて、ゆるむことなく綱を引き続けています。


 エッサ、ホイサ。

 それ引け、エッサ。

 それ引け、ホイサ。

 エッサ、ホイサ。

 それ引け、エッサ。

 それ引け、ホイサ。


 いつの間にやら猿は増えていました。鶴見岳や由布岳をはじめ、豊後の国じゅうから集まっていたのでした。


 綱引きが始まって一刻後。

 高崎山の中腹にまで伸びた綱には、千匹どころかその何倍もの猿たちがとりついていました。


 それ引け、エッサ。

 それ引け、ホイサ。


 親分猿のかけ声に合わせ、猿たちの大合唱が高崎山じゅうにひびきわたります。


 エッサ、ホイサ。

 それ引け、エッサ。

 それ引け、ホイサ。

 エッサ、ホイサ。

 それ引け、エッサ。

 それ引け、ホイサ。


 潮が満ち始めるころ、瓜生島にとんでもないことが起きました。

 綱を結んでおいた大岩が、地面からスッポリ抜けてしまったのです。さらには大岩の抜けた穴に、海水が勢いよく流れこんでいきました。

 このとき。

 大きな波が豊後湾にいくつもでき、それらは津波となって、島の四方から押し寄せたのでした。


 瓜生島が豊後湾に沈んだのは、およそ四百年前の一五九六年のことです。

 一方の高崎山には、今ではおよそ千匹の猿が住みついています。

「こん山はワシらんもんやけんな」

 どの猿もほこらしげに観光客をにらみつけ、わがもの顔で食べ物をうばいとります。

 あの綱引きの日。

 高崎山は猿のものとなったのです。


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― 新着の感想 ―
猿の方が、一枚上手だったということですね。私が知らないだけかもしれませんが、昔話などだと、人間と動物が勝負すると、動物が負けるケースが多かったイメージがありますが、意外性があり、とても面白かったです。…
策士策に溺れるというか、何というか……………。 そういう力尽くで策を破るのはチート主人公の役目だろうに、まさか猿にやられるとは……………。
慶長豊後地震で一夜にして沈んだ島のお話ですね… 私が知っているお話だと、「えびす神の顔が真赤になると島が沈む」とのことでしたが、この作品では猿と人の勝負とは今の熊と人の関係を現すようであり、また「卑…
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