朝、起きたら朝だった
瞼に感じる陽射しの暖かさで目を覚ます。
野営地と思われるところで集団で雑魚寝をしていた男。
一人、昇らない朝日を見つめていた。
「また朝か……」
そう男が呟くとからかうような声が次々とかけられる。
「ま~た、セグがなんかいってやがるぜ」
「一体、何世紀前の話をしてんだよ? ハハハ!」
セグと呼ばれた男が振り返ると、幼い頃から彼と付き合いの続く髭面の集団が居る。
一人が駆け寄ってきてセグの肩を抱いた。
「セ~グ! お前の前世の記憶とやらで俺らの生活を楽にしてくれよ? 俺、宇宙いってみた~い!」
「まったくだ。宇宙とやらがあるんならな。お前ら、さっさと狩りに行かないと嫁たちにどやされるぞ?」
ふざけ合っていた男どもだが、リーダー格の男が仕切り出すと真面目な顔になり、銛や網を手に取って準備を始める。リーダー格の男はセグの頭へ優しく手を乗せた。
「セグ。気にするな。お前の前世の知識とやらで助かったのは間違い無いんだ。色々とまだ混乱しているのなら今日は狩りに参加せず、ゆっくり休め」
そう言葉を切り、リーダー格の男は集団を連れ立って海と思える方向へと去っていく。
セグは振り返ること無く、朝日を見つめたまま嘆息した。
「なんで誰も異常に思わないんだよ……」
ちょうど一年前にセグに転換期が訪れる。
狩りの際に大怪我を負い、瀕死の重症となったセグは生死の境の中で前世の記憶を取り戻した。
その日から続けた観察記録。
セグの手記にはこう記されている。
──様々な記録や地層から判断して、現在が西暦7000~8000年相当であると推定される。断定は難しいが、地球の自転が止まったのは恐らく6000年代。気候変動の激動期を経て、現在は安定期に入った模様。
……と、セグは記している。推測の域を出ていないのは確認できていないためだ。
ここでセグが示している安定期とは、大気大循環と偏西風が消失し、海流は凪の状態を維持して大気も無風に限りなく近くなったことを指す。
かつて太平洋と呼ばれた海からは水分が消え、巨大な塩の大地が生まれた。逆にかつてのヨーロッパやアフリカの西部、大西洋の東側を中心に巨大な氷山山脈となり、規模も標高もヒマラヤ山脈など比ではない。
だがセグには、そのことを確認する術が無かった。
「現状の文明レベルではとても現地まで行けないな。俺と同じように前世の記憶を取り戻した協力者を見つけなければ無理だ」
セグの言葉は、現在の文明が2000年代と比べて著しく後退していることと、人類の生活圏が《地球リング》と呼ばれる所に限定されていることを意味する。
常に昼の大地では気温が100℃を超えるため生物が生息できない。
常に夜の大地は、気温は氷点下100℃を下回るため、こちらも生存圏では無かった。
唯一、生存可能なのが《地球リング》。
太陽に対し、外周のリング状のところにのみ存在し、この部分だけに海がある。
地表の生態系が軒並み破壊された今、海洋生物は貴重なタンパク質の源であった。
「行ってみるか黄昏の土地へ。だけど、村長が許可してくれるかな?」
セグは立ち上がり薪の入った籠を担いだ。
素肌の肩には、長年の生活で付いたと思われる縄の痕がくっきりと浮かんでいる。
茂みの中から突然飛び出した影がその痕を強く叩いた。
「ほら! しゃんとしなよ! なんでここにいるの? 皆はもう狩りに出かけてるよ?」
「モニー、叩くな痛い。俺は免除されただけだ」
叩いたモニーと呼ばれる女は悪びれた様子もなく、セグの腕を取って自身の体に押し当てた。
「何よ。前世がどうとか言い始めてから少し変わったよね? ご無沙汰だし、休みならこれからどう?」
モニーの態度にどこかバツの悪い顔をしたセグだったが、表情を引き締め真剣な眼差しへ変わった。
「モニー。真面目な話がある。俺と別れてくれないか?」
「嫌よ」
即答で返されて面食らうセグ。
モニーは睨みを利かせながら、額同士をぶつけてきた。
「黄昏の地へ行きたいって顔をしてる。私ね、セグがそう言いだす予想はしてたの。でも、未亡人になるのも嫌だし、離婚を認めるつもりも無いから」
言い終えるとモニーは激しくキスをした。
突然のキスに戸惑いつつも、至近距離でモニーの涙を見たセグ。そっと瞳を閉じ、彼女を受け入れた。
◇◆◇◆◇
「慣れないなこの感覚だけは」
「そう? そろそろ起きる?」
前世の記憶に引きずられるセグにとって、明るい中で夫婦の営みを行うことがどうにも慣れなかった。
とはいえ、この地では朝しか存在せず、暗い時間を知らないモニーにとっては日常だ。
先に起きたモニーは食事の準備を始めたようで、魚介スープの香りが寝室まで漂い出す。
それにつれられるようにセグも重い体を起こした。
準備が整ったのかモニーが空の鍋を何度も叩く。
「ほ~ら、早く。冷めちゃうから!」
「今、行く」
着替えと軽いベッドメイクを済ませ、セグはダイニングの方へ向かう。
笑顔のモニーが席に着いて待っていた。
二人で食事を始める。朝しか無いので朝食以外は存在しない。
「朝から蟹鍋とは……とても贅沢な気がするな」
「また前世の話? それよりも将来のことを話そうよ。私、そろそろ子供欲しいし」
「モニー、改めてきちんと話し合いたい」
セグが話し始めた内容は、昨日の別れ話のことだった。
彼らの言う「黄昏の地」とは、常に夕方の大地のことを意味していて、《地球リング》上で真逆の位置を指している。
その地を求め、これまでも多くの者が旅立ったが、帰還者は一人も居ない。故に黄昏の地を目指す者は自殺志願者として扱われた。
「俺は生きてより良い明日を手に入れるためにかの地へ向かう。だから……」
「嫌よ。何度も言わせないで」
取り付く島もないが、セグは必死で訴える。
それを聞き続けたモニーはどこか冷めた表情で、視線を外しながら言った。
「仮にセグが本気で目指していたとして、一人でどうするのよ? 一緒に心中してくれと言って、誰がついて来てくれるの?」
モニーの言葉に、セグはガックリと肩を落とす。
視線を落とした苦い表情からも薄々は気付いていたことが伺える。
顎に手を乗せ、興味なさげなモニーが続ける。
「セグは生きて帰るつもりだって言うけどさ。何年かかると思っているの? それに……知らない土地で生きていくのが大変なのは、さすがに分かるよね?」
完全に俯いて一言も発しなくなったセグ。
モニーは席を立ち、セグの肩に一度軽く手を置いてダイニングを後にする。
扉が閉じるのと同時にセグは手記を取り出し、感情のままにそれを破り捨てた。
◇◆◇◆◇
あれから三年。
最初は、全て諦めたような抜け殻の日々を続けていたセグだが、一昨年に娘が生まれてからは育児に全力で取り組むようになった。
セグの笑顔からは黄昏の地へ向かう意欲は失われた……かに見えていた。
大地が、世界が、決意が揺れる。常識を覆すような地震が起こる。
地球が自転を失ってから初となる大地震。
誰もが両足で体を支えることを困難とし、大地に這いつくばって揺れが収まるのを待つ。
強すぎる揺れが故に悲鳴すらあがらず、誰もが早く過ぎ去ることだけを祈った。
祈りが届いたのか、揺れが収まり、倒壊した建物からは次々とうめき声が上がりだす。
いち早く広場へリーダー格の男が駆け出した。
「おーい、皆は無事か? 手分けして村の者の生存確認にあたれ!」
屈強な男たちはすぐさま瓦礫の撤去作業を始める。
皆が口々に文句を言い作業する中、海の方へ走る一人の男がセグだった。
リーダー格の男がセグへ声をかける。
「おい、セグ! どこへいく? こっちを手伝え!」
「すまん! 海を見なきゃならない。それから万が一のときには高台に避難できるようにしててくれ!」
セグは走った。
妻を守るため。娘を守るため。まだ生まれていないお腹の子を守るため。
汗も不安も何もかもを置き去りにし、ただ夢中で。
そうして海の状態が確認しやすい岬へと辿り着き、普段から目印にしていた海食柱を凝視し、潮位に変化が無いかを確認していく。
「良かった。まだ変化はない」
その後もセグは、時間差での潮位の変化が無いかを確認するため、海食柱を監視し続けた。
半刻後。
大きく目を見開いたセグの背には、冷や汗が伝う。
暫くの間、セグは呼吸を忘れて海食柱の影を凝視していたが、ようやく飲み込む心の準備が整ったのか、喉を鳴らす。
「……間違いない。昇っている」
朝、目覚めたら朝になっている。
そんな日常に終わりが来た。海食柱から伸びる影を見て、確信へと変わる。
激動の時代。
期待なのか、決意なのか。セグは強く拳を握りしめた。