90.オメェ何もんだ
――談話室の空気が軽くなった時。
部屋を出ようとした私は、スッと近づいてきたライグルさんに耳元で囁かれた。
「ミーナ?今夜....ちょっといいか?」
(うっ、近いって...!!!)
「?はい、仕事が終わったあとなら...?」
(顔が赤いかもしれない)
「じゃあ。後で迎えに行く...」
(ふわぁ....っちょっと...わかったから...近い...!!)
「はいっっ....!」
私はまた赤くなって、逃げるように厨房に逃げ帰った。
ーーーーー
一段落して人が引いた廊下の隅、わずかな静けさの中で。
ライグルは、ミーナに何から話すべきか、どうやったら彼女の憂いを除けるのか...考えながら歩いていた。
そこへ、背を壁に預けるように立っている誰か...がするりと現れ声をかけた。
「まったく……疑われ損です」
東方風の落ち着いた衣をまとった青年――レンが、眉をわずかに下げて、少し困ったように笑った。
(こ、こいつの気配.....直前まで無かった...只者ではない)
「正直、心外でしたよ。あんな物騒な事件の関係者に見えました?」
「……表情は穏やかだが、動きは素人のそれじゃない。
今も気配を直前まで感じなかった....テメェ何もんだ。」
「フッ、観察眼が鋭いのは、王族の血か……それとも騎士団仕込み?」
レンの声色は穏やかだったが、その目は笑っていなかった。
「……王族?」
ライグルが少しだけ目を細めると、レンはさらりと話をそらした。
「――ま、誤解が解けたなら結構。
それにしても、噂に違わぬ腕前でしたね。ジュリオ君」
「あいつなら間違いない。それだけだ」
「あぁ、あの狼......“ぎんちゃん“もご活躍でしたね...ミーナによく懐いてるみたいで...」
二人の間に、わずかに風が吹き抜ける。
互いの正体と目的を探るように、距離は取っているが、すでに緊張感は張り詰めている。
言葉の応酬は、まるで柔らかな刃の交差のようだった。
レンはふと、視線をライグルの手元へと滑らせた。
「……ところで、ミーナの親子丼、食べたことありますか?鶏肉と卵と出汁が効いてなんとも懐かしい...」
レンがどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
(油断を誘うような話題の選び方。やはり……ただ者じゃない)
「...ない」
「フフフっ、まぁ今日はこれくらいにしておきます...」
(妹バカのヨナスの気持ちがわかる気がするな)
レンが軽く手を合わせ、一歩だけ引く。
「さて。今はこれ以上詮索しません。
……ただ、ミーナ嬢のことは、私も気にかけています。今後ともよろしく――“王子”殿」
(君にミーナの秘密を受け止める覚悟があるのか....見させてもらう)
その一言に、ライグルの表情がほんの一瞬、動いた。
「……“王子”とは?」
「気のせいかもしれません。けれど――金の瞳って、目立ちますよね」
(こいつ……どこまで知ってる? 俺の素性を探るのが目的か、それとも――)
ひらり、と手を振って、レンはその場を離れた。
後に残ったライグルは、しばし無言のままその背を見送り――
「……あれが、個人的な趣味(情報屋)か?……油断ならないな」
小さく呟いたその声には、警戒と、ほんの僅かな興味が混じっていた。
趣味が悪い・・・ライグル談




