08.ミーナ家を出る
グッバイクソ家族
ようやく家に辿り着いたのは、日が少し傾きかけた頃だった。門をくぐっても、誰もこちらを気に留めることはなかった。
すれ違う使用人たちは、私をいないものとして扱う。初めは気にかけてくれた人もいるが、私を庇うと異母妹と継母から折檻されるので、申し訳なく、今の扱いがちょうどいい。
裏口からそっと入り、自室へ向かう。
応接室の扉の前を通ると、異母妹、継母、父がお茶をしているらしい。カーティスとの婚約したこと、異母妹の美しさ、可愛らしさを褒めちぎる話し声が聞こえてくる。新しく届いたドレスや、近々開かれる舞踏会のこと。
私が今日出かけたことを、気づく人は誰も気づかなかった。――――やっぱり。
別に期待してたわけじゃないけど。ため息を着いてしまった。
私はそのまま、音を立てないように通り過ぎて、自分の部屋――正確には屋敷の一番奥、物置き同然の小部屋へと向かった。
扉を開けると、部屋の片隅、年季の入った木テーブルの上に、パンとスープの小鍋が置かれていた。
(……エマ)
きっと、あの子が気づかれないように、そっと置いていってくれたのだろう。継母の目が光るこの家で、私に親切にすることは簡単ではない。それでもエマは、何も言わず。異母妹たちの目を盗んで、こうして見守ってくれていた。
私はそっと椅子に腰を下ろし、まだ少し暖かいスープと固いパンを食べた。味は薄いけど、ちゃんと美味しい。エマの優しさが、温かくて、感傷的になってしまう。
食事を終えると、お腹が満たされて、何だか元気がでてきた!その勢いで、私は荷物をまとめていく。
古びたトランク一つに余裕で収まる程度しかない荷物…。お下がりの服に、お母様からもらった、深緑の宝石がついたネックレスと、母の遺影。これだけは異母妹に取られたくなくて必死に隠して来た。お母様の瞳も私と同じ深緑だ。
荷物をまとめ終わり、殺風景になった部屋を見渡した私は、椅子に腰掛け、引き出しの奥から便箋とペンを取り出す。母が残してくれたもののひとつで、シンプルで質のいいもの。そのおかげで、派手好きな異母妹に取り上げられなくて済んだものだ。
今まで使う機会がなかったのだけど――
今日初めて会った人たちの優しさ、温かさを思いだし私は覚悟を決めた。
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父上、マルグリット様、ジェーン
この度の、婚約の解消は、私にとって想像以上に重く、悲しいものでした。まだ心が追いつかないため、私は家を出ることにいたしました。
身に余る立場や名は、すべて過去のものといたします。これからは、ただの一人の人間として、己の手で生きていく所存です。
どうか、お心煩わせることなく、皆様にはこれまでどおりの日々をお過ごしください。
育ててくださり、ありがとうございました。
ジェーン、末永くお幸せに。
ミーナ・エルフォード
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手紙を折りたたんで、封をした。
そのとき、部屋の扉がそっと開き、エマが涙目で佇んでいた。ほんの少し笑みを浮かべながら…
「お嬢様、、今日…なんですね」
エマには、今日仕事を探しに行くこと。住む場所が決まれば出ていくかもしれないことを伝えていたのだ。
「えぇ、エマ?あなたのおかげで私は人を信じる気持ちを捨てずに済んだわ?あなたがいなければ私は生きてこれなかった。本当にありがとう…
あなたを置いていくのは本当に申し訳ないの…あなたならどんな仕事もやれるのに、私がいたからここにいてくれたのよね…」
「お嬢様………」
肩を振るわせながらエマが答える。
婚約破棄のことを怒ってくれたのは、エマだけ。年が近く私より少し年上のお姉さんのエマ。どうかあなたも自由になって?こんなクソ家族にもう付き合わなくてよいのよ…?私はそっとエマに近づき、笑顔と涙で震えるエマをぎゅっと抱きしめた。
「……ありがとう、エマ。元気でいてね」
小さくつぶやいて部屋を出る。扉が閉まる音は、思ったよりも静かだった。
日が落ちかけた空の下、私はフードを目深にかぶり、屋敷を出る。思ったより感傷的になってしまって、出発が少し遅れてしまった。街には夕飯の支度をしているだろう美味しそうな匂いが漂っている。ついつい食べ物に思考が引っ張られるのが、私らしい…
門限9時まではまだ余裕!――急げば、あの寮に、今夜には辿り着ける…はず。
もう振り返らない。だって、私はもう、自分の足で歩くと決めたから。
私は、急ぎ足で寮へ向かった。
実家着16〜17時、なんなかんやで実家発18時〜のイメージです。