74.親子丼
ーー厨房にて(午後3時頃)
とある日の厨房。夕方の仕込みに入る前の、ほっとひと息つける時間帯。
冬の定番、根菜と鶏肉とレンズ豆を煮込んだシチューの仕込みもひと段落し、使用人たちの動きもゆるやかだ。
私は、醤油と干し椎茸の旨みを活かした親子丼の試作に取り掛かっていた。
本当は昆布も欲しいんだけど..次会った時レンさんに相談してみよう。
キッチンに干し椎茸の香りがふわりと漂い始める。
朝のうちに水で戻しておいた椎茸は、ぷっくりと膨らみ、茶色の傘に旨みをたっぷり含んでいる。戻し汁は薄い琥珀色。出汁として使い、戻した椎茸は少し親子丼に入れて、残りは佃煮にでもしようかな・・(うふっ)
側から見れば、1人でニヤニヤしてる結構怪しい人なのだか、そんなの気にならないくらい私はワクワクしていた。
包丁の刃がまな板に当たるたびに、コトッ、コトッと軽やかな音が響く。戻した椎茸を薄切りにし、玉ねぎも繊維に沿って細めのくし形に。鶏肉はシチューで使った端を少しもらったので、一口大にカットする。
温めた鍋に出汁と椎茸の戻し汁をあわせ、醤油と砂糖を少し入れ火にかけると、甘じょっぱい香りが立ち上る。鼻をくすぐるその香りに、お腹がぐぅと鳴った。
やがて沸騰してから、椎茸、そして鶏肉をそっと加える。
やがて、コトコトと煮立ち、鶏肉の脂が少しずつ溶けていく。干し椎茸の深い香りが醤油と混ざり合い、まるで料理全体に厚みを加えるよう。蓋をしてしばらく煮ると、玉ねぎは透き通り、鶏肉にも火が通ってふっくら。
最後に、とき卵を回しかける。
鍋に流れ込んだ瞬間、卵がやわらかく固まり始め、ぷるんと震える。半熟の状態で火を止めると、まるで絹のような質感に仕上がった!
湯気の立つ炊きたての白ご飯に、その熱々の具をふわりとかける。椎茸の旨みが染み出した煮汁がご飯にしみて、卵と鶏肉が優しく包み込み――
……そして、親子丼の完成。
一口、味見してみれば、干し椎茸の滋味が広がり、醤油の香ばしさが舌をくすぐる。ほっとする、優しい味。
「私天才かも....!!!!」
と自画自賛しながら、ふと厨房の入り口を見ると、レンさんがいた。
「(クスッ)……いい匂いだね。新作かな?」
「.......!!!!」
「ごめんね?一応ノックはしたんだけど、気づかなかったみたいで....
(やばい...!全部見られてた...?....恥)
どこから?嘘でしょ?と恥ずかしくなり、私は赤い顔を下に向けた。
「ちょうど通りかかったから……と言いたいところだけど、今日は君に会いに来たんだ」
「えっ」
驚いている私の目の前で、レンさんは迷いなくスプーンを手に取る。
「味見、してもいい?」
「……どうぞ。お口に合えばいいのですが……」
(東方の味に近いはずだが、前世の記憶を元に作ったから、お口に合うかどうか.....)
「……これは、なんというか。優しい味だな」
レンさんは一口食べて、目を見開いた。
「いや……どこかで食べたような、そんな気がして。懐かしい味だ...うまい。」
「あ、ありがとうございます!」
(?懐かしい....東方にも似た料理があるのかな....?)
ちょっとした違和感を感じつつも、それ以上に、美味しいと言ってくれたことが嬉しくて、私は聞き返さず、会話を続けた。
「干し椎茸のだしと醤油、両方活かしてみました。それに卵を加えたら……前より栄養バランスも良くなったと思います。焼き鳥丼より“進化版”かもって!」
「鶏と卵を使うから、「親子丼」って言うんですよ(フフッ)」
「レンさんのおかげです!本当にありがとうございます!」
嬉しくて「親子丼」、「栄養」とういう、この世界ではない何かについて口走ったことに、その時の私は気づいていなかった。
「!...あぁ、どういたしまして。ふぅ〜ん、「親子丼」ね。妙に言い得てるね。こちらこそありがとう....「栄養的に」って例えば..?」
「卵って、ビタミンCと食物繊維以外は全部そろってるから、“完全栄養食”って言われてるんです。それに鶏肉は高たんぱく低脂質だから、筋トレにもいいんです。ビタミンB群もあるし、卵のタンパク質と一緒に摂るといいって……あ、いや、なんとなくです」
(あ、やばい...喋りすぎた。。レンさんの目が鋭く、私の心の内を見透かされているような気がする。)
「……へえ、それってどこで聞いたの?」
「あっ、昔どこかの……ええと、保存食とかの本で読んだような……」
私は焦りながら、しどろもどろになった。
やば........前世バレ.....国に囲われる未来は勘弁して.....
どうしよう.......
最悪の未来を想像して、私が青くなった。
ーーーーーー
しばらくして、レンさんは静かに食器を置き、小さくため息を吐いた。
「……筋トレにはタンパク質、って言うしな。君、詳しいね」
(ん...?ギリセーフ??この世界にも馴染みのものだったの....かな....)
「君の言うことや行動って──“うちの母と似てる”のかもね」
レンは静かにそう言った。
(え...おかん認定された...!!!!)
喜ぶべきか悲しむべきか、私の感情が忙しい。
しかし、その声は、まるで何かを探るようだ。
「…….」
「味だけじゃなくて、発想も。……ちょっと危ういくらいに、前を見すぎる人だった」
「……そうですか」
ふと、彼のまなざしがやわらかくなる。
「……でも、君は君だから。僕は、“君”を知りたいと思ってるよ、ミーナ」
心臓がどくん、と跳ねた。
やっぱりこの人は、私の“何か”を見抜いている気がする──そんな予感を覚えながら、私は丼に視線を落とした。
レンさんは、しばらく黙ってからふっと笑った。
「....まぁ。そんなに気にしないで。深い意味はないよ...」
「ただ...何か困ったら、、いつでもおいで?...ね?」
「……」
よくわからない。だけど、この人、何かを確信してる...!手には冷や汗が滲む。私はピタリと動きを止めてしまった。
「次は、味噌...持ってくるね?あ、昆布も」
(だいぶ最初から見てたでしょ〜!!恥)
「……味噌や醤油も、今後はもっと安定して作れるようにしたいんだよね。君の味覚、ちょっと協力してもらえると嬉しいな.....
良かったら今度、うちの支店……ちょっとした研究室兼醸造所なんだけど...見に来ないかい?」
(え..?研究所に連れて行って何か調べられるの私!?)
(いや、ただの善意かもしれないし……)
「......返事は急がないよ。君が、自分で決めればいいから(微笑)」
「――じゃあ、またね」」
戸惑う私に、レンさんは大人の余裕の笑みを浮かべ、ヒラっと手を降って出て行った。
ーーーーー
レンさんが出て行ったあと、私はその場に立ち尽くした。
厨房に漂う出汁の香りも、もうさっきまでのあたたかさを失って、ただの湯気に感じる。
(……バレてる?やっぱり)
彼はきっと、何かに気づいている。
だけど――なぜ、「言わない」の?
(……でも、レンさん、栄養の話には変に勘ぐってたけど。むしろ、あの返事……知ってたみたいだった)
じゃあ……まさか、同じように“記憶を持っている”とか? ――それとも、それを知ってる誰かと関わりが?
(……怖い)
さっきまで、優しかった。
私の料理を食べて、笑って、「いつでもおいで」って、言ってくれた。
ラン商会のフェルデン支店(研究所)にも誘ってくれた。
でも……それが、何かの“探り”だったとしたら?
「……っ」
私の中で、レンさんの姿が、少しだけ遠くに感じた。
あの人は、私に近づいてきた。私の“正体”に気づいて?
でもそれを“明かさない”でいるということは――。
「……私の味方でいたい」って、そう言ってくれているようにも思えた。
味方でいてくれるなら……救われる。でも――。
(もし、それが何かの企みだったら……?)
手のひらにじわりと汗がにじむ。
胸の奥が、じんわりと重くなる。
(……だめ、今は考えすぎちゃだめ)
親子丼の湯気だけが、変わらず立ちのぼっていた。
でもその温もりすら、どこか心もとない。
「……味噌と、昆布……。行きたいけど....」
口の中でつぶやいた自分の声が、やけに遠く聞こえた。
(どうか、これ以上深入りしませんように)
(レンさんが――敵じゃありませんように)
まるで、湯気と一緒に、大切な何かが揺らいでいくようだった――。




