05.ライグル視点
予期せぬ獣化を我慢
「……なんだ、この感じは」
訓練を終えて戻ってきたところだった。
戻る通路の先、ふと曲がり角から現れた少女の姿を見た瞬間――
なぜか、胸の奥が少しだけざわついた。
(あれは……厨房の、新入りか?)
少女は目を見開き、こちらを見ていた。
驚いているのか、怯えているのか、それとも……別の何かか。
無表情で冷たいと怖がられることには慣れている。
深緑瞳で、まっすぐこちらを見ている少女に、心の中を見透かされるような気がして、思わず目を逸らしてしまった。
……なんだ。
目が合ったくらいで、俺は何を動揺している…。
そして、何かいい匂いがする。干し草の...何だか懐かしい香り...初めて会った少女への感想がそれとは、俺は変態なのか…
胸の奥が――ひどく騒がしい。
しかも、胸だけではなく、耳と尻尾あたりもムズムズする。
やばいな。これは気を抜いたら耳と尻尾が出てしまう…。満月が近いせいか?でも月の光を浴びていないし、体調は悪くない。なぜだ…?
ライグルは、実は狼獣人で、獣化し銀狼になることができる。月の光の影響や感情が揺らぐと獣化しやすいのだ。
幼少期は意図せず狼化することはあったが、ここ何年かは、自分でコントロールできていたのに。
実は獣人、という秘密を知るのは王家の一部と近しい部下のジュリオ、育ての親のような団長ギルバートくらいだ。
隣では、ジュリオがいつものように、軽口を叩いている。
―――いつものことだ。
セリアの鋭いツッコミも、日常の風景だ。
それなのに、なぜこんなにも、彼女が気になり目が行ってましまう?
「……初めまして。ミーナと申します。よろしくお願いいたします」
礼儀正しい所作。こげ茶色の長い髪を、低い位置で一つに丸めた髪型は、厨房の仕事に配慮したゆえだろう。少々着古された服をまとい、痩せ気味の様子だが、それを上回る所作の美しさや、気品を感じた。そして素朴で、だがどこか、どこか……傷を抱えた人間特有の、静かな佇まい…。
セリアが彼女を紹介し、俺は自然と名乗った。
だがその言葉が、妙に自分でもよそよそしいものに感じられた。油断すると、一部獣化してしまいそうな己の心を律し絞り出した言葉だったから。
「……厨房に住み込みか。……珍しいな。よろしく頼む」
それだけを口にして、目を逸らす。
ずっと見続けてしまいそうで。そして、見ていたら、きっと――表情に何かが出る、物理的にも何か出る(耳と尻尾)気がしたから。
ジュリオの冗談に、セリアのツッコミ。
そのやりとりの間も、俺はほんの一瞬だけ、また彼女を見た。
(……なんだ、あの感じは)
まったく知らない少女なのに、なぜ。
この胸のざわつきは、なんだ。
戸惑いながらも、俺はほんの少しだけ、息を吐いて身体を動かした。思考を切り離すことで、頭の中に巣食ういくつかの雑念を払拭できるはず……
……だった。。
(気のせいだ。疲れてるだけだ)
そう思いながらも、足取りがなぜか、わずかに乱れたことに自分では――気づかないふりをした。