44.夕陽の丘
買い物を終えて、私たちは少し歩きながら街を散策していた。服選びでいろいろあって、時間が過ぎるのが早くて。外は日も少しずつ傾き始め、街の景色が柔らかな金色に染まっていく。
「……今日は本当に、ありがとうございました。楽しかったし、服も……とても気に入りました」
そう言って小さく笑う私を、ライグルさんは横目でちらりと見る。
「……じゃあ、最後にもう一か所だけ。案内してもいいか?」
「え? はい、もちろん」
やがて、坂の上の小さな丘に出た。そこにはベンチがあり、ちょうど夕陽が目の高さに見える。
オレンジ色の光が2人を包む。
「ここ、いい場所ですね……」
「お気に入りなんだ。時々、何も考えたくないときに来る」
そう言ったライグルさんの横顔には、どこか影があって、今日一日楽しげに振る舞っていたときとは違う、静かな、深いものを湛えたまなざし。
私が誰にもいいたくない過去をもつように、きっと彼にも何か私の知らない何か、ライグルさんの心に影を落とすものがあるのかもしれない。
誰よりも痛みを知ってるから……だからすごく優しいのかもしれない…そう思い、ふいに胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
誰にもいいたくない過去を抱えているかもしれない私たち…でもそんな私でも、今日ライグルさんと一緒に過ごせて、生きててよかった、あのとき家を出ると決めてよかった、と思えた。
だから、きっと今日に至るまでのあなたの生き方は間違ってない……なんだかそう伝えたくて。
私は心のうちをを独り言のように呟き始めた。
「……私、初めて自分で働いて、お給料をもらって、自分の好きなものを買って、好きなものを食べて、すごく楽しかったです。」
「あぁ、俺も」
「……よく、女性は家のもの、家長のいうことを聞かないといけない。結婚して家庭を持つのが幸せ。とか言われるけど……私は……何にも邪魔されず…自立したい……と思って、踏みだした一歩が働くことだったんです……」
「……」
「自分の力ではどうにもできない。って諦めていた昔の私に言ってあげたくて……『あなたの選んだ道は間違ってなかったよ』って…『……こんなふうに綺麗な夕日を見られる日が来るんだよ』って……」
(ライグルさんの影の理由は、、わからないけど…こうやって今日私に優しくしてくれたこと、楽しくすごせたこと…本当にうれしかったから...あなたの選択も間違ってなかったよ、って伝えたいな...)
「……」
しまった……ライグルさんを無言にさせてしまった。たぶんこの世界では、女性は家長のものと思われて、特に貴族はその傾向が強い。自立したい、なんて、きっと引かれてしまったわね……
「自分の力でなんとかしたい。と思うこと……わがまま、、かもしれませんね……」
「わがままなんかじゃない」
ライグルは、はっきりと言った。
私は彼の言葉にハッと驚き目を見張った。
「ミーナは、ちゃんと考えて、自分の足で立とうとしてる。それは立派なことだ。……俺は、そういうの、好きだよ」
「……!」
( ……この言葉を、心の奥にそっとしまっておこう...期待なんてしない。ただ、今の私の宝物として)
思わず顔が熱くなる。
さっきまでの服屋でのからかい合いとは違う、まっすぐな声だった。
「……ありがとう、ございます。」
言葉にすると、胸がじんと温かくなった。
「きっとミーナの選択はまちがってないよ、少なくともそのおかげで今日、俺は君と一緒に過ごすことがでたんだから……。
それに、もし間違ったと思ったら、またやり直せばいい。そうやって、自分で舵をとり決めていく。」
「……そうですね、うまくいかないことだらけになると思う。迷うし、失敗もするし、泣くこともある。でも、それでも……できるだけ、自分で選んで生きていきたい」
「誰かに決められるんじゃなくて、“今の私”が一番いいと思うことを、自分の足で選びたい。……そういう生き方、してみたくて」
沈黙の中、風がそっと通り抜ける。
2人はそのまま、しばらく黙って夕陽を眺めていた。
時折風が吹き、草の匂いと街の音が混ざり合う。
しばらくしたとき、ライグルさんは立ち上がり、いつもの真っ直ぐな視線で私を見つめた。
「君が舵を握るその旅、もし途中で嵐に遭ったら……その時は....俺を呼んで?どんな嵐でも、きっと一緒に越えてみせるから」
そう言ったライグルさんの瞳には、真剣な光が宿っていた。
一瞬、胸の奥がきゅっと音を立てる。
(──そんなふうに言われたら、期待してしまうじゃない……)
でも、きっとこれはただの優しさ。そう思い直して、私は笑ってごまかす。
きっとライグルさんは優しいから、、無自覚に甘い言葉になってるだけ...勘違いしちゃいけない...少しだけ涙が浮かんだ自分の顔に気づかれる前に、私は気持ちを切り替え、ぱっと立ち上がって言った。
「ふふ、じゃあまずは寮までお願いします?帰り道がわからないから....」
「ああ、それは大事な任務だな。ミーナお嬢様?」
そう言って立ち上がったライグルさんは、何かを決めたような表情で、私の手を取ろうとして、自分の手を見つめ──少しだけ躊躇った。そして、何も言わずに歩き出した。
(あれ……今、何か言いかけた?)
でもその真意は、まだわからない。
ただひとつ──今日のこの時間が、確かに心に残っていくのを感じていた。
そんな穏やかな時間の裏で──
「……ふん、随分と楽しそうじゃないか。俺といたときとは大違いだな」
街路樹の陰に立つ男の目が、夕陽に染まる2人をじっと見据えていた。
その瞳に宿るのは、未練か、執着か、それとも……別の“企み”か。
男は身を翻し、静かにその場を後にした。
──誰にも気づかれぬまま。




