36.いざ火曜
ーーー火曜。
約束の10時が近づき、ライグルはそわそわと落ち着かない様子で、騎士団宿舎の裏手にある小道に立っていた。
花壇と木陰が並ぶ、ひっそりとしたその場所は、デートの始まりにふさわしい雰囲気をまとっている。
寮門の前は人目が気になるから、「裏の小道で」とミーナに言われたのだ。
(……秘密の約束みたいでいいな……ぼっ)
ひとり、想像しては頬を赤らめる。
そんなとき、建物の影からミーナが現れた。
淡い黄色のワンピースが、風にふわりと揺れた。
いつものお団子頭ではなく、今日はゆるく巻かれた髪がハーフアップにまとめられている。
こげ茶の髪が陽の光を受けて、やわらかく波打っていた。
つばの広い帽子の下、薄く紅を差した唇と深緑の瞳が覗く。どこか裕福な商人のお嬢様のようだ。
美しい――
そう思った瞬間、声をかけるのも忘れて、ライグルはただ見惚れていた。
一方のミーナは、少し遅れたかと小走りで角を曲がった――その瞬間。
「……おはよう、ミーナ」
低く落ち着いた声が、正面から聞こえてきた。
そこに立っていたのは、まるで見知らぬ旅人のようなライグルだった。
生成りのリネンシャツに、焦げ茶のウールベスト。
襟元は紐で編み込まれており、動くたびにわずかに胸元がのぞく。
くたびれた革のブーツも、足元の雰囲気も、実に庶民的なはずなのに――
「……っ」
いつもの銀髪は、黒く染められていた。
普段は軽く分けていた前髪も、今日はやや長めに垂らされ、顔の輪郭に影を落とす。
本来なら隠すための変装のはずなのに、
なぜか、隠すどころか……いつもより大人っぽく見える。
(かっこよさ、隠せてない……どころか、むしろ増してる……!!)
呆然と見つめてしまうミーナに、ライグルは少し眉を動かした。
「……おかしいか?」
「い、いえ! すごく、似合ってます……!」
思わず目をそらして答えると、ライグルはふっと笑った。
「……ミーナ、ありがとう。君もすごく似合ってる。可愛い……」
(ひぃぃ、ライグルさんが甘い! けど……これは社交辞令……だよね?)
ミーナは甘さに耐えきれず、空気を掻き消すように、
「今日はよろしくお願いしますっ! さ、さっそく行きましょう!」
と足を踏み出した。
「あ……護衛だから……。それに、側から見たら、こ、恋人みたいだし……こうしたほうが、変な輩が寄ってこないぞ?」
そう言いながら、ライグルはさりげなくミーナの手を取った。
「だから……手、繋いでもいい?」
(モテスキル高すぎる……!! けど、きっと“護衛のために恋人のふり”? てことよね……
普段クールな人の困り顔からのお願い....破壊力がすごい....ブハッ心の鼻血がでた。
そもそも今日は私の買い物に来ただけで、デートでは無いし?...と思いついた言葉を出す勇気はミーナにはなかった。)
ライグルの耳が赤いことには気づいたけれど、それを“ふり”だとわかり少しがっかりした、自分に気づいて――ミーナはまた赤くなった…。
「……まずは、どこに行きたい?」
赤くなりながらも、まずはミーナの希望を聞いてくれるライグル。
(まず女子の気持ちを聞くなんて……紳士すぎる……!)
「っつ……では、セリアさんのプレゼントを買いに行きたいです。髪を結んだときに使うリボンを……」
「わかった。じゃあ、こっちへ。歩きにくくないか? 疲れたら、すぐ言うように」
(や、優しい……優しすぎて、かっこよすぎて……! ちょっとまって、これ結婚詐欺とかじゃないよね!?)
周囲にいたのはろくでもない男ばかりだったから――
ミーナは、丁寧に扱われることに慣れていない。
(赤面……こんなんで今日一日、私の心臓もつの……!?)
――デートは、まだ始まったばかりである。




