17.月夜の邂逅(ライグル視点)
「月の出る夜は、カーテン閉めて寝ろ。」
団長の渋い声が脳裏で繰り返される。
だがその夜、俺はいつになく寝つけず、部屋の窓を半端に開けたままぼんやりと月を見上げていた。
原因は分かっている。
昼間、偶然街で出くわしたミーナとあのクズ。
毅然とした態度で立ち向かい、まるで、誰にも頼る気がないとでも言うような強い姿。……けれど。あざが残るほど掴まれた手首....どれほど痛かっただろう...
「……クズめ」
医務室で処置した時、触った手首が細くて、俺みたいなのが触ったら折れそうで...
「守りたい」
ぽつりと呟いたときには、もう喉の奥が熱く、骨格がきしむ感覚が始まっていた。
気づけば俺は、銀狼の姿になっていた。
くそ、まただ。
我慢がきかない。なぜコントロールできない。
――あの子のことになると、どうして俺はこうなんだ。
風が運ぶ匂いに、鼻先がぴくりと反応する。
干し草のような、陽だまりのような、どこか懐かしく落ち着く香り。
……ミーナだ。
気づけば、寮の裏手まで走っていた。
人気のない裏庭。足を止め、影に身をひそめていると、やがて芝生を踏む足音戸ががした。
ふわり、と灯りが漏れる。
現れたのは、……まさか。
「……っ」
咄嗟に息を潜める。
ランプを手に、夜風の中に佇む彼女。
その姿は――薄手の寝巻き姿だった。
淡い生成りの布地が、夜の湿気にふんわり揺れている。
襟元は少し開いていて、白い首筋が月光に照らされていた。
……寒くはないのか? 夏の終わりとはいえ、夜風は肌に染みる。
けれど彼女は気にする様子もなく、静かに草の上に寝転んだ。
(……だめだ、見てはダメなのに....目が……離せない)
胸がざわつく。獣の感覚が目を覚ます。
けれどそれ以上に、月を見上げる彼女の表情が――哀しげでーー何かを噛み締めるように歪んだ瞬間、俺の中の何かがぎゅっと締めつけられた。
肩が、かすかに震え、涙がポツリと地面に落ちる音がする。
……泣いてるのか?
「……」
飛び出して、声をかけたくなった。
けれど俺は、その場から一歩も動けなかった。
動けば彼女の邪魔になる気がして。
ただそっと、彼女のそばに寄り添える風のように、そこにいたかった。
――見守りたいと思った。
しかし、ミーナを見過ぎていたのか、彼女と目が合ってしまった。
俺の姿に気づいた彼女が、そっと目を細めて「おいで」と言ってくれた気がして...遠くで見守りたいと思っていたはずなのに...一瞬で彼女に駆け寄ってしまった。
そっとその手に鼻先を寄せる。
温かい。優しい。柔らかい。
ただ、彼女が泣きやむまでそばにいれたら。
狼の姿では、慰めることも、名前を呼ぶこともできない。
くそ、なんて無力なんだ――。
狼姿の俺に抱きついて、頬を寄せて....
少しは慰めになっただろうか...
こんな俺でも役に立つことができてよかった。
(人の姿でも、隣にいてあげれたらいいのに)
そう思った瞬間だった。
ミーナが、ふいにこちらを見つめて──そっと微笑み
「……もう少しだけ、そばにいて?」
そのまま、ごく自然に身を寄せてきたかと思うと、彼女の腕が、俺の首元にまわされ、ふわりと優しく、抱きしめられた。
(……!!!!)
優しい温もりと、干し草(お日様)の匂いに、包まれ
「.......クゥゥン」と出したことのない甘えた声が出てしまった。
心臓がうるさい。いや、鼓動の音がうるさすぎて彼女に聞こえるんじゃないか....
狼の姿で良かった。ほんとに。
今、人の姿だったら――
あぁ、嫌われたくない....
それはつまり...好き...なのか?
いや、でも....
(ライグル(人間)と知られたら、恥ずかしくて死ねる...気がする...ジュリオの軽口がうつったのだろうか...)
──
帰り際、彼女が少しだけ体を離し、撫でるように頭をくしゃっとしてくれる。
狼のふりをして、じっとその仕草を受け止めた。
今だけは、こんな俺でも、
少しくらい甘えてもいいだろうか──そう思った夜だった。




