16.月夜と銀色のもふもふ
昼間の出来事のせいか、眠りが浅く、私はふと夜中に目を覚ましてしまった。
カーテンの隙間から、月の光が差し込み、思いの外明るい夜だった。おそらく、夜の11時を回った頃。
実家にいたときは、窓さえない部屋だったから...
部屋から外の景色が見えることが嬉しくて、カーテンを開けてぼんやり外を眺めた。
空には、冴え冴えとした月が高く昇っている。
あそこは...裏庭だっけ?
生い茂る緑の中に、白い花が月の光に照らされて美しく咲いている。
確か...夜香木?だっけ?
前世で大好きだった、ジャスミンの香りがするんだよね..
寒いかしら......
どうしても香りを確かめたくて、窓を開けると、夜のひんやりした澄んだ空気が吹き込んできて、私は、夜香木のいい香りを胸いっぱい吸い込んだ。
はぁ......
大きなため息をつき、もっと近くで香りを嗅ぎたくなった私は、ランプを持って庭に出てみることにした。
一応寮内だし、月明かりで明るいし...大丈夫よね?
こうしよう...って自分でやりたいと思って、何かをできる喜びと、ちょっと悪いことをしている気分だけど、ワクワクしてしまう自分にクスッと笑ってしまった。
実家で使い古されてばかりの日々だったのに、こんなに変われたのは、出会った人たちの優しさや温かさがあったからだ。
そんなことを考えながら、階段が軋み音を立てないように気をつけながら、降りていき、庭へ続く扉をそっと開けた。
寮の裏庭は、夜露を含んだ草の匂いに包まれていた。
夜の冷えた空気に、私はランプを握りしめ、一歩踏み出した。
よく整えられた芝生柔らかい感触が、靴底からでも伝わってくる。
...フフッ(楽しい)
夜香木の香りを辿って、足を進めていく。
空気はひんやりと澄み、月の光が庭に静かに降り注いでいる。青々とした森の香りにざわついていた心が、少し凪いでいく。
......昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。
私は石畳の小道をたどって、歩いていると、....蔦が絡んだアーチの裏に、半分土に埋もれた古い石段を見つけた。半ば苔むしている階段をそっと登ると、寮の灯りも届かない、芝生が広がる静かな広場のような場所に出た。思ったより遠くに来てしまったみたい。
人目を気にせずいられるのはありがたい。
私は腰を下ろし、人目がないのをいいことに、芝生に大の字で寝転んだ。
明るい月を見上げていると、ふと月に雲がかかる。その瞬間...今日の出来事を思い出していた私は、胸の奥に押し込めていた思いが、ふいに溢れてしまった。
カーティス.....
あの声、視線、手の感触──全部、思い出したくないのに。
「……私、まだダメなんだな……」
——あんな男に、まだ怖気づくなんて。
涙が耳を伝い、芝生に落ちる、
新しい生活に慣れてきたから、もう大丈夫。
自分の力で歩くんだ。
そう思ってやってきたのに
人違いを装って、誤魔化してみたけど...
あのニヤついた顔...絶対気づいてる...
また何かされるんじゃないか...
もしあのう家に連れ戻されたら...
お世話になっている人に迷惑がかかるんじゃないか...
「私のせいで.....」
「なんで、こんなに情けないんだろう……」
変われた。
強くなったと思ったのに....私、全然変わってないじゃない……
私の選んだ道は正しかったのだろうか...
それでも私はここに居たい...
涙が止まらなくなり、私は声を殺して泣き続けた。
そのとき......ふっと何かの気配を感じ、揺れる草の方を見ると....
ふわりと草の擦れる音がして、そこには一匹の大きな銀色のわんこがいた。
銀色の毛並みが、月明かりを受けて柔らかく輝いている。鋭く光る、黄金の瞳がミーナをまっすぐに見つめている。
(....この前のわんこ?)
そして、なにも言わずに私のそばに寄ってきて、こちらを見つめている。
「……また、来てくれたの?」
応えるように、狼はゆっくりと私に近づき、私の手の平の匂いを嗅ぎ、舐め始めた。
「フフッ、くすぐったいってば」
くすぐったくて、思わず声を出して笑ってしまった。
今度は、私の泣き顔に気づいたのか、今度は私の泣きはらした顔を心配そうに覗き込んでくる。
その優しさが嬉しくて、私は体を起こして、座ったまま、もふもふのわんこを抱きしめた。
「いい子……慰めてくれてるの?」
驚きと嬉しさで涙が引っ込んだ私の顔を見て、少しホッとしたような目をしたわんこは、何をするわけでもなく、私の隣にスッと座った。
しばらく私たちは静かな庭と美しい月を眺めていた。
私はその背中を撫でながら
ポツリポツリと言葉をこぼす。
「あのね..今日色々あって...私、変わりたい....と思ってもがいてきたけど...全然変わってなかった....それがいい選択だったのかな...自信が持てなくて...」
「もう大丈夫だって思ってたの。新しい生活にも慣れてきて、楽しくて……毎日が自由で……」
少しずつ言葉がこぼれていく。
誰かに話したい。でも、誰にも話せなかったこと。
「でも、今日、あの人に会って──怖くて、悔しくて……」
声が震え、また涙が溢れた。
隣で寄り添ってくれていたその子は、そっと私の方へ身体を寄せ、じっと耳を傾けてくれている。また涙が溢れ出し、思わず膝を抱えてしまう私の頬に、ふいに柔らかな毛並みが触れた。
わんこが、そっと鼻先を私の頬にすり寄せて
「……泣かないで」
とでも言うように、体を寄せ、私の涙を拭ってくれた。
私ははくすぐったさに思わず、また笑ってしまう。
「ありがとう……あなたはいつも、優しいね」
「もう少しだけ、そばにいて?」
私はその子のふわふわしたした大きな体を抱きしめる。
そっとふわふわに顔を埋めながら、ミーナはもう一度目を閉じた。
しばらくして涙が止まった私は、
「ありがとう……わたし、もう少しだけ、がんばってみる...」
私の言葉がわかるのか、その子はクゥンとひと鳴きして頷いてくれた。
さぁ、もう戻らなくちゃ。
「...また会えるよね?またね?」
クゥゥンとまたひと鳴きして、わんこは草むらに消えていった。
静かな夜に、わずかな風が吹いた。
「まるで夢だったみたい。」
私は急足で部屋を目指した。




