15.守りたい(ライグル視点)
「その手を離せ」
巡回中、あの懐かしい干し草の香りに惹かれて、角を曲がった時...
喧騒の中、不穏な気配に反応して足を止めた。
視界の先、人混みの中で見覚えのある後ろ姿が引きずられそうになっている。
──ミーナ。
髪型、服装が変わっても、匂いでわかる。あれは、ミーナだ。
「……何をしている?」
自然と声が低くなった。
問いかけるより先に、相手の手首を捻りあげていた。反射的だった。
剣の鞘に手を添え、いつでも抜ける態勢。敵意を見せれば、それで終わらせるつもりだった。
「中央騎士団2番隊隊長、ライグル・ヴァーレンだ。嫌がる女性を無理矢理連れて行くのは、重大な罪になるが?」
睨みつけるように視線を落とす。
酔っているのか、こちらの剣気にも気づかない様子に苛立ちが募った。
(……こいつ、ミーナに何をした?)
その名を口にした時、男の目が一瞬動いた。間違いない。こいつはミーナを知っている──そして、彼女を傷つけたことがある。
「まさか? 人違いだったみたいだし?」
捨て台詞を残して男は去った。
安堵とともに、冷たい怒りが腹の底に残る。
ミーナの手首を一瞥し、舌打ちしそうになった。
──紫色になりかけた痕がある。力任せに引っ張られたのだろう。
(……間に合わなかったら、どうするつもりだったんだ)
自責と、どうしようもない怒りが交錯する。
彼女が怯えた様子で、しかし毅然とした口調で頭をさげてくる。
「…隊長さんですよね? 騎士団寮の厨房で働かせていただいていますミーナです。危ないところを助けていただきありがとうございます。このお礼は必ず。本当にありがとうございました。」
(……そんな風に距離を取る必要はないのに…)
呼び名が「隊長さん」なのがどうにも堅苦しくて、口が勝手に動いていた。
「……ライグル。」
「へっ!?」と驚く声もかわいい。
(……変だったか?だが、隊長呼びは解せない)
「ライグル様?」
(うっ……自分から言ったことなのなに、いざ名前を呼ばれると…色々と破壊力がすごい…な。熱くなった頬と緩む口元、みっともない顔をミーナに見られたくない)
俺はとっさに、片手で口元を隠し下を向いた。
そんな俺の様子を伺いながら、ミーナは控えめな声で
「ライグルさん?」
ともう一度名前を呼んでくれた。驚きと嬉しさで、ぱっと顔を上げると、ミーナは不安そうな目で俺を見つめていた。
「…っ、(ライグル、呼び捨てで)」
とミーナに言おうとしたが、彼女の不安そうな目を見るとこれ以上は逃げられそうな気がして、口に出すのが憚られた。
彼女が俺をどう呼ぶか、何を思うか、そんな些細なことが気になり。不躾な願いだったか?いやでも……嬉しい…なんて考えていると
こんなに誰かを気にすることなど、ありえないことだ、とどこかで理解しているのに──。この感情が何なのかがわからない…。
(……さんもいらない。ライグル、でいい。と言おうとしたとき…)
「隊長〜、ナンパですか〜?」
騒がしく割り込んできたのは、ジュリオだった。
(……お前…、なんで今…)
名前を呼んでもらえる機会だったのに…空気に怒りを滲ませると、ミーナの反応まで戸惑い始めてしまう。
ミーナを,少しでも怯えさせてしまった自分に嫌悪した。
「……その子、じゃない。ミーナだ」
低い声でジュリオに釘をさす。
自分の口が滑ったことに気づき、言い直す。
「……いや、違う、いや……その子……だ(?)」
(……“ミーナ”って呼ぶのは、俺だけでいい。)
「???、(ブホッ)…ライグル?はいはい。わかったよ」
(お、おもしれぇ、こいつがこんなに、いい意味で残念なことになるなんて。思わず俺は吹き出してしまった。ミーナちゃん、何もんだ?)
──セリアが現れたことで、安心したのか、ミーナの表情が和らぐ。
(……そうだ、その笑顔の方が似合っている)
彼女の手首の痣に目をやると、怒りが再燃した。
「……大丈夫ではない」
ミーナが首を振っても、安心はできなかった。
身体的な痛みだけではない、あんなクズとはいえ自分より大きな男に連れていかれそうになり、どれだけ怖かっただろう。
(手当てをしなければ──)
気づけば、彼女の荷物を持ち上げていた。
「怪我人が無理をするな。……俺が持つ」
(……しばらくは絡んでこないと思うが、念のため護衛の意味で、寮に一緒に帰ろう)
ジュリオに目配せすると、心得たりと軽く頷いた。
遊び人でチャラい。そう思われがちだが、実力は確かで、根は真面目なヤツだ。俺の意図を理解したに違いない。
──俺たちは、その足で寮に戻った。
ジュリオは、セリア嬢に着いて行き、嬉しそうにしっぽを振っている。
(確か医務室は…)
「…こっちだ」
少しでもミーナの傷が癒えれば。また笑ってくれたら…それだけだった。
医務官不在のため、俺が手当てをする。
ミーナを椅子に座らせが、怪我のせいで動揺しているのだろう。やや潤んだ瞳や不安そうな表情を安心させたくて、俺はミーナの目線にあわせて跪いた。
一緒ビクッとした彼女…
(怖がらせてしまっただろうか…)
これ以上怖がらせないよう、できるだけそっと彼女の手を取り、塗り薬を塗っていく。細くて、あたたかくて、どこか頼りなくて──それでも強く生きている手。
(こんな手を、あのクズは……)
怒りがこみ上げるのを、押し殺して、そっと薬を塗る。クズへの怒りが再燃し、包帯を巻く手が怒りと力加減を間違うと折れてしまいそうで、震えてしまう自分の手を、必死に抑える。
「……怪我が癒えるまで無理はするな」
彼女の顔は、ほんのりと赤かった。視線を合わせれば、彼女は目を逸らす。
(……やはり、まっすぐは見てくれないか。騎士とはいえ、俺も長身で威圧てきだろうな...怖がらせてしまったかな)
ショックのせいか、赤くなった彼女の顔を誰にも見られたくなくて、
「包帯を変えるときは言ってくれ……誰にも、こんなことをさせるなよ。
......俺がするから。少し休んでから行くといい」
「.......そ、その髪型と服....よく似合ってる」
部屋まで送るところだが、これ以上怖がらせないように、俺は先に立ち去ることにした。
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名を呼ばれたとき、胸の奥がふわりと熱を帯びた。
(この名前を呼ぶ声を、もっと聞きたいと思ってしまうなんて──)
これが何なのか、自分でも理解できない…だが、守るべきものを見つけてしまったことだけは、はっきりしていた。
あのクズをどうしてやろうか…。
俺は思考を切り替え、ジュリオにまた調べさせなければ…とアイツのニヤついた顔が浮かび、ため息を吐いた。




