10.月夜の散歩(ライグル視点)
俺はわんこ
月明かりが差し込む団室の窓辺。
手入れを終えた剣を脇に置いた俺は、珍しくソファに身を沈めた。
静かな夜。
なのに、なぜか、ざわざわして落ち着かない。
(……ミーナ)
着古された服とローブをまとい、服装とちぐはぐな、綺麗な所作。どこぞの令嬢の雰囲気だが、大切にされている令嬢にしては、やや痩せすぎていないか?貴族ではなく、商人や、裕福な平民の出なのだろうか。いずれにしても、何か良くない境遇に置かれているのではないか。
よし、ジュリオに彼女の身元について調べさせよう。
もし不遇な状況なら…そのときは…
まだ見ぬ“彼女を追い込んだ何者か”に、理由もなく怒りが湧き、瞳が金に染まるのを感じた。
(……気にするつもりはなかった。なのに……)
月明かりの中、昼の彼女の笑顔が脳裏をよぎる。
どこか達観したような諦めたような。あれは人生の裏側、悲しみ、無常さを知る人の目だ。揺らぐようで、真っすぐな眼差し。
その瞬間、胸の奥で何かが熱を持ち、肌や、耳の奥がピリピリする。
ふと、指先がしびれたような感覚が走り、思わず目を伏せた。
「……っ、まさか――」
次に意識が戻ったとき、ライグルは窓の外にいた。
肉球の触感。風を切る感覚。
黄金の瞳に、銀色の毛並みの狼。
理性が消えたわけじゃない。月の光に影響はされるが、狼化するかしないかは自分でコントロールできるようになったのに。
意図せず狼化したのは、幼少期ぶりだった。
(……久しぶりだな、この感じ)
最近仕事に追われていたことや、月を見る暇などなかったから、久しぶりの狼化だ。思考を晴らすために、夜の町を駆け抜ける。
舗道の石の冷たさも、屋根瓦の傾きも、風の匂いも懐かしい。
そして――ふと、風の中に甘い干し草の香りが混じった。
(干し草?いや、違う。……あの子だ)
迷いのない足取りで、屋根を伝い、彼女を探す。
見つけたのは、小さな背中にトランク一つのミーナ。
暗くなって来た街を、急ぎ足で騎士団に向かって、懸命に歩いている。
(こんな夜に一人で……)
姿を見せずに、ただ後をつけて見守るつもりだった。
けれど、あの酔っ払いどもが近づいた瞬間、我慢できなかった。
「……グルルル……」
気がつけば、彼女の前に立ち、
牙を剥き、酔っ払いを威嚇していた。――彼女を俺のものだ、立ち去れ――
やがて男たちは逃げ去り、彼女が俺を見つめた。
「……守ってくれたの……?」
その声が、優しくて、あたたかくて――
俺の中で、残された理性が溶けかける。
なけなしの理性で、お座りし、必要以上近づかないよう意識して、彼女の隣を歩いた。
目的地の寮門についたとき、俺は
撫でられた。
褒められた。
“ありがとう”と笑ってくれた。
(……なんだ、この気持ち)
喉の奥から出るクゥンという声も、
ミーナの匂いを嗅いで、じゃれつくのも、止められなかった。全身が嬉しくて震えていた。
けれど、それを思い出している今――
「……うわあああああっっ!」
恥ずかしくて死ねる。
俺は自室のソファで、真っ赤な顔をを覆って叫んだ。
「……撫でられて、じゃれて、舐めて、尻尾まで振った……」
理性をなくしていたわけではない。
なのに…
もう一度うめいて、顔を覆う。
(……俺は、どうかしてるのか……)
確かめる心当たりは一人いる。
育ての親であり、上司でもある――ギルバート。
(……いや、撫でられ、舐めてじゃれた…なんて言えないよな?)
布団に入るも、頭を抱えたまま夜は更けていった。
「また撫でてほしい…」
その日は目が覚えて一睡もできなかった。
よく眠れたミーナと、一睡も出来なかったライグル




