「頭の中が一面お花畑な方」と正直に言ったら、幼なじみのハーレムが崩壊しました
わたし、ナザレ・リーツェンが生まれたリーツェン伯爵領は、王都から馬車で一日という距離の、ほどよい田舎である。小麦の栽培をはじめとした農業が主産業であるため、他領との取り引きも多く、高位貴族との交流も比較的多い。その中でも、母同士が従姉妹でもあるパンベリー侯爵家とはわたしが幼いころからお互いの家を行き来するほどの仲であった。
パンベリー侯爵には二人の息子がおり、長男はわたしより七歳年上の跡取りだったので顔を合わせてもあいさつを交わす程度だったが、次男のロード・パンベリーは同い年ということもあり、二人で庭を駆け回ったり釣りをしたりと何かと一緒に遊ぶことが多かったように思う。わたしもロードも男女というよりも、兄妹のような感覚だったのだろう。
それは成長しても変わらず、母同士はわたしたちを婚約させられたら、と思っていたようだが、わたしたちは取っ組み合いの喧嘩もふつうにするし――もちろんロードはかなり手加減してくれていたけれど――軽い口喧嘩ならいつものことで、さすがに婚約は難しいと考えたようだ。わたしもロードのことは好きだけれど、結婚は無理だなあと思っていたのでありがたい。ロードもきっと同じことを考えているはずだ。
そうしてわたしたちは、仲のいい幼なじみとして、そして兄妹のような関係として、社交界デビューを迎えた。そのころには、わたしにもロードにもそれぞれ婚約者と呼べるような相手がいて、四人で会うこともたびたびだったし、わたしとロードの関係をお互いの婚約者も理解した上で、それでも婚約者がいるということで節度を守って付き合いを続けていた。
ロードは、身内のわたしから見てもかなり美貌に恵まれ、社交界では令嬢方の噂になった。青みがかった黒髪に、深い紺碧の瞳を持ち、背もすらっと高かったので黙っていればクールに見えるのだろう。実際は性格も口も悪いわけだけれど。
一方で、ロードの婚約者となったアシュリー・プライド伯爵令嬢は、清楚を絵に描いたようなたおやかな女性で一歩引いたところがあって、包み込むような優しさを持ったご令嬢ではあるのだけれど、ロードの隣だとやはりその美貌は霞んでしまい、その上性格も穏やかだったので、ロードの婚約者としてあまり認識されていないようなきらいがあった。
だからなのだろう、ロードに婚約者がいるにもかかわらず、あの男の見た目だけに惑わされたご令嬢方が現れてしまったのは。
「……昨日、いきなりクルクルパーの侯爵令嬢が抱きついてきたんだけど」
めずらしく怒りをにじませ、ロードが婚約者のアシュリー様も伴い、我が家に愚痴を言いにきた。ふつうに迷惑だったけれど、わたしの婚約者のグレイ・ライネク伯爵子息がおもしろがって話を聞こうと言うので仕方なくロードの毒吐きに付き合うことにしたのだ。
「ロード様、クルクルパーではなくて、クルーパム侯爵令嬢ですわ」
アシュリー様が苦笑いで訂正する。ロードのこの性格を知っても婚約者として隣にいるのだから、アシュリー様の懐は海よりも深い。
クルーパム侯爵令嬢と言えば、肉感的な体つきのご令嬢で、そのお体に惹かれたアホ……もとい、ご自分に正直な貴族子息たちに人気の方である。
ロードの話とアシュリー様の補足によれば、二人でとある侯爵家の夜会に行ったところ、クルーパム侯爵令嬢が「酔ってしまったわ」と大きな独り言を言ってロードに寄りかかってきたらしい。
「それは……完全狙われてるわね、おめでとう」
あまりにも感情のこもっていない「おめでとう」に、ロードの眉間のしわが深くなる。
「俺にはアシュリーがいるし、あんな栄養が脳にいってないクルクルパーには興味ない」
本当に見た目と引き換えに人としての大事な何かを失ったのではないかと思うが、ロードの言葉にグレイもケラケラ笑っている。――まあ、笑いたくなる気持ちはわかるけれど。
それ以降、クルーパム侯爵令嬢を皮切りに、ロードは社交界でも有名な五人の美女に代わる代わるアプローチを受けているようだった。
上目遣いで見つめられたり、なぜか「もう!」と怒られたりロードにとっては散々な目に遭っているようだ。
「一般的には、ハーレムってやつでは?」
グレイが笑いながら説明する。
「上目遣いで見つめると、一般的に男性は守ってやりたいと思うみたいだよ」
「俺はいきなりメンチを切ってくるやつを守りたいとは思わない」
上目遣いをメンチ切るとか言ってるんですが、この人。
「他の女性と仲良くしているところに割って入ってくるのも、人によってはかわいらしい嫉妬だね」
「そもそも迷惑行為をかわしていたところに突然乱入して話をややこしくされただけなんだが」
美女のアプローチが迷惑行為……。
「その上、他の貴族子息にまで、『ナントカ様がせっかく話しかけてるんだからもっと優しくしろ』とか意味不明なことを言われるし」
「うわー……ドンマイ」
「話しかけてほしいって頼んでないんだよ俺は!」
怒れるロードの肩をアシュリー様がぽんぽんと軽く叩く。ロードはその手に自分の手を重ねて、重いため息をついた。
「別に好きじゃない、っていきなり言われたんだっけ?」
「……ああ、そうだ。俺はお前にそもそも興味がないんだよ」
ロードの遠い目に、グレイが吹き出す。わが婚約者ながら、グレイもなかなかに性格が歪んでいる。「別に好きじゃない」発言も、美女が冷たくしてみたりいきなり優しくしたりするというよくあるテクニックだが、まったく興味のない女性にそれをされて、「かわいい」と思うことは難しいだろう。わたしが男だったら「情緒不安定な女」と認定する。
収穫祭でお菓子を配るというイベントがあったときには、「お菓子がないから〜」とロードの頬にキスをしようとしたご令嬢もいたらしい。さすがのロードも全力で走って逃げたと言っていた。そもそも、自分のキスがお菓子よりも価値があるというのもすごい考えである。
もしこの状況がロードではなく、一般的な貴族子息であれば誰もがうらやむモテモテハーレムライフなのだろうが……。
「一番厄介なのが、サンドリオン公爵家の娘なんだよな」
サンドリオン公爵令嬢は、国一番の美しさを持つ令嬢として社交界でも有名で、第一王子が婚約者にと望むほどの方である。ところがちょっと風変わりなところがあり、第一王子やその他高位の貴族子息をも虜にして、そのくせ誰とも婚約はせず、最近はロードにちょっかいをかけているという。ロードみたいなぱっとしない侯爵家の次男より、もっと政略的にも今後のステータス的にも意味のある男性と婚約するほうが、誰がどう見てもいいはずだ。しかしこのサンドリオン公爵令嬢は、なぜかロードを気に入っているようだ。
ロードを見かけると必ず側に近づき、体をくねくねさせて――おそらくしなをつくっている――ロードの婚約者でもないのにロードの色を小物でまとってアピールしてくるらしい。アシュリー様曰く、「かわいいと言われたいんじゃないかしら」とのこと。
どんな男性も自分になびくのに、ロードだけはそうじゃなかったから興味を持ったのかもしれない。そもそも、「全男性は自分を好きになるべき」って思考がぶっ飛びすぎて恐怖である。
「あれ、グレイも別にサンドリオン公爵令嬢に媚びてないよね?」
性格は終わっているが、なぜかわたしのことを愛しているらしいグレイは、わたしより美人を見てもそちらを見ようともしない。それはそれでやっぱり変ではあるけれど、グレイがサンドリオン公爵令嬢になびいた様子を少なくとも見聞きしたことはなかった。
「あの人にとって、伯爵家以下はただの背景だからなあ」
「……ありがとう、すごく理解できた」
これはさすがにいろいろな意味でロードに同情してしまう。
「ロードが、そもそも誤解させるようなことをしているってわけじゃないのよね?」
「するわけないだろう!」
ロードの反論に、アシュリー様もこくりと頷く。
「ロード様、完全無視なんです」
「完全無視!?」
公爵令嬢を?わたしとグレイは驚いて顔を見合わせる。ロードだけは、当たり前だと言わんばかりにふんぞり返った。
「たとえば、サンドリオン公爵令嬢様が、『今日は暑いわ』って少しお胸を見せても……きれいに無視されてるんです」
「それなのに、懲りずに毎回ロードにちょっかいかけているってことですか?」
「それが、なんというか……無視されていると思っていなくて、『なぜか毎回違うところを見ている』というご認識のようです」
それはご認識なのか、誤認識なのか。
仮にも、由緒あるサンドリオン公爵令嬢が哀れにもほどがある。いつかサンドリオン公爵令嬢を慕うどこかの子息に刺されるんじゃないだろうか。
「その他にも、ロード様とお出かけしたいと遠回しにアピールするために、『この演劇が人気だから行きたいわ』っておっしゃって……」
「行きたいなら勝手に行けばいいだろう」
「いや、あの、誘ってってことだと思うわ」
隣でグレイが声にならない笑い声を上げて腹を抱えている。
「そもそも、アシュリー様をエスコートしているのに、ですか?」
「えっと……その……グレイ様がおっしゃる通り、伯爵以下は……」
アシュリー様が言いにくそうにもじもじしている。そうか、伯爵以下は背景。見えているけれど、見えていないわけだ。
「ロード、せめてはっきりお断りしたら?」
「あれは精神異常者の類だろう」
そんなきょとんとした顔で言われても困るんだけれど……。
「いちおう、パンベリー侯爵家からサンドリオン公爵家にはやんわりとお伝えしているようなんですが」
アシュリー様が困ったように笑う。
「それで理解できるような頭脳は持ってないだろう」
「……お疲れ様」
「でもな、俺は立ち上がることにした」
わたしは嫌な予感を覚え、思わずグレイの腕をつかんだ。
「一緒に乗り込むぞ、ナザレ」
アシュリー様が止めるのも聞かず、グレイの「おもしろそうだからオッケー」という謎の後押しもあり、わたしはロードのエスコートを受けて二人でサンドリオン公爵家の夜会に出席することになった。ちなみにアシュリー様は、領地に戻らねばならず夜会にはもともと出席できなかったそうだ。たしかに敵陣に一人で乗り込むなど、格好の餌だろう。そもそも欠席をすればいいと思ったが、喧嘩っ早く負けず嫌いのロードが、それを選ぶとは思えなかった。
わたしたちが会場に入るとさっそく令嬢たちの視線が集まる。
「これからどうするの?」
あくまでも貴族令嬢然とした表情はキープして、わたしはロードにだけ聞こえるように話しかける。ロードもこちらは見ずに、小声で答えた。
「俺はやる」
「ほどほどにね」
ロードの目は真剣そのものである。……これは、相当溜まっていると見た。
主催のサンドリオン公爵夫妻にあいさつをしてから、他のゲストたちへもあいさつ回りをしていると、サンドリオン公爵令嬢が音もなく近づいてくる。
「まあ、ロード様、ようこそお越しくださいました」
つやつやとしたお肌にぷるぷるの唇、腰まで伸びた長い金髪は傷み知らずで、あまりの美貌にわたしも思わずほうけてしまった。ロードに声をかける様子は恋する乙女にたしかに見える。もちろん、わたしのことは見えていないようだ。
「ロード様、よろしければ我が家の中庭を案内させてくださいませんか?薔薇が見頃なんです」
単語ごとに体をくねくね――もとい、しなをつくってサンドリオン公爵令嬢は上目遣いでロードを見る。アシュリー様の言っていた、「かわいいと言われたい」の意味がこれだけでわかった。隣のロードは暴れると言った割に、完全無視を決め込んでいる。
「あ!それとも、博識なロード様のお役に立ちそうな図書が何冊かございますので、図書館でも構いませんわ」
ロードとどうにか二人になりたくて、夜の図書館に誘うというなかなか奇抜なことをおっしゃっている。ここまでくるといっそ涙ぐましい。
「そうそう、今日のネックレスなんですけれど、めずらしい宝石を見つけまして――」
「大変恐れ入りますが」
しゃべり続けるサンドリオン公爵令嬢の言葉をロードがさえぎる。気づけば、わたしたちの周りにはいろいろな見物人が集まっていた。もちろんみんな貴族たちなので、それとなく集まっているふうを装っている。なるほど、ロードはなるべく人の目と耳が多い状態を待っていたらしい。
「薔薇や宝石は門外漢で、読みたい図書は間に合っていますので」
にこりともほほ笑むことなく冷たく言い返す。ふつうならあきらめるところだが、なぜかサンドリオン公爵令嬢の顔が紅潮していく。
「そんなに遠慮なさらないで!」
初めてロードが言葉を返したことで、「ようやくわたしのかわいさに気づいたのか」と思っていそうである。かわいそう。
「遠慮?遠慮とはどういう意味ですか?」
ロードの言葉に、今度こそサンドリオン公爵令嬢は詰まってしまった。
「えっ……それは、もしかして家格の差を、気になさっていたら、気にしなくていいとお伝えしたくて……」
なんだか理由になっているようないないような、はっきりしない言い訳である。
「家格の差を気にしているとお伝えしたことはないと思います」
ようやく周囲の人間も、何かがおかしいと気づき始めたようだ。黙るサンドリオン公爵令嬢に向かって、ロードはさらにまくし立てる。
「そもそも、なぜサンドリオン公爵家との家格の差を気にする必要があるんでしょうか?家格の差があることは公然とした事実です」
これはその通りであった。公爵家と侯爵家なら、当然公爵家が上であることは五歳の子どもでも知っている。差があるのが当然なのだから、それを気にしている時点ですでにおかしい。家格の差がなければ……という邪な考えをロードが持っている、とサンドリオン公爵令嬢が発言したようなものである。これは、婚約者のいるロードに対してかなり失礼な内容だ。
「わたくし、そんなつもりは……」
「そんなつもりはない?まさか、由緒あるサンドリオン公爵家のご令嬢が、その発言の重みを理解されていないということでしょうか?」
これまでよほど鬱憤が溜まっていたらしいロードは止まることを知らない。これがアシュリー様ならやんわり止めていたのかもしれないが、わたしにはロードを止める理由はないし、婚約者のいる男性にアプローチをかけるのはよくないという大義名分はある。
サンドリオン公爵家に睨まれたらどうするつもりなのかという問題はあるが、そもそも中央の政治からは距離を置き、それぞれ自領の産業で懐が潤っているリーツェン伯爵家とパンベリー侯爵家は、歴史があるだけの公爵家に睨まれても痛くもかゆくもない。
サンドリオン公爵令嬢はなんと返すべきか逡巡しているようだ。この場合の最適な返答というのも、なかなか難しい話ではある。
まさか、「ロードは自分のことをかわいいと思っているはずなのに、家格の差に遠慮して言えないに違いない」などとあけすけに言うわけにもいかないだろう。数多の高位貴族の子息を手玉に取っているこの稀有な美女がなんて返すのか見ものだ。
「わたくし……ただ、ロード様と仲良くなれたらなって思っただけですの」
うまい、とわたしは思わず心の中で拍手を送る。「仲良くなりたい」というあいまいな表現で周囲の同情を誘いつつ、自分が一番かわいく見える角度でロードを見つめている。さすがは由緒ある公爵家のご令嬢だ。
「俺は仲良くしたいと思ったことはありません」
ロードの言葉に、わたしたち以外の時が止まる。
「サンドリオン公爵令嬢ほか、女性陣のつきまといや意味不明な発言等々の迷惑行為にいつも辟易しています」
あまりの遠慮なしな発言に、わたしはまじまじとロードの顔を見るが、本当に迷惑そうな顔をしていて少し笑ってしまった。
「め、迷惑行為……?」
「それはそうでしょう。興味のない女性に近づかれて、一方的に話しかけられるんですよ?」
サンドリオン公爵令嬢の顔色がだんだん悪くなっていく。
「ロード、さすがに言いすぎ。サンドリオン公爵令嬢様は社交界の花と呼ばれているのよ?自分になびかない男性がいるはずがないと考えるような頭の中が一面お花畑な方なんだから、もっと優しい言葉でお伝えしなくちゃ」
わたしはサンドリオン公爵令嬢を気の毒に思い、幼なじみとしてロードをたしなめる。――が、どうやらわたしは、よくない選択をしてしまったらしい。
「ナザレが一番ひどいだろ」
そう言って、ロードは、百年の恋も冷める大笑いを披露した。
かくして美女たちによるロードへの迷惑行為は、自然となりを潜めていった。これで心置きなくアシュリー様との結婚を進められるとロードは久々に上機嫌である。わたしはわたしで、一部始終を見ていたらしいグレイに、「惚れ直した」とかなんとか言われてプロポーズされた。プロポーズはうれしいけれど、きっかけがあの夜会というのはなんだか腑に落ちない。
ちなみにサンドリオン公爵令嬢は、第一王子との婚約が決まったらしい。仲良くしたくない、興味がないとまで言われてしまえば、いかに自分の見た目にこの上ない自信を持つ鋼の精神力でも、無理なものは無理だと気づいたのだろう。
その後、「社交界の花」という言葉をなぜかサンドリオン公爵令嬢ほか貴族女性に対して使わなくなったことだけは、わたしにもよくわからなかった。