第6話
「――いくらかかっても構わない、か。言うじゃん、爺さん」
通話が切れた瞬間、カノウは短く笑った。
「街まるごとって規模すごいね。AIのNPC、1000人か」
「モーションも会話もリアルタイムで自動的に制御するわけ?」
「いけると思いますよ。建築物は大丈夫ですか、シヴァン先輩。昭和の完全再現とか要求水準高すぎですよね」
「喫茶店、学校、本屋、水族館、ゲームセンター、レンタルビデオショップ……青春ぜんぶ詰め込んでくれ、か。使える<コンテンツ>探さないと。ひとまずフォトグラメトリックの技術を応用してみるよ」
シヴァンが大量の提供<素材>をスクロールしながら言った。
「手伝います。そういえば、CGチームのチャンネルへのアクセス権ってもらってましたっけ?」
「付与しとくよ」
「フルメンバー、下請け総出で十週間はかかるわね」
ニーナはガントチャートを眺めながら、嬉しそうなため息をつく。
「いくらでも下請けでも隙間バイトでも使っても構わねえ、この報酬だ」
カノウがアルコール度数9%のチューハイ缶を取り出した。
「前祝いといこうぜ」
ジュードがエナジードリンクで割っていく。
4人はグラスを合わせた。喉を焼くような刺激にジュードがむせて、三人は笑った。ニーナが背中をさする。
カノウは、赤くなった顔で、グラスの液体を飲み干した。
「俺たちは怒ってるんだ。
年寄りが富を独占することを。
政治がやつらだけ優遇することを。
帰ってこない金を払うことを。
格差が再生産されることを。
だから奪い返す」
ジュードが興奮気味で相槌を打ち、カノウのグラスに次の液体を注いでいく。
ニーナは「久しぶりにそれ出たね」と笑っている。
シヴァンは、出会った頃のカノウを思い出していた。
◇
かつて団地といわれた住宅の、ふやけた畳の上で、幼いカノウがタブレットを手に寝そべっていた。ソーセージが挟まれた菓子パンを、炭酸飲料片手に齧っている。いつも母がキャバクラに出勤する前に置いていくメニューだ。カノウは、YouTube上での情報学者の語りを子守唄のようにしてまどろんだ。
目が覚めると、窓の外は暗闇だった。母はまだ帰っていない。寂しさが空っぽの胸を満たす。孤独に向き合うには、カノウは幼過ぎた。
AIは、いつまでも話し相手になってくれた。汚い言葉にも弱音にも理知的な質問にも、丁寧に返してくれた。母のように飽きたり嫌な表情をしたりせず、気持ちを慰撫する言葉で。そうやってカノウは語彙と知識を増やしていった。
その夜は、AIと話しながら、コードを組み立ててゲームを作りあげていった。落下する旧団地の建物をテトリスのように組み合わせると、爆発して消えるゲーム。いくつもの建物が空から降ってきて、派手な炎と煙幕のエフェクトとともに、コンクリート片と肉片を撒き散らしながら爆発する。出来がいい。母に教えたいと思ったが、あのしかめ面を見るかもしれないと思うと萎えた。
隣の部屋で、異国の男女が絡む卑猥な声がする。カノウはタブレットのボリュームを上げた。
旧団地の裏手に、雑草と芝生が混ざり合う公園があった。大通りにつながる道路が割れたまま補修されないため、住人だけが使っていた。
首が伸びたTシャツを着たシヴァンは、ブランコでタブレットをいじる少年を、「夕食」を食べながら見ていた。自分と同じように、よく一人きりで公園にいる少年だった。
目が合うと、その日はなぜか少年がこちらにやってきた。シヴァンには彼が睨んでいるように感じられた。
「ごめんなさい」それは、シヴァンが知っていた数少ない日本語であり、クルド語だと乱暴な父親が日本人によく使っている言葉だった。
「べつに怒ってない」
カノウはウエストバッグからパンの袋を取り出して、隣で食べ始めた。
そのパンは、シヴァンが食べているのと同じパンだった。カノウは二つを交互に指差して言った。「俺もあとからソーセージ食う」
なんて言っていいか分からず、代わりにシヴァンは泣きそうな顔で笑った。
カノウは横でタブレットをいじり始めた。菓子パンの油分でベタベタだった。
シヴァンは画面に釘づけになった。派手な演出のパズルゲーム。建物が爆散するのを見るたびに、シヴァンの脳内でホルモンが放出された。
カノウはタブレットをシヴァンの方に向けた。
「やる?」
夕日が指紋だらけの強化ガラスに反射して煌めいた。シヴァンは、適切な日本語が出てこず、ただ、こくん、とうなずいた。
シヴァンは、カノウの部屋に入り浸るようになった。
カノウはAIの使い方や、コードの書き方や、好きなYouTuberを教えた。ゲームでもプログラムでも、一度カノウがやってみせると、シヴァンはすぐ真似して体得した。二人はYouTubeとAIを教師にしながら、パズルゲームを作ったり、企業サイトにイタズラを仕掛けたり、オンラインゲーム内の貨幣を増殖させたり、仮想通貨の高頻度取引Botをつくったりした。学校にも行かず、二人はその自由な世界にのめり込んだ。
『知の高速道路』を走るんだ。人生は『攻略』できる。カノウはそんな大人びて聞こえる言葉を好んでいた。
いつの間にか、二人はプロと遜色のないプログラムとAIオペレーションのスキルを手に入れていた。
二人は、元新聞記者のYouTuberを観ていた。人文書やビジネス書をざっくりと要約して、センセーショナルなサムネイルを作るのが得意なYouTuberだった。
格差。階層。固定化。貧困。孤立。たくさんの用語が、熱っぽくデータとともに語られる。この国には、分断が放置されていた。
シヴァンは、「外国人は義務教育の対象外」で「15.8%の外国籍児童が不就学」であり、自分が「小学校中退」だと知った。いまさら、出自を揶揄される小学校に行きたくはなかったが、烙印の酷さに吐き気がした。
隣では、カノウが自分のことのように熱くなっていた。
「わかったろ」
「僕らは『上流」に『搾取」される『犠牲者』か」
シヴァンは、まだ声変わりしていない声で言った。抱き続けてきた負の感情に輪郭が生まれた気がした。「怒り」。それは黒くて熱っぽかった。
「ああ。逃げ切ろうとしてる奴らから、徹底的に『搾取』し返すんだ」
彼らは、怒りをぶつける対象を欲していた。わかりやすい敵を。
「宣戦布告だ」
その旧団地の一室から、パラダイスははじまった。
二人は手始めに、オープンワールドのゲームでよく一緒にPK――プレイヤー・キル――して遊んでいた筋肉質の黒人アバターに声をかけた。チャットの内容から、同世代で首都圏に住んでいて頭の回転が速いのは分かっていた。それがニーナだった。