第2話
◇
アルファベットの形をした原色のネオン管が、コンクリート打ちっぱなしの部屋を照らしている。
PARADICE
六本木の古ビルの九階。ひび割れた壁、カーペットの染み、淀んだ匂い。
外には、台湾式マッサージ店の看板をそのまま残している。中に入ると、間接照明が廊下から奥の部屋までを照らしている。金属製の重い扉を開けた先、ネオン管の下に三人の姿があった。
「傑作だったな、あの顔」
そう言って笑う細い目の少年、カノウ。15歳にして集団のリーダーとして『CEO』を名乗っていた。彼らは符牒として企業風の肩書きを用いていた。「俺らのスキルを散々疑っておいて、ざまーない」
「だらしなく幼女に涎たらしてたね」
応じるのは14歳の『CTO』、シヴァン。クルド人二世の少年で、メンバーの中で屈指のプログラミングスキルを誇っていた。彫りの深い顔をモニターで照らしながら、キーボードを休むことなく叩いている。
「二人とも、相変わらず悪趣味ね」
15歳の少女である『COO』のニーナが、ゲーミングチェアをくるっと反転させて言う。ツーサイドアップにまとめた髪の赤いインナーカラーが、透き通った肌に映える。言葉とは裏腹に、共犯者の笑みが口元に浮かんでいた。
カノウの目の前の32インチモニターには、宮田茂雄用パラダイスのログが表示されていた。360度の録画のみでなく、感情判別AIと連携した脳波や表情筋や心拍数のデータが映し出され、興奮度や没頭度が赤裸々に示されている。彼らは健康面をモニタリングする機能をハッキングしてパラメータを自作していた。
画面の左上にPARADICEのロゴが光っている。
彼らが運営するそれは、望む世界へ「帰れる」サービス。
その世界はどれも、鮮やかで生々しい。彼らは、高齢者クライアントが提供する<素材>と、窃取をいとわない<コンテンツ>と、AIのインタラクションを掛け合わせ、バーチャル上に3Dの世界を構築した。
クライアントは、所有する過去の写真や動画といった<素材>を供与する。故郷の、学校の、デートの、肉親の、友人の、思い人の……データ。それは、ときに解像度が低いガラケーの写真や、色褪せたアナログの写真や、肝心の人物が見切れている動画だったりした。
それらと掛け合わせるのが<コンテンツ>だ。彼らは、世の中にある映画やゲームや写真集やアニメや漫画や企業内サーバから、ビジュアルや人物やテキストなどのデータを抜いて活用する。法も権利もルールも倫理も無視していた。
そのワールド上では、AIを活用した会話などのインタラクションが可能になっている。
叶えられなかった夢も、ここで叶えられる。高齢者たちは、視聴覚と脳神経を刺激するヘッドギアを装着し、最適化された願望へ没入し続けた。
ニーナは、デスク脇の小型冷蔵庫を開け、エナジードリンクを二人に放り投げた。いつもの休憩の合図だった。「ほい」
受け取ったカノウが、ログの確認を中断してプルタブを弾いた。「うめえっ」
「もうちょっと女キャラの会話の改善できそうな気がするよな」
「分かる、もっとメスガキっぽく振った方が興奮度上がりそう」
シヴァンがすでに何か思いついたらしくキーボードを叩きはじめる。
「あれ以上、性癖強くするの? もう結構、下品だけれど」
ニーナが苦笑いする。カノウは、ニーナが手で隠した口元をちらっと見て言った。
「この方向でハマらせてキャラ触感オプションに繋げるか」
シヴァンはうなずき、プロンプトから長大なコードを生成した。カノウはシヴァンの肩越しにモニターを覗き込んだ。老成した皮肉っぽい表情が、子供の艶々とした顔に混じった。
「宮田はサブスクの年契まだだよな。契約させて三千万取るぞ」
「うん、絶対契約させよう。秘密基地までのエモい田んぼ道も再現したい」
「要件定義できたらCGチームに投げるか」
「営業アポ取っちゃうね。キャラ触感オプションも見積もりに入れとく」ニーナがすかさず言う。
「待ってろー。溜め込んだ老後資金!」シヴァンがわざとらしくはしゃぐ。
「ああ、稼ぐぞ。『富の再移転』だ」
カノウは缶をデスクに叩きつけるように置いた。
「ノルタルジーに溺れろ。
現実逃避し続けろ。
フィクションを拠り所にしろ。
脳汁の奴隷どもめ」
閉めっぱなしのカーテンの隙間から、夜を照らすホログラムの屋外広告がのぞいている。バイオ・プリンティング整形とヒューマノイド家政婦の広告。
このフロアが、「いま」はパラダイスの本部アジトだ。重要なファイルはこの場所のストレージにあり、大量のGPUを載せた分散処理サーバはクラウド上で稼働している。
パラダイスのメンバーは全国に82名。カノウ、ニーナ、シヴァン――本部の三人だけが、メンバー全員の情報を把握している。組織はピラミッド構造を成しており、いつでも下部構造をトカゲの尻尾のように切り離せるようにしている。彼らはそれを過去の詐欺グループから学んでいた。もっとも、メンバーすべてが数人のAIエージェントを使役する末端の構造は、前時代とは異なっていた。
「次はどっちのパラダイスを詰めよっか?」
ニーナが大型タッチパネル型モニターを操作して、スプレッドシートを拡大した。
直近で納品予定の二つの依頼が大きく映された。
石川恭子(76):女子高校生になってイケメンたちから寵愛を受けるハーレム・パラダイス
吉永雄史(75):勇者になって異世界を救うRPG『ドラゴンファンタジア3』パラダイス
「どっちもわりとあるパターンかな。こういうの尽きないよね」
「Aはこないだの校舎コピペで使えるかも」
「青春ゾンビものは作りやすいよな」
カノウが片方の口角を上げて言う。
「にしても最近案件多すぎ!」
ニーナがスクロールしながらため息をつく。「手が足りないね」
急速に増える需要に対して、作業要員以上にディレクションやマネージメントができる人材が不足していた。
シヴァンは息を吐いてから二人へ目を配る。
「すごい使える奴がいる。どうしても『本部』で働きたいって言ってる」
「そいつなにもん?」
「十四歳で海外の大学出てる、飛び級。インタラクションチームの柱になっててPMやらせても優秀」
「そんなすごいの?」
「うん、実際すごいよこいつ。僕の次くらいに」
そう言ってシヴァンはいたずらっぽく笑った。「あと、とってもいい奴だ」
「まあ、『面接』してみてもいいか。四千万人も高齢者いるんだ、こっちの主力も増やさないとな」
カノウがそう言うと、二人はうなずいた。