第四話
「……それにしても」
戦闘を何度か経験し、武器の振るい方にも少しは慣れてきたところで、僕は今いる平原を見回した。
爽やかな風の吹く、緑豊かな平原。時々魔物と遭遇する事を除けば、のびのびと過ごすのにピッタリな場所だ。
「どうしたんだい?」
「いや、娯楽の為の世界なのに、こんなに広大な自然があるんだなあ……って、ちょっと不思議な気持ちになったんです」
だって、そうじゃないか。普通自然っていうのは、どこにでも当たり前に存在するものだ。
娯楽の為の世界だって言うなら、もっと遊べる場所をたくさん用意した方がいいんじゃないか?
「マァ、この世界を基準に生きてればそう思うよねェ」
そんな僕の疑問に、アイさんは苦笑を浮かべた。
「ワタシ達の世界ではね。大自然を自由に歩き回る事、それ自体が娯楽になるのサ」
「……どうして?」
「ウーン、詳しく話すと長くなるから掻い摘んで言うけども。ワタシ達にとって自然ってのは、ちっとも身近なモノじゃないんだ。例えると、ずっと街が続いてるような、そんなカンジ?」
アイさんの言った世界を、ちょっと想像してみる。どこまで行っても、街しかない世界。
それはとても賑やかで、楽しそうで——なのにどうしてだか、ちょっぴり寂しい感じがした。
「マァ、正確には、全くないってワケじゃないけどサ。実際の自然を味わうより、擬似的に作られた世界で自然に浸る方がよっぽど安く上がる。更に絶対死なないオマケ付きサ」
「……なら、魔物はどうして?」
「これもキミには理解しがたいかもしれないけど、ワタシ達の世界の人間は常に刺激を求めていてネ。大自然を味わえてかつ、敵を倒して人々に感謝される。そういう、色んな欲求が満たせるから、みんなこの遊びにハマってるのサ」
つまり、自分の世界では出来ない事を他の世界にやりに来ている、という事らしい。なるほど、何となくだけど解ってきた。
どうやら、アイさんの世界は、この世界とは大分違う環境の中にあるらしい。
「サテ、もうそろそろで王都メルビナだヨ。ワタシ達異郷の旅人の、いわばスタート地点さ」
「メルビナ……」
その名前は、かすかに記憶にある。確か、総ての旅人が集まる場所……。
「今のキミのレベルなら、各種基本ジョブの解放クエストが受けられる頃だろう。基本ジョブについては、道中でレクチャーするからネ」
「わ、解りました……」
これ以上まだ覚える事があるのかと若干げんなりしつつも、僕達は王都へと向かって進むのだった。
辿り着いた王都メルビナは、とても広くて、人が大勢いる街だった。
僕の故郷も決して小さい街という訳ではなかったが、ここはそれ以上に大きい。初めての光景に、僕はただ圧倒されたのだった。
「わあ……王都ってすごい所ですね、アイさん……」
「ウーン、感動してるとこ悪いんだけどねェ」
しかしそんな僕に、アイさんは苦笑いを浮かべる。
「どうしたんです?」
「コレ、この街の人間、ほとんど背景」
「……はい、けい?」
今言われた事が理解出来ず、思わずオウム返しになる僕。そんな僕に、アイさんはちょっと申し訳なさそうに続けた。
「要は、単に日常っぽい事言ってその辺うろつくだけの役割なんだよネ、ここにいるほとんどが。ここが賑やかな場所なんだヨって、ワタシ達に印象付ける為の。だから元のキミだけじゃなく、ワタシ達が近付こうが話しかけようが何一つ反応しない、出来ないのサ」
そう言ってアイさんが近くを通りがかった女性の前に立つと、女性はアイさんの体をすり抜け、そのまま通り過ぎていってしまった。それを見て久々に、僕は背中に氷水を入れられたような気分になる。
ただそこにいるように見せかけているだけの幻。人間ですらない、ただこの場を演出する為だけの虚像。
先程まであんなに、心が浮き足立っていたのに。真実を知った途端、この光景が、とても恐ろしいものに見えてきた。
この世界の総てが、実際にこの世界を生きる人々の為には存在していないのだと。そんな事を、改めて思い知った。
「……マァ、ワタシ達は、キミ達には感情なんてないって前提だから笑って済ませてるけどさァ。キミの立場からしてみたら、こういうの、相当悪趣味でグロテスクだよねェ?」
そう笑い声を上げるアイさんに、少し恨めしい視線を送る。……彼女にしてみれば親切で告げたのかもしれないけれど、出来ればこれは、知らないままでいたかった。
「じゃ、マ、とりあえずギルドに行こうかねェ。解放クエストの受注は、ギルドでしか出来ないからねェ」
そう言って先導するアイさんに、とりあえずついていく。さっきまで耳に心地好かった賑わいが、今はひどく空虚なものに思えた。
先に進むうち、他とは違う目立つ建物が見えてくる。きっとあれがギルドなのだろうと、言われなくても何となく察する事が出来た。
「お? Leiraじゃねえか」
「!!」
その時、雑踏に紛れて声がした。紛れもない、意思ある人の声。
振り返ると、明らかに辺りの人達と違う格好をした大柄な男性がこっちに近付くのが見えた。この人は……もしかして、アイさんと同じ世界の人なんだろうか。
「あァ、かずのこ? こんな所で会うなんて奇遇だねェ」
「そりゃこっちの台詞だ、とにかく神出鬼没でいつどこにいるかサッパリ解らねえクセに」
和やかに会話を始める二人に、僕は改めて、男性がこの世界の人間ではない事を確信する。それに、アイさんとも知り合いみたいだ。
「ところで、一緒にいるソイツは? 何だか見た事ない面だが」
「えっ!?」
どうするべきか解らず会話する二人をぼんやり眺めていると、突然男性がそう言って僕の方を向いた。急に注目され、僕は思わず上擦った声を出してしまう。
「あっ、その、えっと」
「カレはね、マコトくん。触りだけやって離れたけど、最近出戻ってきたんだってサ」
慌てふためく僕に代わって、アイさんがそう答えてくれる。そ、そうだ、今はアントンって名乗っちゃいけないんだった……。
「マ、マコトです、はじめまして……」
「ふーん。こんな過疎ゲーに戻ってくるなんて物好きな。まあ物好きってんなら、いまだにダラダラレジェワスやってる俺もだけどよ」
「アッハッハ、それねー」
「まあ、俺はかずのこだ。どうせ間もなくサ終だろうが、それまでの間よろしくな」
そう言って、かずのこさんが右手を差し出してくる。僕はおずおずと、その手を握り返した。
……良かった。アイさん以外の普通に話が出来る人間に初めて会ったけれど、どうやらいい人みたいだ。
「お前らは今何してるんだ?」
「マコトくんがそろそろ基本ジョブになれる頃だから、そのお手伝いかなァ」
「なら、俺も手伝ってやるよ」
「……えっ?」
かずのこさんの思いがけない提案に、僕はまた声を上げてしまう。そ、それはとても助かると思うけど、あんまり深く関わると、僕がこの世界の人間ってバレるんじゃあ……!?
「アッ、助かるー。ホラ、ワタシ、この通り大雑把だからサ?」
ところが。アイさんは、実にあっけらかんとそう言った。
「えっ、ちょっ……」
「交流もMMOの醍醐味だぞゥ? だァーいじょうぶ、かずのこは何ならワタシより手厚いから」
慌てる僕に、軽い感じで返すアイさん。けれどその目がニヤリと弧を描くのを、僕は見た。
ア、アイさん……この状況を面白がってる……!
「じゃあまずは、どんな立ち回りがしたいのかからだな。接近戦、後方支援、あるいは魔法職……Leiraほどじゃないが俺も全ジョブ一通りかじってるからな、アドバイスはしてやれると思うぞ」
「は、はい……」
親切なかずのこさんに逆にどう接するべきか戸惑いながら、僕は細々と、今後の希望を述べていくのだった。