6 おれ、ごぶりん
「……んっ、うう……いっつつ」
全身の身体の痛みで目が覚めた。ゴツゴツした岩肌で眠ったせいだ。
前方に三匹の狼の死体。俺が、やったのか。昨日はテンションがおかしくなってたから、妙に現実離れして見えた。
「……腹が減ったな……」
適当に壁をくり抜いてナイフを作り、岩肌で研ぐ。
狼をやはり適当に捌いて適当に焼く。可食部がどこかわからなかったから、三匹分食っても腹はそんなに膨れなかった。砂利みたいな味がする。
問題が起きたのはその後だった。
出口がない。なるほど三匹しか洞窟に入ってこなかったのは入り口がなくなってたからか──じゃなくて!
「迷宮……生きた壁か!」
迷宮。別名を生きた壁。
迷い込んだ生物を決して外に出さず、壁自体が動いて退路を断つ。中にいる生物の魔力を堆肥に育つ害虫。
王宮で学んでいた魔物のうちの一匹だ。
「……流石に危険すぎるだろ、『水辺の森』」
魔物が出るとは聞いていた。だが街から出てすぐのところにある長閑な森に見えた。
行商人が必ず護衛を付けて横断するこの森を、この時の俺はまだみくびっていた。
俺は仕方なく奥へと進んだ。壁を壊して行ってもいいが、労力がかかりすぎる上に今の平衡感覚が正しいとは限らない。寝ている間にどれだけ移動させられたのかわからないからだ。
生きた壁の攻略法は、最奥にある魔核の破壊だ。こいつらは本能で餌が自身に寄ってくるのを拒めない。どこかに必ず魔核へと続く道がある。
しばらく進むと、曲がり角があった。左右に伸びている。さて、どちらに進むか……
ふと、話し声が聞こえる。ゲヒッ、ゲヒャッ、と醜悪なしわがれ声だ。
慎重に曲がり角に身を隠しながら右奥の様子を伺う。
「……小鬼だ。それも数が多い。迷宮の中に巣をつくっているのか……?」
小鬼。この世界ではメジャーな低級魔物の一匹だそうだ。
迷宮と共生関係にある小鬼も、少なくないという。迷宮の中には自然が豊富だ。たまに来る餌も、小鬼達は肉を欲し、生きた壁は魔力を欲する。
どうする……避けて左に進むか、戦うか……。
「待て、奴らは喋っている。言語体系が存在する、のか……?」
俺は、かつての『統一言語』の鑑定結果を思い出す。
『統一言語』:聞いた言葉を理解することができる。また、他者に発言の理解を強制することができる。
だが、俺は小鬼達の言葉を理解できない。今もゲヒャゲヒャ言っている様にしか聞こえない。
待て、耳を澄ませて聞くんだ。しっかり聞け、松山愛人!
『祝福を鍛えるにはどうすれば良いのですか? lv1、とか書かれてたと思うんですけど』
『その祝福を使えば良い。身体が魔力に馴染めば馴染むほど祝福は強化される。魔物を倒すという手もある。こちらは魔物の種類によって鍛えられる祝福は限られるがな』
祝福は、使わなければ鍛えられない。昨日の狼共の声も俺にはキャンキャン鳴いているようにしか聞こえなかった。
この『使う』っていうのは、ちゃんと意識して祝福を行使しないと駄目なんだ。
だから俺たちの『統一言語』は成長していない。『理解を強制する』みたいな、言霊の様な作用はまだ持っていない。ただの翻訳機くらいにしか考えていないからだ。
ただの翻訳機能じゃない。これは歴とした祝福なんだ!
ただの言葉遊びなのは分かってる。でも俺が今縋れるのは自分の力だけ。魔力と、魔法と、祝福だ。駄目でもともと、醜く足掻くしかない。
思い込め、松山愛人。
俺は、生まれた時から小鬼だ。
説得力を。知らず猫背になり、ガニ股に、涎を垂らして目をぎょろぎょろ動かす。
理解しろ、寄り添え。『言葉』を理解しようとするんだ。
「……ゲヒャ、ギヒッ」
小声で、呟く。何事も形から入らなければならない。
それから壁に寄りかかって、小鬼共の声を聞く。
「ゲヒャゲヒャ」
「ギッヒー」
「ゲッゲッ」
!?
今何か、感じることができたぞ!
楽しい──じゃあいつらは今、遊んでいるのか?
今度は観察する。声だけ聞いていても文脈がわからない。
小鬼達は、棍棒を振り上げて戯れあっているみたいだった。軽い力で相手の頭を叩いたかと思えば、避けたり、飛んだり、踊ったりしている。
やっぱり遊んでいるんだ! ゲッゲッは楽しいって感情か? 笑っていたのか?
「ギッ」
すると、小鬼の一匹が俺に気付いた。周囲に警戒を促している。
しまった! 観察に夢中で壁から身を乗り出しすぎている!
俺は魔力を練ろうとする。
次の瞬間、全身を倦怠感に襲われた。
「ギヒ、ギョギョ!?(くそっ、魔力切れか!?)」
そもそも今の俺は大魔法使い松山様じゃねぇ! ただの一匹の小鬼だ!
俺は脱兎の如く真後ろに駆け出した。幸い奴らの歩幅は狭い。追いつかれることはないだろうが、何故か引き離せもしなかった。
「ギッギ……ギヒレギヒレ(どうする……魔力が無いんじゃ戦えないぞ)」
脳裏にある選択肢が過ぎる。
賭け事。ギャンブルとしか言いようがない発想だ。
しかも賭け金は俺の命。
魔法と祝福の違いについて説明しよう。
魔法は、魔力を用いた超常現象だ。万能のリソースである魔力に指向性を与え、望むままに現象を生み出す。魔力ってのは大体の生物が持っている。生命力と言い換えても良い。
一方、祝福は魔力を消費しない。ただの『特技』だと思ってもらって良い。だからグレランもシャンデリア落下事件の犯人予想として、『松山殿でないなら祝福によるものかと』と言っていた。
ただの特技で予知できたり翻訳できているあたり、この世界はやはりどこかおかしい。『世界を超える魔力に適応した規格外の生命体が持つ特技』としては、妥当なのかもしれないが。
つまり現在絶賛魔力切れの俺が持ちうる手札は、魔力を消費しない『統一言語』しか無いわけで。
俺はその場でざっ、と振り向いて叫んだ。
「ギギ! ギヒギヒ!(待て! 俺は小鬼だ!)」
小鬼どもは歩幅を緩めて、慎重に間合いを測っている。知能は七歳児程度だという。が、如何に子供とはいえ、こいつらは情け容赦なく棍棒を振り回す。危険度は相応に高い。
何よりやばいのはその数。繁殖能力だ。この場には三匹しかいないが、近くにおそらく集落がある。魔力なしでどうこうできるとは思えない。
ふと小鬼の一匹と目が合った。
ぞくり、と背筋に氷が入れられた様な怖気が走る。
あれは、捕食者の目だ。まな板の上の鯉を眺める様な。食卓に並んだ豚の死骸を、無邪気に「おいしそう」と評する類の。
「ギヒッ!(くそっ!)」
俺はまたも、脱兎の如く駆け出した。小鬼達はやはり追ってくる。
何がいけなかった。考えろ。くそっ、今の俺は小鬼だから頭が回らない!
一度、小鬼から松山愛人──人間に戻った。ただの自己認識でしかないが。どたどたと拙かった走り方が人間のそれに変わる。
途端、小鬼どもと距離が離れ出した。そうか、小鬼のロールプレイで足が遅かったのか。ガニ股で猫背、とても運動する体勢ではない。
「思い出せ……『統一言語』! なんて書いてあった、俺は何を見て『使える』と思った? くそ、昨日はやっとの思いで生き延びたんだ、こんなところで終わるのか……?」
『統一言語』:聞いた言葉を理解することができる。また、他者に発言の理解を強制することができる。
聞いた言葉を、理解することができる。俺は小鬼共の言葉を、断片ながら理解することができた。タノシソウに遊んでいた。
他者に発言の理解を強制することができる。こっちだ。
ただの翻訳機ならこんな書き方をしない。と思う。ただの願望。
俺たちは、この世界の人間と話すことができた。向こうも俺たちの言葉を理解してくれていたからだ。
ならば、なぜ小鬼達とは話せない。意思の疎通ができないのか。
「……そうか! 俺たちは日本語を喋っていた! 別に無理してこの世界の言葉を喋っていたわけじゃない!」
ゲヒゲヒ言っていても、それは自分でも良く分かってない謎の仮想小鬼語だ。『発言』が『理解』されたところで、「なんか鳴いてるわ」くらいしか思われないだろう。
ならば、だ。
俺は新たに理想の自分を思い描く。
松山愛人。お前は小鬼だ。ただし日本語を喋る。
ざっ、と。もう一度足を止める。猫背に身を屈めてガニ股に、知らず涎が溢れ出し目がぎょろぎょろと焦点を失う。肌が緑色になった気さえする。
追いついてきた三匹の小鬼に、ゆっくりと話しかける。今の俺は小鬼。知能は七歳児程度。
「……まよった。おれ、小鬼。おまえら、おれのなかまか?」
ぴくり、と小鬼の耳が動く。
三匹がお互いに目を合わせてしきりに周囲を見回しだした。まるで何かを探しているみたいだ。でも状況が理解できないのか、頭の上にハテナマークが見える。
そのうちの一匹が前に進み出た。
「オレタチ、ニンゲンオッテタ。ミテナイカ?」
俺は正直に答えた。この辺りで人間を見た記憶はない。
「ミテナイ」
別の小鬼が笑いながら話しかけてくる。
「オマエ、オレゴブリン、ッテナンダヨ! ソンナノ、ミレバワカル!」
「うん、これ、とっておきのギャグ」
ゲヒャゲヒャと三匹は笑ってくれた。俺も嬉しい気持ちになった。認められたみたいで。
「マヨッタ、カ。スニアンナイシテヤル。ツイテコイ」
先ほど最初に前に進み出た、リーダー格の小鬼が言った。それから道を引き返して行くので、俺も黙って着いて行くことにした。
ようやく仲間に会えるらしい。前の住処からは追放されたからな。人狼じゃねぇってのに。
あれ、人狼ってなんだっけ。
よく分からないことは考えても仕方がない。俺は嬉しくって、笑顔で小鬼達に着いていった。
松山愛人。モチーフは人狼アルティ○ットよりフレディ──をもう少し若くしてマイルドにした感じ。