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35 一人寂しく、将棋盤の前で

 幼い男児が二人、将棋盤を挟んで向かい合っている。


 古い記憶だ。担任の先生が持ち込んだ将棋盤は、休み時間になると生徒達の興味を掻っ攫って──すぐに飽きられた。


 小学生には複雑なルールだし、二人でしか遊べない。見ているだけってのは退屈なもんだ。


 それに一番の問題は目の前に座っている男児だろう。


 サラサラの金髪に柔らかい微笑み。何でもそつなく熟すいけすかないやつ──東野京が強すぎたことだ。


 誰だって負けると分かっているゲームはやりたくない。サッカーや野球と違って一対一の勝負では明確に優劣がついてしまう。いつのまにか東野の前に座る者は誰も居なくなっていた。


 それを見て俺は──可哀想だと思ったのだ。


 一人、ぽつんと将棋盤の前に座る東野。勝ち残りは勝者の特権だろうに。やつを退かしたいなら実力で勝ち取るべきなのに。誰も挑もうとしない。


 そんな顔をするな。俺が勝ち方ってのを教えてやる。挑まれ方もな。そう思ってルールも知らぬ間に席に座った。


 東野は困惑しながらも、遠慮がちに言ってきた。「ルール、知らないんだろ? 他の子とやるといいよ、僕は──」


 うるさいと一喝して、俺は彼にチュートリアルを求めた。じゃあ何でそこに座ってるんだよ。さっさと退くか挑戦を受けるかの二択だろ。


 東野は渋い顔をしながらも、席を立たなかった。





「嘘だ……」


 王手。詰みだ。俺の勝ち!


 俺は勝ち誇った。いつのまにか集まっていたギャラリーの一人──浜松神奈が呟いた。


「京くんに勝つには、そうすれば良いんだ……」


「……神奈?」


「こいつ、ズルしてましたよ。ずっと京くんの顔見て、京くんの反応でどこに指すか決めてた」


「……ああ、なるほど」


 ズルなんてバレなければ良いのだ。それにこんなのズルじゃない。トランプでカードを入れ替えたりカウンティングしたりした訳じゃないのだ。俺がやったのはただの表情精査(コールドリーディング)


 それに──東野の表情は読みやすすぎた。


 俺が勝ちに近付くたびに、露骨に嬉しそうに目を輝かせるのだ。まるで何年も昔から、対等な勝負に恋焦がれていたかのように。


 むしろ負けたがっているとさえ言えた。東野は明確に──手加減して、俺に気を遣いながら指していた。


 そんなだから勝ち方を知らないのだ。勝者の振る舞いを分かっていないんだ。


 あまつさえ、勝った後には相手にアドバイスなんてしてやがる。「ここはこうすれば良かったね」「この時、ここに打たれたらやばかったよ」なんて。


 そんなの──惨めになるだけだろう。格の違いを悪戯に見せつけて。友達の戦意を削いでどうするんだ。


 勝者ってのはもっと下品で、低俗で、許し難いモノだ。こんなやつに負けてたまるかって反骨心を抱かせる存在でなければならない。


 だから俺は言ってやった。


「下手くそめ! 今日始めたばっかの初心者に負けてどうすんだよ! 脳みそ付いてんのかぁ??」


 東野はポカンと口を開けて呆けた。教室も一瞬、時が止まったみたいに静寂に包まれる。


 明らかに手加減していた東野相手に勝ち誇る、恥知らずの厚顔無恥。


 一瞬の静寂の後に、は、はは、と渇いた笑い声が木霊する。


 それはだんだんと湿り気を帯びてきて、笑いすぎて涙までこさえながら、腹を抱えて地面を転がり続ける。


「はは、ははははは! ふ、くふ、いひひひひ!」


 笑っているのは東野だけだった。俺はふんすと腰に手を当てて、できる限り腹の立つ顔を作った。白目を剥いて舌を出しピロピロと東野をおちょくる。


「ばーか! ばーか! あほ、間抜け!」

「あは、あはは、いひひひひ!」


 東野はひとしきり笑った後、リベンジを申し出てきた。


 俺は当然のようにボコボコにされて不貞腐れた。ちくしょー、次は負けねーからな!って格好悪く捨て台詞を吐いて教室を飛び出した。


 そういえば、この日から何故か友達がいなくなったのだったか。東野と浜松だけは──何でか俺と遊んでくれたけど。





 場所を変えませんか、と言って浜松は歩き出した。慣れた足取りで先導する浜松に俺は黙って付いていく。


 後方陣地があるのはだだっ広い平原だ。見晴らしも良いが──今は夜だ。偵察兵として一月働いた浜松は、人に見つからない道も場所も知っているのだろう。


 たどり着いたのは後方陣地より一キロ近く後方──使い捨てられた塹壕だった。


「後方陣地も少しずつ前進していますからね。こういうところもあります」


 まあ──ここに人は来ないだろうな。


 既に雨風に流されたのだろうが、それでも死骸の腐った匂いと血臭が取れていない。塹壕に嫌な思い出のあるやつもいるだろう。少なくとも俺はここで涼もうとは思わない。


「……それで、さっきのってどういう意味?」


 浜松は少しだけ眉を寄せた。付き合いの長い俺には分かる。機嫌が悪い時の顔だ。


「世間話もなしです、か」


「なんだよ。お前から何か話す事はあっても、俺から話す事はないぞ」


「それを直接言ってしまうのがあなたの──いえ、なんでもありません」


 浜松は諦めた。そっぽを向いて分かりやすく拗ねる。まるで岩永みたいな顔をする。


「何だよ。言えよ。気になるだろ」


「……別に。仲良くなると雑に扱うのは変わってないですね、って。……仙ちゃんには随分優しかったらしいですけど」


 俺は浜松とは半幼馴染みたいなものだ。東野と三人で毎日のように放課後遊んでいた時期もある。


 だからなんだって話でもあるし、そもそも俺はデフォでこんな口調だろ知らんけど。


「岩永がなんか言ってたの?」


「別に何も言ってませんよ? でもあんなの何も言ってないだけじゃないですか? 気付いてないんですか? 毎日あなたから炊き出しを受け取ってるのに? たまにチラチラ周りを見渡してはあなたを探しているのに? 本当に? 『読心者』じゃなくてもわかりますよ!」


 なるほど『読心者』。浜松は心が読める。便利な祝福だな全く。納得した。


 その上で、口元に人差し指を持っていって静かにのジェスチャー。


「あんまり人の心中を暴くなよ。可哀想だろ」


「あな、たは……」


「俺はこないだのことはもう忘れたよ。忘れなさいって言われたし」


「あなたは………………変わりませんね。仙ちゃんが少し可哀想になってきました」


 可哀想なのは心の声を勝手に晒されそうになったことだろう。俺は全部を聞かなかったことにした。


「っそ。俺は変わってないよ。お前は──少し変わったよな。前までは東野東野って、あいつのことばっかだったのに」


 浜松神奈の働きぶりには目を見張るものがあった。文化祭でも体育祭でも適当に流すこいつがだ。


 そのことについて、俺は今まで意識して触れないようにしていた。何故なら──


「東野様──京くんの記憶を読みました」


 ──多分、これを聞くと浜松の事情に巻き込まれるから。


 このカミングアウトだって初耳だし、予想外のものだった。


 そもそもの話だ。東野は名家の出で、浜松神奈はその許嫁だ。幼少より共に過ごし、将来を既に誓い合った仲。浜松は気が早いのか東野のことを様付けで呼んだりもしていた。もうお嫁さん気取りだ。


 そんな浜松がなんで一人でここにいるのか。そこにはきっと面倒な事情があるし──これを聞いてしまうともう、俺は戻れない。


 浜松に協力する以外の道がなくなる。高校に入ってから喋らなくなったとはいえ、何だかんだ、二人のことは特別大事ではあるのだ。


「……珍しいな。その呼び方、中学上がってから聞いてないぞ」


 俺は時間稼ぎを試みた。多分、浜松がしたかった『世間話』に乗ってやろうと思った。


「気分ですよ。もともと、敬称だって気分でした」


 浜松は一刀両断して話を進めようとする。


「そういえば、再会を祝うのを忘れていました。無事で良かったです、松山」


「……何の話だ?」


「……追放、されたでしょう。京くんに」


「……」


「恨んでないんですか?」


 かつて岩永に『クラスメイトを恨んでないのか』と聞かれた時、俺はノーと即答した。


 東野を恨んでいるかと聞かれれば、果たしてどうか。多分答えは変わらない。


「ああ。恨んでないよ」


「……」


「多分、俺にはわかんない何かがある。それで俺は──読み違えた。俺が知恵比べで負けただけだ。負けたのに後から文句言ったりしねぇよ」


「……思考のトレース。『憑依』、ですか。京くんは、貴方の想像を外れたのですね」


 そうだ。多分、恐らく、きっとそう。


 東野なら、俺を追放しないこともできた。過大評価でなくそう思う。できなかったのでないのなら、東野はそうしなかったのだ。


 何故か、というのはわからない。

 その答えは今、浜松神奈が持っている。


 風がひゅうと塹壕を撫でた。地上の血生臭さに反比例するかのように綺麗な星空の下、浜松は親友の秘密を打ち明ける。



「──東野京は狂っています」



 俺は動揺しなかった。


「……いつからだ?」


 浜松も淡々と答えた。


「召喚された直後から」


「『祝福』のせいで?」


「おそらくは」頷いて目を伏せる浜松。「私も全ての記憶を読めたわけではありません。背後から不意打ちのように首に触れて──振り払われた」


 でも、これだけは確かです。浜松はそう続けた。


「……京くんは、これが最善手だと信じています」


「……これ、っていうと」


「『何もしないこと』が、です」


 何もしない。手を出さない。静観。


 安定派とは、慎重な訳ではない。それは岩永達悲観派の領分だろう。


 石橋を叩いて渡る悲観派。

 命綱と共に笑顔で渡る楽観派。

 誰とどう渡るかを気にする興味派。


 そのどれとも違う安定派は──王道を王道のままに、大手を振って渡るのだ。これが王道。正々堂々正面から真っ向勝負。古くて面白みもないが、隙もない。


 故に──


「東野らしくねぇな」


「でしょう?」


 ──俺たちは笑う。東野京の醜態に。クスクスと声を忍ばせて含み笑う。


「くっくっく……」

「ふ、ふふふ……」


 あの東野が『狂人』ロールとは、似合わないにも程がある。


 相変わらず可哀想なやつめ。一体何を背負っているんだ。何を背負わされたんだ。


 何を考えている。何を怖がっている?

 また一人で誰も僕のことは理解できないって顔をしながら将棋盤の前に座っているのか? 勝手に孤独を気取って、心の奥底では誰かが対面に座ってくれるのを待ち望みながら。


 東野京が狂人ならば。

 奴が従う『人狼』は誰だ?


 ひとしきり笑った後に、浜松が言う。


「本題に入りましょう。魔王城に──北道生徒会長に、会いに行きませんか?」


 その申し出に、俺はもう断る言葉を持っていなかった。


「京くんの想定を──少し、狂わせてあげましょう」





「前に少し話しましたよね。我々が戦っている魔王とは、北道会長のことです」


「……ああ。あんまり気にしないようにしてたけどな」


 浜松自身も、それをどう受け止めるか悩んでいたようだったから。彼女が答えを出すのを待とうと思った。時期がくれば俺に相談してくるだろうことは分かっていたからだ。


 こんなこと、坂や岩永には話せない。強いて言えば沖がいたが、彼は非戦闘員だった。まあ俺も戦えないんだけど。


「……先に京くんの目的について話しておきましょうか」


「東野の?」


「ええ。彼の定めたゴールは──帝国皇帝バドズィナミア・オムニの暗殺です」


「……これまた突拍子のない名前が出てきたな」


 最古のエルフ。魔王であり勇者であり賢者であり聖女である万能の魔法使い。つまり現存するほぼ全ての魔法を網羅するという、世界最強の怪物。


「こんな話があります。オムニ皇帝は長い生命に飽いて久しい。誰よりも死を渇望しており──それを為した者の願いを叶えてくれると」


「へえ」


 ケンケンは、かの皇帝は戦争を望んでいると言った。魔法が発展するからと。


 その先にあったのが自殺願望となれば──納得はできないが理解はできる。勝手に死ねよとも思うが。


「そして、北道会長の目的も恐らくソレです」


「根拠は?」


「私はアマビエの記憶を読みましたから。彼女の進軍には不自然な点が多すぎる」


 よく分からないが、浜松が言うならそうなのだろう。俺は話を進めた。


「なんだ。てっきり魔王を暗殺するんだと思ってたが、この感じは共闘路線か?」


「会長がどう出るかはわかりませんよ。だから会いに行くんです。あなたの『洗脳』──あれで私たちを味方だと誤認させることは可能ですね?」


 俺は一度、浜松の前で『統一言語』を使っている。浜松が捕虜として捕まえた小鬼に対し、洗脳を試みた。


「ああ。できると思う」


 あの時は失敗したが──それは、多分俺を主人や王の類だとは思わせられなかったからだ。魔王様と俺でカリスマバトルをして、負けた。


 だが、『俺たちは味方だ』とでも言えば、魔王軍への潜入自体は容易に可能だろうと思われた。


 これが俺の考えていた『暗殺プラン』──危険すぎるしノーシーストのためにそこまでする義理もないと思っていたが、東野や北道会長やらが絡んできたなら話は別だ。


「坂や岩永達はどうする? ああ、いや駄目だな。あいつらは今や戦場の要だ。ノーシーストを離れるのはまずい」


「でしょうね。それに二人は既に魔物を殺しすぎています。あなたの『洗脳』の効き目が悪くなるのでは? アレは無理やり言うことを効かせる類の術ではないでしょう」


 確かに、そうだろう。


 いくら俺が『こいつは味方だ』と言ったところで、昨日まで殺し合ってた人間を迎え入れてくれるとは思えない。


「……これは確かに二人には聞かせらんねぇな〜。言ったら絶対付いてきたがるぜ、あいつら」


「はい。なので決行は明日の夜にしましょう。スケイル指揮官にだけ出発を伝えて、すぐに」


 そういうことになった。俺も異論はなかった。

松山愛人(小学生ver):趣味はゲーセン通い。負けると顔を真っ赤にして悔しがるので大人達は面白がって作法(煽り方)を教えてくれる。

それはそうとクラスの人気者にハンデマッチで勝って煽り散らかすのは人としてどうなんですかね、松山くん。

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