31 戦争
岩永が泣き疲れて眠った時、それは起こった。
「魔王軍だ! 魔王軍の襲撃が来たぞ!」
カンカンカンカーンと警鐘が鳴き響き、兵士たちが慌ただしく動き始める。俺は目を覚ましかけた岩永の耳を咄嗟に塞いだ。
「……ぅえ?」
今日くらいは休ませてやりたいと囁き声で叫んだ。『統一言語』を人間相手に使ったのはこれが二度目だ。
「岩永、気にするな! 安心して寝てろ!」
「……安心、して……松山ぁ、居なくなったりしないぃ……?」
「ああ! ずっと傍に居てやる! ……だから寝てろ」
「……ずっと、傍に……」
俺たち用にと当てがわれたテントに岩永を背負って運ぶ。こいつは本当に心の底から安心しきったかのような顔で寝ていた。
その途中で面倒なやつに見つかった。
浜松だ。
俺が入ろうとしているのは女子用のテント。
背負っているのは意識のない岩永だ。
「松山、あなた……」
「誤解だ! おい、岩永が起きるから騒ぐなよ……!」
「……」
「ちょっと酒入れたんだよ! こいつくそ弱くてさ」
「……見え透いた嘘までつくんですね」
なんだかんだ岩永は真面目だ。未成年飲酒などしない──違う! こいつ『読心者』じゃねぇか心が読める!
「はあ。こちらに。スケイル指揮官が私たちを呼んでいましたよ」
流石『読心者』は話が早い! 俺は一瞬で手のひらを返した。浜松がテントの中に手早く寝床を用意してくれたからだ。
最後にずっと握っていた手を離そうとすると、岩永が名残惜しそうに手のひらを宙に彷徨わせた。軽く手を合わせて胸の上に持っていってやると穏やかな寝息が聞こえてくる。
こうして見ると本当に可愛いなコイツ。喋ると罵声が飛び出すんだけど。
「……あれですか、ぱーふぇくとこみゅにけーしょん」
チェイネンでポンズに使ったアレだ。俺は無意識下でのみ相手の欲しい言葉をかけてやる事ができる──それを知っている浜松の視線の色は軽蔑。
「馬鹿か。友達にあんなの使わねぇよ。……たまたま弱音を聞いただけだ」
「友達、ね。仲良くなったんなら良かったですね。東栄のアイドルですよ」
「やめろよ! ただでさえお前らと中途半端に仲良いからクラスでの俺の立場良くわかんねぇのに。……ん、行こうぜ、呼ばれてるんだろ」
浜松と東野とは小学校以来の付き合いだ。まあ、二人は幼稚園から同じ幼馴染だから霞んで見えるけど。
探るような無表情と共に、俺はスケイルの元へと向かった。
○
指揮官テントに辿り着くと、スケイルは慌ただしく周囲に指示を出していた。坂と沖もいる。俺たちが最後のようだった。
「来たか……もう一人の女はどうした?」
指示を飛ばしながら俺たちに確認を取る。
「旅疲れで寝ました。今日のところは不参加でも構いません?」
「ちっ、まあ良い。功労者だ。元より、初日からお前たちを戦わせるつもりはない」
夜間襲撃──それも宴の最中だったというのにスケイルの顔に焦りはない。兵士たちの動きに澱みもない。
そう驚いているとスケイルは言った。
「当然だろう。夜は魔物の時間だ。哨戒も出している。襲撃は一時間後だ。今から接敵地点に向かって塹壕を掘る」
なるほど想定済みというわけか。一時間後って結構余裕あるし。
「お前たちにはケンケンを付ける。今日のところは見学だが──おい、ケンケン。現場判断で適当に働かせても良い」
そう言ってスケイルはケンケンに俺たちを投げた。まあ郷に入っては郷に従えだ。俺たちは指示通りに動くことで合意した。
ケンケンはラジャーと敬礼。その後、俺たちを先導して歩き始めた。
○
ケンケンが引き連れたのは俺たち四人と、魔法兵が十人ちょっとだった。
移動しながら、ケンケンは魔法兵たちの長らしき人に挨拶した。
「久しぶり、ニャンニャン。やり方は変わってないよね?」
ニャンニャンと呼ばれたのは猫耳に三白眼の女性だった。ビバ異世界!
やっぱこうじゃなきゃなと思った俺の目の前でニャンニャンはぎろりと猫目をぎらつかせて威嚇した。キシャー! とものすごく怖い顔で。
捕食者の顔だ、これは。ライオンもチーターも猫科なのだ。よく見ると口裂け女みたいに大きな口してるし瞳孔は黄色い。
「あたしの名前はキャトにゃ! 家名しか持たないお前とは違うにゃ。あとお前のやり方が変わったかなんて知らないにゃ」
「ご、ごめん忘れてたよ……この子はキャト・ニャンニャン。僕の後輩だ」
「キシャー!」
キャト・ニャンニャンは再度尻尾や耳の毛先を逆立てて威嚇する。彼女を『ニャンニャン』呼ばわりするのはやめようと思った。
「坂にはとりあえず、キャト達の護衛を頼みたい。なるべく抜かさないようにするけどね。他は見学だ」
接敵地点に辿り着いたが、ケンケンが何かする様子はない。すぐ横──といっても百メートルは先だが──の部隊はせっせとスコップを動かしているというのに。
「塹壕、掘らなくていいのか?」
俺が尋ねると、ケンケンは頷いた。
「うん。アレは魔法を斬れない人用の盾だから」
「……?」
「スケイルさんが松山たちに求めてるのは、僕みたいな働きだと思うよ。だから最初に僕を君たちに付けたんだ」
「……お前りゃ、こいつの代わりだにゃんて正気かにゃ? 信じられないにゃ、そんな化け物には見えないにゃ」
「?」
よく分からなかったが、ケンケンが必要ないと言うのならそうなのだろう。周りの魔法兵さん達が不安そうにしているのも多分、気のせいだ。
もうすぐ一時間が経つ。そんな折、遠くの彼方に光が煌めいた様な気がした。
「来たよ、ニャンニャン!」
「キャトにゃ! 分かってる!!」
瞬間、キャトが魔法で防壁を張る。青いバリア──高松が使ってたのに似ている、魔防壁だ。
着弾はその直後だった。眩い光──光線やら炎弾やらの爆撃が防壁に衝突して激しい爆発光が生まれた。
「う、うわっ!!」
俺は尻餅を着いた。
戦争──魔法戦を侮っていた。ていうか魔物が魔法使ってくるのかよ! いや、チェイネンでも『水爆』を落としてたか? とにかくこんなの──俺たちに介入する余地は、あるのか。
そんなことを考えているとケンケンも動いた。彼は一瞬で空に飛び上がり、剣を振り上げて迫り来る爆撃を受け流していく。
「ニャンニャン! 足場!」
「キャ・ト・にゃ! 分かってるにゃ!」
飛び出して行ったケンケンを見て、キャトはバリアを解除してケンケンに土の足場を作る。ケンケンはそれを踏み締めて魔法の迎撃を再開した。
「お、おい! なんでバリアを解除した!」
「バリア……? ああ、魔防壁のことかにゃ。アレは燃費が悪いにゃ。全部の魔法を魔力に分解してたらいくら魔力があっても足りないにゃ──だから他の部隊は塹壕を掘ってるし、魔法兵は前線にほとんど出てないにゃ」
「は、はあ!? じゃあなんでお前らはここに──」
「……慌てるなよ、愛人。ほら、上を見ろ」
「これが落ち着いていられるか! ほら、すぐそこに魔法が──」
そう、すぐ隣に魔法が落ちてきて土煙をあげている。
それらは全部、ケンケンが斬って受け流した後の魔法弾だった。
「……え?」
「あたしも最初は驚いたにゃ。魔法兵を前線に持ってくるなんてどんな現場知らずの指揮官かと思ったにゃ。……そいつは一番現場を知ってるはずの突撃兵だったにゃ」
キャトは呆れを隠そうともせずにケンケンを睨みつけていた。尊敬の念を込めて。
隣の現場──兵士たちは塹壕の中に身を潜め、迫り来る魔法の弾を盾で弾いていた。何十人も兵士を集めてだ。そこに魔法兵の姿はない。
『魔法は僕が全部斬るからさ、もっと近くにおいでよ。そしたら魔力も使わないし射程が伸びる』
ケンケンは最初、そんなことを宣ったらしい。頭がおかしいとしか思えない。
他の部隊の魔法兵はどこにいるのだろうと思って見るが、いない。ここに来ている魔法兵はキャト達だけだ。
「……これが、開戦の合図代わりにゃ。好き放題に魔法を撃てる機会なんて接敵してない状況だけにゃから」
それから一時間ほど過ぎただろうか。永遠にも思えた魔法砲撃の時間がよくやく終わった。
瞬間、遠くから地響きの如き行進の音が聞こえる。魔王軍が進軍を始めたのだ。
同時に魔法兵──キャト達も魔法の詠唱を始めた。
「……お返しにゃ」
なるほど、これが『戦争』。
開戦前に無差別の魔法砲撃で数を減らし、その後に歩兵同士の潰し合いが始まる──
「じゃあ僕は行ってくるよ」
「……へ?」
そう言ってケンケンは前方へ駆け出して行ってしまった。たった一人で。彼以外、そんなことをしている歩兵は誰もいない。
「よ〜ぅし、はにゃてー!!」
そんなケンケンを意に介さず、キャトは魔法兵達に発砲を指示した。
そんな事をしている部隊は一つもない。ようやく終わった魔法砲撃から大勢を立て直し、迫り来る歩兵に備えている。
「お、おい! ケンケンが……」
「うるさいやつにゃ! よく見るにゃ!」
「……っ?」
数多の魔法が、今度はこちらの陣地から放たれる。まだ姿も見えない魔王軍に対して、駆け出して行ったケンケン諸共に。
「普通は攻める側しか魔法砲撃は行わないにゃ。砲撃が終わったらすぐに魔物が詰めてくるからにゃ。貴重な魔法兵を殺されたら大損にゃし、接敵したら同士討ちが怖くて魔法なんて撃てないにゃ。でも──」
キャトは魔法を放ちながら解説してくれる。
時刻は深夜。暗闇に見えなくなる直前、運悪くケンケンの背後に誰かの放った魔法が迫る──
「……あっ」
──それを、ケンケンは後ろを見もせずに斬り払った。そのまま暗闇の向こうに消えていなくなる。
「──あいつは、一人にゃ。しかも魔法砲撃の中でも生き残れるくらいの剣馬鹿にゃ。だから、あたしらの部隊だけケンケン諸共魔法をぶっ放してるのにゃ」
俺はケンケンが戦うところをほとんど見たことがない。強いて言えばガシャドクロとやり合ってる一部始終だけだが、あの時は防戦一方だったはずだ。
でも、確かに。怪我を負ってはいなかったかもしれない。ガシャドクロの剛剣を受け流し、斬り払い、危なげなく『防戦』していた。
「ケンケン、強ぇ……」
「あん? 知らなかったのかよ?」
魔法も斬るし単身敵陣に突っ込む勇気も持ってるし。本人が気弱に見えるから、俺は何か誤解をしてたのかもしれない。
先ほど、魔法砲撃に対して盾を構えて凌ぐ兵士たちを思い出す。もしあの場面に砲撃を気にせずに突っ込んでくる魔物がいたらどうか。
当然戦線は崩壊する。混乱した現場に迫り来る魔法砲撃。全滅以外の結末はないだろう。
こちらの砲撃は二十分ちょっとで終わった。それが終わると魔法兵たちはそそくさと撤退準備を始める。
「あたしらの役目は終わったにゃ。魔力も消耗したし歩兵に詰められる前に逃げるから、お前らはケンケンを待って指示を仰ぐと良いにゃ」
俺は呆気に取られて動けなかった。
戦争というものを舐めていた。魔物の群れと言っても烏合の集だと思っていた。
違う。敵は知恵を持っている。戦術を知っている。指揮官もいるだろう。そして──魔法と言うものはかくも、恐ろしい。
そんな俺を、撤退すると言ったキャトは一人残って見つめていた。他の魔法兵たちは皆引き上げたのに。
何も言えずにしばらく待っていると、暗闇の中からぬるっと血まみれのケンケンが姿を現す。全部返り血だ。本人に怪我をしている様子は──ない。
「お疲れ様、です……ケンケンさん」
「なになに? 松山、何で距離取るの?」
い、いや別に? 俺とケンケンは友達だ。他意はない……よ? 怖いとか思ってねーし!
「明日からは、君たちにもコレをやってもらうから」
「出来るわけねーだろ!!」
ケンケンの無茶振りに、俺はそう返す他なかった。
○
物語とかRPGの勇者パーティが何で少数精鋭なのかが分かったよ。あれ、暗殺とか奇襲とかの類なのだ。
真正面から戦争やるってなったらそらこうなるよな。魔物の大群と人の群れ、正面から命や魔力を奪い合う──消耗戦。
「あれ、そういえばなんで君たち三人しかいないの? キャトもいるし」
「……へ?」
言われてみれば、ここにいるのは俺と坂、それから何故か残ったキャトだけだった。魔法兵はともかく、浜松と沖がいない。
「ああ、神奈と苗葉はずっと前に逃げたぜ。向こうから魔法が飛んできた時だったかな」
「むちゃくちゃ序盤じゃねぇか!」
全然気付かなかった。俺も動転していたのだろう。
ケンケンは眉を下げて頬を掻いた。
「困ったな。僕らの前方の魔物は全滅させたけど、他の部隊はまだ戦ってるはずだ。今からそれの加勢に行こうと思ってたんだけど……」
ケンケンはちらと俺を見た。腰を抜かしてビビりまくってる俺を。
「坂は大丈夫そうだけど、松山はどう? 付いてこれそう?」
坂伊坂は拳を突き合わせて戦意をあらわにしている。遠くからは何か巨大な群れの行進する、どたどたとした足音が聞こえている。
「俺は……」
大丈夫だ、と言いたかった。でも、言葉が喉を詰まって出てこない。
最初から『憑依』していれば違ったかもしれない。俺は屈強で勇敢な兵士マツヤマだ、とか適当にでも。
もう手遅れだった。ここにいるのはただの学生松山愛人。
血と噴煙──戦争の匂いに足が震えて一歩も動けない、ただの一般人松山愛人だ。
「……無理そうだね。今日は休むと良い。長旅で疲れたんだろう。……キャト」
ケンケンはそう言ってキャトを見た。キャトははあとため息を吐いて俺に肩を貸してくれる。
「こうなると思ったにゃ。お前──酷い顔にゃ」
「……」
後方に向かって歩き始めるキャトに肩を貸されたまま、俺は抵抗できなかった。安全な場所に行けるということに安堵さえ覚えた。
黒狼に襲われた時とは違う。小鬼やヌリカベ、チェイネンの時ともだ。何が違う、考えろ。何で俺の足は動かない!
「……ごめん、ケンケン」
「謝る必要はないよ。ここは──ちょっと、特殊な環境だ」
特殊な環境。そう、ここで行われているのは戦争だ。
人間一人の命の価値が、極端に低い。
魔法砲撃で何人死んだ。何匹殺した。
これから何人死ぬ? 何匹、殺す?
それらの『死』が、予め想定され許容されている世界。死んだ数よりも殺した数を競う場所。
何が違うのか分かった。ここでは『命の保証』がされていないのだ。
この山場を超えたら安全だ。敵を倒せば自分は助かる。そんな保証が。
いくら殺しても殺されても終わらない──終わるとすれば、それは自分の命が尽きる時だけ。それが『戦争』。
そんな最悪な未来を、馬鹿みたいに過剰な俺の想像力が幻視してしまったのだ。
ここで生き残れるのは、ケンケンや坂のような超越者だけだ。メイズも死なないだろう。ポンズならどうだろうか。
少なくとも俺は死ぬ。絶対に死ぬ。
それも何らかの矜持を守ってだとか、友人を助けてだとかそんな大義のある死じゃない。
無数の、沢山いる兵士の一人として、無為に死体を晒すことになるのだ。
「は、はは……」
乾いた笑いしか出なかった。
俺って、こんなに弱かったんだなぁ……
「着いたにゃ」
そんなことを考えていると、いつの間にか後方陣地に辿り着いていた。
俺たち用にと当てがわれたテント。男子と女子とで一つずつ。
力なく倒れる俺をキャトは憐れむような目で見下ろしていた。
「……異世界の勇者っていっても、人間にゃんだな。たまに新兵がお前みたいにゃ顔をするにゃ」
キャトはバンバンと乱暴に俺の背を叩いて去っていく。
「あんまり考えすぎないことにゃ! どうせ、すぐに慣れるにゃ」
しばらく地面に突っ伏していたが、やがて死体の様な足取りでテントに向かう。今はただ、休みたかった。
悪い想像をするととことんまで落ち込んでしまう。俺の悪い癖だった。いつもは逆に、良い想像ばっかりしてるから能天気に振る舞えるんだけど……
明日からは切り替えないと。一旦『統一言語』を試して……いや、魔法兵に志願するのはどうだ? 比較的安全そうだし──
「あ! 松山!」
「へ?」
──と、目の前の天幕が勝手に開いた。俺は触れていないのに。想定外の事態に間抜けな声を出してしまう。
そこに居たのは、真っ赤な涙目で俺を睨みつける少女──
「どこ行ってたのよ……! ず、ずっと居るって、離れないって、い、言ったのにぃ……!」
──悲観派筆頭、岩永仙だった。
訂)キャト達以外の魔法兵を最初から来ていなかったことに。
キャトの台詞「普通は攻める側しか魔法砲撃は行わないにゃ」を追加、他戦争の形態について大幅修正。




