26 三つ目の戦場
時は少し遡って、チェイネンの正門。その外壁の上。衛兵や戦士の集ったのは裏門だけではなかった。もはや安定した防衛線に所在なさげな姉妹がいた。
『黒炎』のメイズ・シュトローム。
『狂水』のメイル・シュトローム。
「……私たちの仕事は終わりってことかしらね」
「そうねぇ」
もともと時間稼ぎ──衛兵への通報や諸々を終わらせて、それでも間に合わないと判断したから多少の時間だけ作る遅延行為だった。真っ先に被害が出る、都市外縁部貧民街の被害を減らすための。
松山を頼ったのは『地獄の業火に渦巻かれ』の発動で場所が分かったことと、通り道だったから。
未だ底の見えない死者の軍勢は脅威だが、衛兵や戦士たちが到着した今これ以上手を貸す義理はない。メイズはあくまでフリーの冒険者だ。
「……」
と、メイズが都市の方──その先にある裏門の方向を見ていることに、姉メイルが目敏く気付いた。
「気になるの?」
「……っ別に。あの言いようで下手打ってたら承知しないわ」
「……ふむふむ。どれどれ……あら、松山さん、今は教会でお休み中みたいよ。隣にいるのは……ポンズさん? ほらあの、金髪の僧侶さん」
「はあ!? サボってたってこと!?」
メイルはあははと笑って首を横に振った。その右目は黒く染まっている。『鴉の目』だ。松山には一羽、メイルの烏を付けている。
「違う違う。疲れ果てて寝てるのよ。さっきの『爆撃』を防いだのがポンズさん。裏門で時間稼ぎしてくれたのが松山さん。都市に侵入者は無し──ちゃあんと約束は果たしてくれたわ。良い友達を持ったわね」
メイズはふんっ! とそっぽを向きながら尋ね返した。
「……当然よ。松山はアレで概念武装が使える……でも、ポンズが爆撃を防いだって本当? あの子、生まれたての子鹿みたいな時魔法使いよ」
メイルはにっこりと笑った。嫌な顔だ。数少ない苦手な姉の顔。
「そう! そうなのよ! 魔力も気力も足りていないあの子が──何をしたのか私には分からなかった。私に分からなかった、ってどういう意味かわかる?」
メイズはため息を吐いた。
「『祝福』絡みってことでしょ」
「……そうよ。『祝福』に関してはまだ分かってないことの方が多いからねぇ。ここには『異世界勇者』が大勢来ているみたいだし……」
「え、そうなの? 松山と同郷、ってことよね」
「お忍びみたいだったけど、この状況じゃねぇ。ほら、兵士さん達を守ってる青いバリア、あれも多分誰かの『祝福』でしょう」
メイルの好奇心は留まるところを知らない。烏と常に視界を同期している姉に基本的に隠し事は不可能なのだ。
確かにあの青いバリアから魔力は感じない。もちろん原理も分からない。
が、メイズはその辺に興味はない。
「それでどうする? 私は今すぐにでも都市を出たいんだけど──」
薄情に聞こえるかもしれないが、これは一般的な冒険者の考えだ。
各地を放浪していたと言ってもメイズはセキーストの冒険者である。身柄も魔法もセキースト冒険者組合の財産であり、下手に他国で功績を上げれば国際問題に発展する可能性もある。
その危険を顧みず最低限の助力をしただけメイズは優しい方だ。チェイネンにはチェイネンの防衛機構がある。それに任せるというのは合理的な判断なのだが──
「──松山が、嫌なこと言ってたのよね。魔王軍がどうとか」
──対魔王軍となれば話は別だ。
人類と魔王軍の戦争であれば、国同士の細かな諍いなどは些事となる。
「私はちょっと行きたいところがあるわ。さっきの『爆撃』の子のところ! メイズにもとっておきの戦場があるわよぉ。聞きたい? 聞きたいぃ?」
「何でそんなテンション高いのよ。早く教えなさいな」
「……ん〜、松山さんを拾ったところのあたり、ケンケンさんが苦戦してるみたいよぅ」
「おーけー、じゃあ別行動ね。また後で会いましょう」
「うん、また後で」
そうしていつかは交わせなかった再会の約束と共に、姉妹は反対の方向を向いて歩き出す。
口元に微笑みを携えて。
○
そんな訳で松山を拾った場所──三つ目の戦場に来たメイズだったが、メイズは面を顰めた。
「ケンケン、もっと早く!」
「これが精一杯だって! そっちこそ合わせてよ!」
「坂、そこ邪魔!」
そこには一体の魔人と、それに縦横無尽に纏わりつく三人がいた。
「……これ、私の仕事ある?」
そこでは強大な魔人に立ち向かう、三人の一糸乱れぬ連携が見て取れた。
メイズの得意なのは広範囲殲滅だ。長年ソロで冒険者をやっていたこともあり、集団戦のサポートには向いてない。
特に目を引くのは女──露出の多い服装の翼生えた淫魔じみた格好の、岩永仙だ。
ケンケンと剣士の奮闘は理解できる。ケンケンに至ってはノーシースト最強の戦士だし、剣士もケンケンに負けず劣らず凄腕に見えた。
女は明らかに素人だった。それに何故か一番魔人に狙われている。にも関わらず、危なっかしい飛行で被弾を避け、魅了や催淫の煙を撒くなどきちんと仕事を果たせていた。
「……っ!」
それを為しているのは圧倒的な集中力だろう。普段使わない筋肉を、普段使わない頭の回し方で必死に稼働させているのが見て取れた。額には脂汗が浮いている。
「……ていうか、淫魔よね、アレ……なんで? 仲間割れ? そもそも淫魔って絶滅したはずだし……」
訳がわからない。姉がメイズをここに派遣した理由も──
「おい! 岩永、坂! そいつがガシャドクロか!?」
屋根の上でメイズが悩んでいるうちに状況が変化する。
褐色肌に坊主頭の青年が、メイズと反対の屋根の上から声をかけたからだ。青年の一声に戦場は一瞬停滞し、また目まぐるしく動き出す。
「沖じゃねぇか!」
淫魔と剣士は乱入者と知り合いみたいだった。
「合ってるわよ、そいつが魔王軍幹部のガシャドクロ! 都市をめちゃくちゃにするつもりの悪いやつ!」
「おう、そんじゃ浜松からの伝言! そいつの弱点は『聖水』だ!」
言うだけ言って、沖と呼ばれた青年はどこかへ行ってしまった。見たところ戦う力は無いようだったし、魔王軍幹部の眼前に姿を見せただけでも褒められるべき勇敢さだ。
そして、弱点は聖水、と。
ガシャドクロは一見無敵の戦士に見える。六本もある剛腕、類稀な剣技。そして何より、立ち所に再生してしまう無敵じみた継戦能力。
弱点が聖水という事はつまり、そう言う事だ。
メイズは声を張り上げる。
「ケンケン!」
「ああもうそう言うことか! 道理で手応えがおかしいと思った……こいつ、死霊繰りか! ってメイズ!?」
「あなた、聖騎士術は使えるわね!?」
「そんなの使える訳ないでしょ!」
「でしょうね。じゃあ少しだけ待ってなさい。すぐ戻るわ!」
伝える事は伝えてメイズは教会へと向かう。
教会の入り口には聖水がある。聖なる水は不浄の証だ。
そしてメイズレベルの魔法使いならば、聖水を固めて剣を造るなど造作もない。長年使える名剣を打てと言われている訳ではない。今回限りの戦闘に耐え切れる強度があれば良い。
「……ぬぅ。困った事になったな」
「行かせないよ!」
追い縋ろうとするガシャドクロをケンケンが止める。そうしてメイズは一旦の戦線離脱を果たした。
○
「つまりどういうこった?」
目まぐるしく変化のあった戦場で、一人状況についていけていない者がいた。
いや、ついていきたくなかった、と言うのが正しい。
男の名前は坂伊坂。『剣術の達人』──その身に満ちる祝福に全てを任せ、今なお進化を続ける剣士であった。
坂は今さっきまで、いわゆる無の境地と呼ばれる場所に限りなく近いところにいた、のだと思う。
あらゆる雑念を捨てた戦士の極地。
剣を扱う者なら誰もが望む場所だ。余計な思考はなく、ただいつどこでどのように剣を振るうか。敵の首を斬り落とすか。それだけを考えれば良かった場所。
先に変わったのはガシャドクロだ。彼も坂の想いに応えてくれていると思っていた。
未だ実力差は埋めれていない。ケンケンと岩永、二人の協力があって初めて対等に戦えていた。
そう、ケンケンと岩永と坂。この三人は、先ほどまで一心同体と言っても過言ではなかった。少なくとも坂の認識上ではそうだった。
だからガシャドクロが岩永を狙うのも道理であった。弱点を狙うのは戦術だし、それを補うのも坂やケンケンの役目だ。
そのガシャドクロが、途端に乱入してきた女に狙いを変えた──つまり、坂に背を見せた。
斬りかかるべきだった。事実ケンケンはそうした。
だが、坂は裏切られたような心地で立ち尽くすことしかできなかった。
なんで、どうして。俺たちは求め合っていたハズじゃあ──
「……ッ」
──雑念が、入り混じってしまった。
「坂。あれはもとから死体だったんだよ。死霊繰り──死体使い? ともかく、何度も再生してたのはそれだ」
呆ける坂をフォローしながらケンケンが伝えてくれる。坂も応戦しているが、動きに先ほどのようなキレはない。
「……それで?」
「メイズ──さっきの子が向かったのは教会だ。きっと聖剣を造りに行ってくれたんだ。それを使えば、勝てる」
状況についていけてない訳では、ない。
ついていきたくないのだ。
理解はできる。
理解したくないのだ。
ああ、確かに女の到着を待っていれば勝てるのだろう。聖水。死霊使い。聖剣。
分かってるこれは坂のわがままだ。坂の『試練』は大概理不尽で、坂だけの力でそれを乗り越えられた事の方が少ない。
それでも願わくば。
「……さっきのアレ、ゾーンってやつか……? もう一回、入りてぇなぁ……」
ただひたすらに真摯に。
『祝福』というのは良いものだ。
空中に白い線が見える。坂はただそれをなぞるだけで良い。
「ぬぅっ」
それだけで自分は致命の一撃を繰り出し、敵の決死の攻撃を掻い潜り受け流すことができる。
最初は何なのかわからなかった。頭が狂ってしまったのだと思った。空中に線が見えるなど何事だと。邪魔だとさえ感じていた。
気付いたのは死の淵に瀕した時──核爆弾が投下された時だ。
迫り来る爆風と熱と、放射線と瓦礫と濁流が如く押し寄せてくる『死』に坂は抗うことしかできなかった。全身全霊をかけて、自分の持てる力を全て使って身体を動かすことしか。
ケンケンの傍でずっと彼の剣を見ていたのが良かったのかもしれない。
無意識だった。宙に浮かぶ白線のままに爆風を斬り、身を滑らせ、熱も危険も何もかもを斬り捨てて、血塗れのままに坂は生存した。最もその勲章のような傷はすぐに元通りになったのだが。
あの時の感覚を再現するにはどうすれば良いか。
果たしてその答えはガシャドクロが示してくれた。
「これは──タイムリミット、と言うやつか。我も少し楽しみすぎたな。まだ誰も殺しておらぬ」
言うが早いか、ガシャドクロが身を抱え蹲る。
追撃をかけようとしたケンケンを坂が止めた。アレを止めるなんて──勿体無い。
「……伊坂?」
「……仙、アレ、何をやってる」
「し、知らないわよ、は、早く行ってよ、チャンスじゃないの!?」
もう手遅れだ。ガシャドクロの身体は変化を遂げていた。
蹲るガシャドクロの背中から──背骨が飛び出す。
そう、背骨だ。脊椎。ただし巨大な。とてもガシャドクロの体型に収まる大きさじゃない。
全長三十メートルはあるだろうか、巨大な背骨がその場に聳え立ち──後から頭蓋骨が現れ、腕が生え、翼が生え、だんだんと肉が付いていく。
『我の肉体は竜と巨人族、それから獅子王の骨で出来ている』
遥か頭上──頭蓋骨にこびりつくぐずぐずに爛れた口から、腹の底に響くような重低音の声が漏れた。
あまりの威圧感に全身の肌が寒気立つ。それと同時に、心の奥底から湧き上がる歓喜も。
『謝罪はせぬぞ。我は今からお前たちを蹂躙する』
完成したのは滑稽で、凶悪で、悍ましい合成獣のような存在だった。
「……あ、ああ……」
岩永が腰を抜かしてその場にへたり込む。
正しく異形。人の身体に獅子の頭。四肢は人間のそれで、六本腕だ。ただし全身を竜の鱗が覆っている。全長はそのまま三十メートルあって次の瞬間には翼を羽ばたかせ空を飛んだ。
不服そうな声色は、武人としての勝利を求めていたからだろうか。蹂躙する──とは、舐められたものだ。
「謝る必要なんか、ねぇよ」
「……伊坂?」
全身に感じる『死』の気配に坂は身を任せた。心地良い感覚が戻ってくる。一度は水を刺されたこの場所に、再び立つことが出来た幸運を噛み締める。
「ケンケン、仙。竜殺しだ。それってこの世界じゃあ偉業なんじゃねぇのか?」
「む、無理よ、無理、デカすぎるでしょ……! あんなの、勝てる訳なかったんだ……」
「確かに偉業だけれど、アレを竜と呼ぶのはちょっと無理じゃないかなぁ」
完全に戦意を喪失した岩永に、事ここに至ってものほほんとしているケンケン。頼もしい限りだ。コレで岩永はやる時はやる。
「仙、なるべく足止めするぞ。そんで一回俺を運んでくれ。できるな?」
「……う、うう……!」
岩永の声にならない声を坂は了承と取った。
竜殺しが、始まる。
○
巨大化したガシャドクロは三人を無視した。もはや眼中にない、とそう言わんばかりだった。
当然だろう。人間など彼からすれば軽く手足を動かしただけで弾け飛ぶ存在だ。もはや武人と武人の勝負ではなくなった。
ガシャドクロが目指したのは闘技場──今や各国の要人が集うこの都市の心臓部だった。
周辺の避難が済んでいたのは幸いだった。奴が歩くだけで建物がひしゃげ地面が陥没している。
「……それで策はあるの?」
「ああ。あいつは巨大化する時に背骨から飛び出した。多分アレがあいつの心臓だ」
「……なるほどね。それで?」
「叩っ斬る」
「ノープランってことじゃん!」
走りながらケンケンと話し合う。今は飛行できる岩永が先行して時間を稼いでくれていた。
時間を稼ぐといっても、もはや魅了も命令も効かないらしい。うろちょろと鬱陶しく眼前を彷徨いて、危なっかしい動きでガシャドクロの攻撃を避けている。
「まずは小手調べだ」
坂は緩慢に歩き続けるガシャドクロの足に斬りかかった。動きは速くないし、白線も見える。
『祝福』に身を任せる。本能のままに白線をなぞった坂の剣は、ガシャドクロの足先──小指一本を落とす事に成功する。
「……よし、再生しねぇ!」
ついさっきまで、ガシャドクロの身体に白線は浮かび上がってなかった。
きっと再生能力にも限界があるのだ。いや、死体のストック数? ともかく、許容量を超えて再生はしない。無限ではない。
そして、今のガシャドクロは限界まで力を使ってこの巨体を維持している。白線が見えるということは、攻撃が通るということだ。
「うおっ」
「っ」
と、空から隕石と見紛うほどの拳骨が落ちてくる。剣を振り切った姿勢の坂は避けきれない。
間に入ったケンケンが坂を蹴飛ばし、致命の一撃を地面に受け流す。相変わらず凄まじい技量だ。
ガシャドクロは一瞬坂たちに視線を向けたが、それ以上歩みを止めはしなかった。
「攻撃が通ることは分かった……あとは、隙を作らなきゃならねぇな」
今のところ白線が見えているのはガシャドクロの身体の末端部──視界や意識の外にある部位だけだ。顔や背骨には見えていない。今の坂の実力では、ガシャドクロの警戒を抜けないということだ。
それが一瞬、見える時がある。
岩永が気を引いている時だ。ガシャドクロの意識が分散している時。そこに勝機がある。
「考えがある」
と言ったのはケンケンだった。
「考え?」
「ああ。どうしてガシャドクロは闘技場を狙ってる? 闘技場を狙うのは国家の要人を殺す──後の戦争で優位に立つためだ。人類に恐怖を、魔王軍には勝てないという意識を植え付けるため」
「無意識の魔力か!」
「そう。それでだ。どうしてガシャドクロは僕らを無視して闘技場を狙ってる?」
「巨大化には──時間制限がある?」
「……恐らくね。だから──」
ケンケンの言葉に頷き、二人は闘技場に先回りする──
○
ガシャドクロは姿を消した二人を気にも留めなかった。
この世で最も強い生物は何か。
そんなものに興味はない。
ただ、強く。生前はそれだけを求めて剣を振り、死して骨だけの身になってもそれは変わらなかった。
魔王様と出会い、知恵を与えられ記憶を思い出してもなお変わらない在り方だった。
正直に言えば、ガシャドクロに戦争の勝敗などどうでも良い。
ただ、恩義はある。義理と人情を裏切っては武人としての名折れだ。目の前の戦いを放り出すくらいには、魔王に対して感謝の念があった。
聖剣を用意されればガシャドクロとてただでは済まない。そして、ガシャドクロがこの都市にきた目的はまだ果たされていない。
戦いの中で死ぬなら本望だ。それが役目を終えた後ならばなお良し。だからガシャドクロは余人の干渉を受けない巨大化の術を使って闘技場を目指す。
大きさとは力だ。
ガシャドクロが巨大化を好んで使うことはない。大きさ比べで戦う魔人同士の諍いならともかく、力には力を、技には技で応じるのがガシャドクロのやり方だった。
だが、こういう場面では便利なものだ。竜の鱗は一切の干渉を阻み、今のガシャドクロの歩みを止める者はいない。
飛んでいた羽虫──淫魔の少女もいつのまにか姿を消していた。弄せず闘技場の前に辿り着いたガシャドクロは腕を振り上げる。
眼下には大量の人間が見えた。大方避難所代わりにでもなっていたのだろう。
コレが終わったらいくらでも遊んでやろう。斬って斬って斬り捨てて、最後には屍の上で息絶える。似合いの末路だとガシャドクロはほくそ笑んで──
「……ぬ?」
──振り下ろした手刀が、宙空で受け止められている。
あり得ない──何tあると思っている? 大型の魔獣の気配もない……そこにあるのは、ただ一人の人間の気配のみ。
「う、おおおおおおおお!」
闘技場の外壁、その一箇所に地に足つけて、特徴のない顔の男が巨大な手刀と鍔迫り合っている。
「僕に、パワーは無いけどさ……! ちょっと無理して星の自転の力を借りれば、このくらいは……!」
人間の細腕で、全長三十メートルあるガシャドクロの拳を受け止めている……? その得体の知れない気迫にガシャドクロの手刀が押し返される。
「坂! 今だ!」
瞬間、眼前に二つの影が降りかかる。
片方は翼の生えた女──淫魔。
もう一人は淫魔の腕にぶら下がる剣士で。
「う、うぅ……!」
「……見えるぜ、白線! 制限時間内に目的を達成できると思ったその一瞬の隙!」
剣士が、宙を蹴って加速した。足場のない空で確かに地に足つけて力を得た一撃。
まずい、とガシャドクロは思った。竜の鱗は貫けない。貫けるはずもない。いざとなったら再生もできる。だというのにこの悪寒はなんだ……?
「取った、背骨!」
「なっ、くっ!」
慌てて防御姿勢を取るが、間に合わない。闘技場を攻撃する一瞬の隙を突かれた! 反応できない──
「ぐぼぉ!」
「……は?」
──果たして致命の一撃は飛んで来なかった。
遥か彼方から飛来した水鉄砲──神速の雨粒が、今まさにガシャドクロに斬りかかろうとしていた坂の身体を撃ったからだ。
「……アマビエ、か……?」
間違いない。アマビエの援護だ。
水の残滓に聖水の気配を感じる──全身が聖水でできたかの水精霊はガシャドクロの天敵。その魔力の残滓をガシャドクロが見間違える筈もない。
ともあれ、戦士たちの抵抗は失敗に終わったということだ。
ガシャドクロはもう一度手刀を構え、振り下ろす。肩で息をしているケンケンもただ絶望に顔を歪ませる避難民も、今度こそガシャドクロを止める者はいない──
「──今度は、何だ!」
ピィン、と張った結界が闘技場を覆っていた。
結界に触れた側からガシャドクロの肉体が焼け爛れる。聖なる力──死霊特攻の結界!
「……僕が出張るつもりは本当にもうなかったんだけど……」
『……東野京』
「ガシャドクロ──『一人軍隊』が来てたのか。じゃあさっきの核はアマビエかな。魔王軍幹部はおっかないねぇ」
『東野京。聞いていますか。今度こそきちんと「代償」を支払って貰いますからネ』
「分かった分かった、分かっているよ。はあ、誤算だなぁ。色彩とかでどうだろうか?」
『ええ。それは僥倖。しかし良いのですか? 色彩を手放すということハ、貴方は今後モノクロの世界で生きる、ということですガ』
「別に構わないよ。『僕が見ている世界』を求めるなんて、強欲な女神だ」
『自己申告だったハズですガ……』
それは。
魔人の天敵。災禍の女王。諸悪の根源にして最低最悪の魔女。誰も救わない血塗られた病巣。
傲慢にも女神を名乗るその女の名前は──
「女神──女神リストレイアァァ!!!!!!」
「坂、今だよ」
「分かってるよ!!」
──激昂したガシャドクロの全身には白線が浮かんでいたことだろう。
今のガシャドクロの視界には結界の向こう側にいるリストレイアしか映っておらず。
再び飛びかかった坂の手には『聖剣』が握られている。風下には赤髪の魔法使いがチラついて。
眩い光と共に煌めいた一閃は、違うことなくガシャドクロの背骨を両断していた。
真ん中で二つに斬られた巨体が左右に分かれてバランスを失い墜落。小規模の地震を起こして以降、沈黙する。
彼の者の最後の断末魔が真の意味で女神に届くことはない。その機会は、これで永久に喪失した。
○
「……終わった、の……?」
同時刻、都市外縁部。その裏門。
沈黙した死者の軍勢を前に、肩で息をする高松香河が呟いた。
「……はあ、っ。その、ようだ……連中、塵になっている」
返事をするのは同じく楽観派の四十川高。厳しい面に汗に滲ませて、四十川もその場に突っ伏した。
次の瞬間、勝鬨の声が上がる。
「「うおおおおおおお!」」
「勝った! 勝ったぞぉぉぉ!!」
永遠に続くかと思われた防衛戦も、ガシャドクロの死亡と共に終わって。
ここに魔王軍の試みは完全に砕かれたのであった。




