10 我らの為すべきはただ一つ
茨の戦士シセン。またの名をヌリカベ。人間に擬態する魔物にして、魔王軍四天王。
魔王の話を聞いた時から俺は妙だと思っていた。現れたのは十年前ぇ? それでいて人類の生存権は五割を切っている。進軍が早すぎるのだ。ユーラシア大陸を十年で統一する国家が現れるようなことがあると思うか?
足がある。それも自由自在に世界を行き来できるような、どこでもドアみたいな移動手段が。
迷宮──生きた壁。異空間を作り出す魔物。主食は魔力──つまり生命活動は魔力によって賄われる。魔力はあらゆる生物が持つ資源であり、定期的に生命を取り込めたならば実質的に燃料は無限と言って良い。
俊足の斥候。長期の潜伏も何のその。こいつの力を使えば最果ての魔王領から南端のナインステイツまで、距離の概念を無視できる──
「──そんなことはどうだって良いんだ!」
俺は黒狼どもを嗾ける。茨の鞭によって薙ぎ払われるが、彼らは陽動だ。本命は大毒蛇の溶解液。体長十メートル、成人男性より二回りはでかい胴回りで大毒蛇が襲いかかり、吐瀉物によって黒狼もろともシセン──改めヌリカベを溶かしにかかる。
「舐めるな!」
ヌリカべが腕を振るうと、地震が起こった。迷宮内の床が、壁が、意思を持ってヌリカメにかかる火の粉を振り払う。
「生き疾し生ける者よ、死に逝く全ての物よ。汝の安寧を約束しよう。汝の休息を保証しよう。海が万物の母なれば、炎は真の父であろう」
短縮なしの本詠唱。朗々と紡がれる言葉は、鈴の音よりも残酷な美しさをもって響き渡る。
「良くやったわ、魔物使い! 我が名はメイズ・シュトローム。『地獄の業火に渦巻かれ』!」
黒炎が、立ちはだかる石壁をもろともせずに遍くを焼き尽くす。
正しく神秘。一体誰が、迫り来る津波を支配下に置けると思う? 人外の想像力を有する自負を持つ俺でさえ目の前の光景が信じられなかった。渦潮だ。どんな黒より深い藍色の海が悉くを流し尽くす。
人外の想像力とは津波の話ではない。津波が燃えたのだ。メイズが放流した濁流は、俺の魔物諸共ヌリカベを押し流し、発火。深みの強い藍色はそのままに、悍ましい光と共に業火が灯る。塵さえも残らない篝火だ。
「やったか!?」
「……いえ」
ケンケンが業火の渦を剣呑に見つめる。フラグにしか聞こえない。
ゴゴゴゴ……と迷宮が形を変え始めた。つまり、まだヌリカベは生きているのだ。
床が盛り上がる。土煙が舞う。ケンケンら三人はひとところに固まっていたから良かった。逸れたのは俺だけだ。
「……分断か」
手持ちの魔物は生き残った黒狼が二匹と、蛇尾鶏の三匹。
どこからともなく、声が響く。腹の底から響くような、大地がそのまま喋っているような低音だった。
『貴様だ……貴様さえ来なければ、俺は魔王様の任を真っ当できた……!』
「随分とキャラが違うな? 演技派なこって」
『黙れ! ここは俺の腹の中だ……こういうこともできる』
床から土の槍が飛び出してくる。壁に穴が空いて奥から弓矢が飛んでくる。トラップ満載のダンジョンみたいだった。
俺は俯いてぷるぷる震えることしかできない。辛うじて避けてはいるが、手足に浅い傷が増えていく。血が滲む。
『ふ、ふふ……怯えて手も足も出んか! お前の次はあの臆病な聖女候補だ……次に剣士、最後に忌々しい魔法使い! 異世界の勇者の首を持って帰れば魔王様もお喜びになられる!』
俺はその場に立ち竦んだ。手足が震える。鳥肌が立つ。
ヌリカベは見当違いなことを言っている。確かに俺は動けない。怒りだ。あまりの怒りに我を忘れそうになるのを、決死の思いで留めているからだ。
バシュ、と背後で空気の抜ける音がした。首を狙った一撃。弓矢? 銃弾か? どちらでも良いか。
『獲った!』
「『犬ころ』」
「キャン!」
黒狼が、関節を無視した挙動で飛び跳ねて射線に入る。血飛沫を上げて絶命する犬ころ。驚愕するヌリカベ。
『!?』
「……別にさ、良いんだよ。分断ね、分断。狼は一対一なら勝てるもんな。でも一対二になると、村人に勝てないんだ。だから同数になった段階で狼は勝利する。パワーバランスの話だ。確かに俺はお前に勝てないだろうさ」
『……なんだ、何を言っている……?』
「でもさ、シセン。俺はまだ迷ってたよ。お前がヌリカベ様なのか、ポンズもまだグレーだったし。演技派だなぁ。頭も良い。その演技力を、頭脳を、お前はどうしてゲームに活かせなかったんだ!!」
『魔物の命を、まるで道具のように……!? これだから人間は! いつまでも王者を気取っていられると思うなよ!』
「自白は、最悪の一手だった。メイズの質問なんて知恵を絞ればどうとでもできた! 俺たちは生きた壁の生態を完全に解き明かしてるわけじゃない! 視点の違いか。詰んだと思ったか! 知らばっくれれば良かったじゃないか!」
『未だ我らを、知恵なき獣と馬鹿にするか!』
「ゲームを台無しにしやがって!」
全方位から弓矢が飛んでくる。逃げ場がないので蛇尾鶏の影に隠れる。ドシュッ、と貫かれる大きな鶏の体躯。緑色の血が俺の頬にかかる。
魔法は想像力の世界だ。いかな大魔法使いマツヤマといえども、俺はヌリカベに勝てないだろう。市民は一対一で狼には勝てない。俺が俺を信じられないからだ。
勝てないだけだ。無料で死んでやるつもりはない。俺は手元に拳銃を創造する。役を羽織れ。命を燃やせ。戦犯は良い。俺が負けるのも構わない。ただ、まだ勝ちの目があったシセンが、勝負を投げたのだけは許せない。
裏切り者には報いを。俺の興奮を返してもらう。
『またも魔物の命を!』
ヌリカベの姿は未だ見えない。床や壁が蠢き、石の槍が、どこからともなく飛んでくる弓矢が俺の身体を狙っている。
風景が、スローモーションに見えた。シャンデリアの時と同じだ。走馬灯だろうか。死が近いのだ。脳細胞が記憶を辿って、どうにか生き残れる道がないかを模索する。俺は意志の力でそれらを捩じ伏せて、高速化された思考をたった一点にのみ集中させる。
『今度こそ、獲ったぞ!』
ザシュザシュザシュ! と、俺の身体が数多の凶器に貫かれた。手が足が右目が肩が、太ももから腰、心臓が。無限にも思える石槍に、弓矢に、引き裂かれる。
「か、は、っ」
口から血反吐が飛び出た。心臓の破裂を知覚した人間なんて俺くらいだろう。もう十秒もすれば意識が消えるのがわかる。魂が遠のき、生の光が暗闇に沈んでいく──
「……っハンターって、知ってるか?」
──その前に、俺にはやるべきことがある。
俺は引き金を引いた。右手と拳銃。俺が全霊を賭して守り切った武装だった。
ハンター。自分の死に際に、誰か一人を選んで発砲することができる。発砲された人は狼であろうと市民であろうと死ぬ。
「……この弾丸は、決してお前を、逃さない、ぜ……」
『何をッ──』
最後に捨て台詞だけ残して、俺は死んだ。遺言は六十秒あるんじゃなかったか? ああいやそれは吊られた時だけで、噛まれた場合は即死、か……
最後に考えることまで人狼とは、俺もなかなか業が深い──
○
ところ変わって、ノースロード。俗に『魔王領』と呼ばれる場所だった。別名を北の果て。
荒廃した大地に佇む黒の城内にて、全身を黒装束に彩られた女が何かに気付く。
「……塗り壁、どうした」
「は、いえ何も。少々『分体』が手間取ってる様で」
答えたのは蒟蒻に小さな手足と目口が着いた物体だった。魔物だ。名を生きた壁。彼は豪奢な椅子にちんまりと座っている。
彼だけではない。女を中心にして、この場には五つの椅子があった。空席が一つあるが、そこにいる誰もが強大な魔力を纏っている。
「お前は魔王軍の足の要なのだ。お前がいなければ進軍が五十年は滞る。本体の戦闘能力は皆無なのだろう? 異常があったのならば申せ」
黒い女が諭す。ヌリカベは苦笑いだった。
「魔王様。ありがたいお言葉ですが──問題ないかと。もし『分体』が死んだとしても、俺が死ぬことはありません。少々中身を吐き出すことになりますが……」
「ふむ。どこだ。誰を捕らえていた?」
「は。チェイネンです。主な戦力ですと──『守護神』ケンケン、『黒炎』のメイズ、あとは聖女候補と、『異世界の勇者』と名乗る者が一人」
生きた壁とは、元はただの大食漢だった。『無制限に食べた物を消化する』能力を持った、飽くなき飢餓に苛まれる魔物。それが彼だ。
それが魔王様より『知恵』を授けられ、『食べた物を保存する』能力に進化した。体内に迷宮を飼うことができるようになったのだ。
彼は体内を一定の地区ごとに分割した。体内同士の移動は彼が許可した時にしか行われない。それぞれの体内に『分体』──魔核を配置し、それぞれに管理を任せた。分体が死んでも彼本人が死ぬことはない。勝手に自分の迷宮を作り変えるやつもいたが、彼が体内を管理しなくても良くなった。分体が死んでもその地区に内容物を吐き出すことくらいしかデメリットがない。
脱出方法は『分体』を殺すことだけ。そのため、彼の能力は足としてだけではなく、牢獄として大きく魔王軍の役に立った。とりわけ厄介な人間を誘き出して閉じ込める。魔王軍の快進撃は彼の手柄と言っても過言ではない。
「……そうか。チェイネンであれば、ケンケンがノーシーストに復帰するまでに片を付けられるだろう。『守護神』の不在は相当な痛手に見える。『黒炎』と聖女候補など取るに足らん。異世界の勇者──ナインステイツが犯罪者を一人追放したと聞いた。恐らくそれだろう」
「ガハハ! 魔王様は随分と慎重に事を運びなさるなぁ! 小童がいくらいたところで、全部蹴散らしてしまえば終いよ!」
紫の髪を刈り上げた、浅黒い肌の男が豪快に笑った。魔王様は何も言わないが、ヌリカベが不快に眉を顰めた。
「口を慎めよ、ガシャドクロ。その頭は、誰に『知恵』を貰ったんだ?」
「はっはっは、自分は前線に赴かん臆病者がほざきよるわ。四天王会議に浮かれて、今日は随分と小綺麗にしとるでなぁ。粘土板がどう取り繕っても格好は付かん言うに、わはは!」
「頭から食ってやってもいいんだぞ! 小綺麗になどしていない。普段の通りだ」
「ほう? 魔王様に会えるのが嬉しくておめかしでもしたのかと思っておったわ! 胸元に赤い半片が付いとるでなぁ!」
「よさぬか、塗り壁、我赦髑髏。だが、妙だな。塗り壁、其方、何やら胸元が赤くなっているぞ。さっきまでそんな模様あったか?」
問われて、塗り壁が胸元を見る。確かに白シャツに赤い点が一つ付いていた。魔物は知恵を手にしたのだ。いつまでも全裸でいるわけにもいかなかった──が、こんな模様はついていただろうか。
途端、胸元を中心に激痛が走る。
「がっ、ぐあああああ!!」
痛い痛い痛い痛い! なんだ、これは。まるで浄化の光を一点集中で浴びせられたような──
「どうした、塗り壁!」
「い、痛い痛い痛い! い、息が──み、水、ぐっ、があああああ! うぉっぷげええええええ!!!」
ヌリカベの強さは能力の特異性だ。本体に戦闘能力はなく──痛みへの耐性も相応に低い。
ハンターの発砲。誰か一人を選んで発砲することができる。松山が選んだのは『ヌリカベ』だ。松山の銃弾は分体ではなく、はるか遠く魔王城にいる『本体』に届いた。
自分の死を引き金にした不可視の凶弾である。松山は意識していなかったが、それは『概念武装』と言って良いレベルの攻撃だった。
万能の資源、魔力。資源ということは、有限であるということだ。本来であれば如何に松山の想像力でもこんな芸当はできない。しかし自分の命を対価に捧げたのならば話は別だ。
「甘冷、治癒を!」
「……もう、やってる。でも、だめ──」
突然胸元を押さえて苦しみ出すヌリカベに、蒼白な顔の女が手をかざす。黒い瘴気は魔物に効く治癒魔法、なのだが。
「で、出る……全部、吐き出る! あああああ駄目だ駄目だ駄目だせめて消化をああ痛い痛い痛い痛い──あ」
「──突破される」
「ま、おう、さま……」
ぶつり、と糸が切れたようにヌリカベは苦しむのを辞めた。顔中に涙と鼻水が溢れ、しかし希望に溢れた死に顔だった。魔王を見つめる彼の眼差しは明日に向いていた。
魔王軍四天王の死。それも現場は、世界で最も安全と言っても良い魔王城内部でのことである。
「あーああ。ふむ、死ぬなら死ぬで困った物だなぁ。どうするんだ、魔王様よ?」
感慨もなく顎に手を当ててガシャドクロが言う。魔王は死の間際までヌリカベの手を握っていた。アマビエが目を閉じて首を横に振る。
「どうするも、何も」
魔王もまた、黙祷を捧げるように目を閉じていた。最後に一度だけ強くヌリカベの手を握り、再度見開かれた彼女の瞳には、強い意志の光が宿っている。
考察は後だ。魔物を総べる者として、彼女が口にするべき言葉は決まっている。
「我らの為すべきはただ一つ。そうだろう? 我赦髑髏、甘冷。人類を滅ぼす。塗り壁の──死んでいった仲間たちの無念を、決して無駄にしてはならないんだ」
この辺りで地理の説明を。
日本列島を長方形にした形を思い浮かべていただければと思います。参考までに上から
ノースロード(魔王領)=北海道
ノーシースト=東北
セキースト=関東
キニア=近畿
チェイネン=中国
ナインステイツ=九州などです。




