06
やれここが汚い、やれ本棚を作れ。
手を出すとキリがないから喧嘩は口で、手は作業に使う。三日経って、おまけで二日サボって、二人が出した結論である。
「くっそ、なんで腹も空かねえんだよ。変だろ、さすがに」
勇者は思いつく端から文句を並べ立てている。
魔族というのは色々いるが、魔王というのは一匹しかいない。その魔王の血によって変質した勇者の肉体は、これまでの比ではないすさまじい何かになっていた。
まず疲労を知らない。暴れても叫んでも駆け回っても、勇者はいつまでも元気でピンピンしている。日が暮れても朝になっても雨が降っても、勇者は呼吸一つ、ちっとも乱れなかった。
次に筋力がとんでもないことになっていた。元聖剣でゴリゴリ切り倒した、己の胴ほどはあろうかという大木を、勇者は一人であっさりと運んだ。枝をつかんで引きずったり、指のサイズに穴を開けて握ってみたり、両の腕で抱えてみたり。さまざま試して、いずれも容易くやってのけた。試しに手刀を落としてみたところ、長い一本の大木が、短い二本の大木になった。……聖剣で切るより早いじゃねえか。
やっていられない。魔王の力の片鱗でこれだとは、まったくお話にならない。なんといっても本人はこんなことができる勇者を、デコピンでぶっ殺せるというのが笑えない。冗談じゃない。
こんな化け物を相手に、人間が立ち向かうなど無謀の極みだ。仰々しい自殺もあったものである。
はあ、やれやれ。浮かぶ苛立ちを霧散させるべく、勇者は抱えた木の板にゴリゴリと装飾を施していく。その背に、魔王の平坦な声がかかった。
「魔族になったばかりで、体が変化について来ていない。その内、嫌でも鳴きだす」
どうやら先程の勇者の発言に対する返事であるらしい。魔王は意外と付き合いのいい男であるのか、疑問を口にしてはいるものの問うてはいないような勇者の独り言にも返事を寄越す。
なるほど、腹は減るのか。不便だな、と思った。
「お前は? 腹、減ってねぇの?」
「我は食事も睡眠も要らん」
魔王の返事を聞くなり、勇者は作りかけの本棚を放り出して立ち上がった。
「じゃあなんで俺にテーブル作らせた!?」
部屋の隅で堂々としているテーブルを指差して、こめかみに青筋を浮かべる。
やれ脚にはこういう彫り物をいれろ。やれ角は丸くしろ。高さはこう、サイズはこう。耳を塞ぎたくなるほどの注文の多さと細かさだった。
「椅子なんて無駄に四脚もあるんだぞ!? 二人しかいねえのに。なんだ、俺とガキでも作ろうってか?」
「やめろ、死にたくなる。見栄えの問題だ」
「見せる相手もいねえのに!」
頭を抱えて絶叫する勇者を眺め、魔王はそっと息を吐く。
テーブルを作れ、とは言ったが、食卓にするとは言っていない。食事でなくともテーブルというものは必要だろう。というかお前には食卓が必要だろう、腹が減るんだから。なんだ、勇者というのは床で食事をする生き物なのか。思ったが、白熱した勇者には言っても無駄だろうと口をつぐんだ。代わりに別のことを言う。
「文句は作るときに言え。完成してから苦情を入れるな」
「作ってるときは夢中だったんだよ! あ~~~~……こんなでっかいテーブルで飯かよ……空っぽの椅子を眺めながら? 一人で? どんだけ寂しいんだよ……」
ぶつぶつぶつぶつ……。言葉の止まらない勇者を見つめ、魔王は溜め息が止まらない。
そもそも魔王は四脚も椅子を作らせる気はなかった。勇者が夢中になった結果、声をかけた時には三脚目に着手していたのである。三脚では収まりが悪いので、結果として四脚になっただけだ。
先程、勇者が投げ捨てた本棚にしても、並べる本がないのだから形だけでいいと言ったのに、装飾が気に入らないと作り直している。彼は意外と、こだわるタイプであるようだ。
「おい、それが終わったら外だ。貴様が飢えで騒ぐ前に食料を確保する」
「何? 畑でもあった?」
そして単細胞でもあるらしい。コロコロ興味が転がり回り、その都度、直前の関心はスパッと忘れる。扱いやすくて、……面倒くさい。
「半壊していたがな。食えるだけ回収したら整備して、規模も広げる」
「お前、畑仕事とかしたことあんの?」
「どうせ貴様が知っているだろう」
魔王はもう、喧嘩することにも慣れてきていた。少し前まで命の奪い合いをしていたはずの関係で、勇者は魔王を殺す気満々だったというのに。今は魔王の指示で大人しく家具をこさえている。
勇者は意外と手先が器用だった。大雑把な性格でいまいち掃除はままならないようだが、凝り性でもあるようであれやこれやと注文を付けてもきちんと叶えてくれる。勝てもしない魔王を殺そうと足掻いているよりよっぽど建設的だと、魔王は勇者が正気に戻る前に次から次へと指示を出し、気を逸らし続けた。
血生臭い生活は、ここへ来る前の生活だけで充分お腹いっぱいだった。
「……なあ、肉とか魚とか食えるか?」
「森に入れば獣がいるだろうし、湖でも川でも探せばどこかに魚くらいいるだろう。あとで散歩がてら連れて行ってやる」
魔王にとって、魔族領は端から端まで己の庭だ。思い出すまでもなく全体を事細かく把握している。それは当然、結界の基になった魔王もそうだろう、と疑いもしない。己と同じ認識でいた魔王であるならば、その記憶であるなら、獣くらい存在する。水辺があれば魚も手に入るだろう。
どうせ停滞した時の中、それもかつての魔王の記憶の再現でしかない世界だ。今日、一匹獣を狩って食っても、しばらくすれば同じ個体がポコッと再現されたりするのだ。不完全な人間が込めた、魔王を閉じ込めるためだけの魔法だ。どうせその辺の細かいところまでカチッと決められてはいない。不確定であるならば、曖昧であるならば、どうにでもなる。魔王はその辺なかなかの楽天家であった。駄目なら駄目で、どうにかできなかったこともないのでやはり楽観を決め込む。
「なあ、魔族になったなら俺ってもうちょっと強くなれたりするか?」
「器が変わったんだ。中身も伴うよう鍛えればいい。魔族には上限などないぞ」
「なあ、魔法とか教えろよ」
「あ? ……ああ、食料をどうにかしてからな」
「なあ、ベッド作ろうぜ」
「食事はともかく、睡眠は貴様にも必要ないぞ」
「寝たい気分なんだよ」
「勝手に作れ。森で鳥でも狩って、枕に羽毛を詰めるといい。肉は食え」
「なあ、お前ってさあ――」
「なんだ、どうした!? なぜ何期の赤ん坊か!?」
絶え間なくかけられる言葉に堪らず怒鳴った。喧嘩を吹っかけられるならまだしも、他愛ない会話を振られると調子が狂う。
「んなわけねえだろ! えーと、あ~、……お、お前の情報を収集してんだよ! ね、寝首を掻かれないように気をつけろよな!」
だから、我は寝ないから掻けねえよ。言おうとしてやめた。勇者自身も気づいたのか、背を向けているが耳も首も真っ赤だった。
「ハァ……何がしたいんだ、貴様は」
こぼれた言葉に返事はなく、魔王は首を傾げながらも作業に戻った。
返事をしようにも、自分がどうしてそんなことをしたのか、何がしたかったのか。勇者自身もわかっていないなどと、魔王は知る由もない。