03
勇者がずぶ濡れで城へ帰ると、半壊した畑で魔王が何やら地面を掘っていた。大きな体をキュッと縮めて、一心不乱に土を掻き出している。よほど深く埋めたいのか、彼の足元にはすさまじい量の土が山をつくっていた。
しばらくすると、魔王は握りしめていた何かをポイっと穴へ放った。勇者の位置からでは、それが何であるのか正確なところはわからない。
なんだろう。
不思議に思っている間にも、魔王はさっさと掻き出した土を穴へと戻し、蓋をした。
そうして穴が完全に塞がると顔を上げ、そこでようやく勇者の帰宅に気づいたらしい。ぎょっとして目を丸くした。どことなく気まずい。
引きつりそうな口元になんとか笑みを貼りつけて、勇者はぎこちなく片手を持ち上げた。
「た、ただいま」
「……」
「あの、魚……釣れたんだけどさ、食えるやつかどうか見てくれよ」
「……」
「い、今なんか埋めてたよな? なんかの種か? 畑の整備するって言ってたもんな」
魔王は何も言わない。見開いた目を徐々に据わらせ、連動して眉間のしわはどんどん深めていく。
……寂しくなってきた。
なんか言えよ。勇者は堪らず大声を出した。
「なんか言えよ! 俺いっぱい話しかけてんだろ!? なんで無視すんだよ!? 俺のこと嫌いなの!?」
仰々しく声に悲愴を滲ませて、身振り手振りも誇張して、いかにもショックを受けていますと演出する。しかし魔王は何も言わない。
嫌いに決まっているだろう。
それくらいの返事は反射的にこぼすかもしれないと、そういう思惑であったわけだが、あっさり玉砕した。
「む、無視は駄目だぞ、お前、ほんとに……駄目だぞ!」
思惑が外れた衝撃もあって、勇者の語彙はどこかへ行ってしまった。
「あの~、あれだ! 無視は駄目だぞ! 無視されると、だな……無視された傷は、そう、傷が深いんだよ!」
俺は一体、何を言っているのだろう。なんだか自分がとんでもないバカになったような気がして、勇者はいよいよ悲しくなってきた。
「無視はやめろよ……」
「……なぜそうも濡れているのだ、貴様は」
シュンと下がりかけていた肩が跳ね上がる。今、魔王の声がした。魔王が返事をしたのである。
「なんだよ、喋れんじゃねえか!」
「釣った魚を見せろ」
「お前、二度と俺のこと無視すんなよ! また泣くぞ」
「話を聞け!」
魔王は勇者の頭を引っ叩いた。手加減も板についたもので、頭は爆散することなくスパーンといい音を出した。
「投げかけられた言葉に対応する返事をしろ、バカ者が。無視とどう違うんだ、阿呆め」
「ご、ごめん……。返事が嬉しくて、つい……」
「なぜそんなに濡れているんだ」
「川に落ちた」
罵倒はなかった。見上げると、魔王は眉根を寄せ、可哀想な生き物を見る目で勇者を見下ろしていた。見下しているのかもしれない。
「そんな顔で見るなよぉ……」
岩に針が引っかかったことに気づかず、大きな獲物がかかったのだと大騒ぎしたことは言わないでおこうと決めた。力任せに引っ張って、釣り竿が折れた拍子に体勢を崩して川に落ちたことは、絶対に黙っていようと、そう決めた。
「魚を見せろ」
「はい……」
勇者はすっかりしょげてしまって、大物が釣れたと勇んで運んだ獲物をおずおず差し出す。
「……」
「どう、ですか……?」
ついお伺いを立てる。
「……」
「……なんか言えよぉ」
「貴様、これは食えると思って持って帰ってきたのだな?」
「一思いに罵倒しろ。その問いで大丈夫なパターンなんてねぇだろ」
真っ赤な鱗の大魚である。やたらとギョロついた眼球は不気味であるが、巨体の魔王が両の腕で抱えるほど立派だ。
「でっかいから二人で腹いっぱい食えるな、と思ったんだよ。悪かったな、魚の見分けもつかないバカで……」
「話を聞けと言っている。まず、こいつは食える」
「は?」
じゃあなんであんな嫌味な言い方したの?
噛みついてやろうと口を開いた勇者であったが、魔王がぐっと拳を握ったので慌てて両手で塞ぐ。
話を聞け。わかった。
「食えるが、こいつは魔族が食うには向かん」
「? じゃあ、食えないじゃん」
魔王は当然ながら魔族である。そして、不本意ながら彼の眷属である勇者もまた、魔族である。
「最後まで聞け。向かんというだけで不可能ではない」
「はっきり言えよ」
「こいつは昔、神々の食卓に並ぶ食材だった魚だ。天上で管理されていたがどこからか流出したのだろう。それが野生化し、魔族領まで流れてくる過程で魔物に近い生き物へと変質したのだ。だから食えるが、魔族には向かん」
さっぱりわからん。思い切り顔に出た。魔王が憐れむような深く長い溜め息をやたらにゆっくり吐き出した。
「食えばわかる」
「わかった」
話しは終いだ、と魔王が魚を抱えたまま勇者に背を向ける。その背を負い、声をかけた。
「なあ、お前は何してたんだよ」
「……穴を掘っていた」
「なんか埋めてただろ」
「種、……の、ようなものだ」
随分と曖昧な言い方である。
「畑を整備して、規模も広げると言ってあったろう」
「でも、まだ整備してねぇじゃん」
「……」
痛いところを突いてしまったようで、魔王は沈黙した。しかしなぜ痛いのか勇者には理解できない。
はて、と首を傾げ立ち止まっている隙に、魔王はさっさと遠ざかる。その背を何気なく目で追って、見上げた先で違和感に気づいた。
「なあ、その角……なんか朝と違う、よな?」
「……」
ギロリ、と物騒な視線に射抜かれた。
なるほど、これが痛いところか。勇者は理解した。同時に、魔王が何を埋めていたのかということにも察しがついてしまう。
「え、まさか折れた角を隠そうとして……?」
「……」
魔王がすさまじく嫌そうな顔をした。こんな表情を見るのは初めてのことである。
勇者の腹の中で、笑い袋がパァンッ! と景気よく弾けた。
「なんだよ、お前にも可愛いとこあるんだな! 気にすんなよ、角の先っちょくらい! また生えてくるって!」
あーはっはっは、と目端に涙が溜まるほど爆笑する。
「どうやったら角が折れるんだよ。ぶつけたのか? 木に引っかかったとか?」
あーはっはっは。
耳をつんざく笑い声に、魔王の眉間にはもうしわを刻む隙間がない。こめかみに走る青筋はパツンパツンに張り詰め弾ける寸前だ。
「ドジだなあ、お前!」
あーはっはっは。
小さな、小さな音だった。魔王の中で、ぷちん、と何かが切れる音がした。
抱えていた魚を投げ捨て、油断しきった勇者の顔面へ握りこぶしを突き出す。
ゴパァンッ! と、すさまじい音がして、勇者の頭は弾け飛んだ。
「魚が食いたければ勝手に食え」
「……」
「腹が爛れて死んでしまえ」
「す、すみませんでした……」
先んじて復元された口だけで謝罪をするも、返事はなかった。目が生えた頃にはもう魔王の姿はなくて。しかし勝手に食えと言っていたくせに、投げ捨てたはずの魚はどこにもなかった。
「俺が悪かったよぉ……」
しょんぼりと肩を落として、魔王を追って厨房へ走る。
川に落ちた理由を話そう。お相子にしなければ。情けない自分の姿をさらして、笑ってもらおうと、そう決めた。




