03
うおーん、と勇者の泣き声が空気を揺らす。うおーん、うおーん、と城の隅々まで泣き声が行き渡る。……うるさい。
かれこれ丸一日、勇者は泣き続けていた。
初めの頃こそ謝罪らしきものを吐き出していたが、何を言っても魔王が無視するので、しだいに言葉は消えていった。代わりにいつまでも延々と泣くことにしたらしい。夜になっても朝になっても昼になっても泣き続け、今なお声は止まずにいる。
いい加減にしろ。
魔王の頑丈な堪忍袋の緒も限界だった。脳裏でぱぁんっと派手に弾け飛ぶ音がした。
「喧しい!」
「わーーーー!」
広間に殴り込むと、天井からぶら下がった勇者がひときわ大きな声で泣いた。ローブでは吸い切れなかった涙が滴って、床に小さな水たまりをつくっている。
泣き声ばかりを意地で垂れ流しているのかと思っていたが、どうやら本当に泣いていたらしい。この体のどこにそれだけの水分を隠しているのだろう。
「ま゛お゛う゛!」
勇者は泣いた。
あふれる涙を拭いもせず垂れ流し、心の底からしとどに泣いた。号泣である。
「顔までうるさいのか、貴様は」
ローブを裂いて勇者の顔を確認した魔王は一言、普通にドン引きした。
「お前がずっと無視するからだろ! 俺あんなに謝ったのに!」
冷たい声で溜め息を吐く魔王の腹に蹴りを入れ、引き続き勇者は泣いた。……なんて硬い腹筋なんだ。鉄かよ。勇者の足は可哀想なほどひしゃげてしまったが、すぐ治った。
「なあ、俺の体って今どうなってる?」
「濡れている」
「……うん、そうじゃなくて」
丸一日、天井から吊るされっ放しである。ローブで包まれ、ロープらしきもので雑に吊られている。聖剣を背負ったまま後ろ手に縛られ、その上から胴ごとまた縛られ。
腕の感覚がない。今朝方まで痺れていた肘から先はもう、うんともすんとも言わなくなっていた。壊死して回復して、そうして感覚が麻痺してしまったということだろうか。あるいは、今まさに死んでいる最中だろうか。どちらにせよ、考えるのはひどく恐ろしかった。
「なあ、下ろして」
「よかろう」
ヒュン、と。
風を切る音がしたと思ったら、――浮遊感に襲われた。
魔王が、勇者の体を吊るすロープを切ったのだと理解したときにはもう、落ちた体は地面にぶつかり潰れていた。幾度か風切り音が続く、その間に回復する。
「うっ、ぇ……」
勇者は泣いた。
「ふむ……まだこの程度か」
「どうせ俺は弱いよ」
「そのうち頑丈になる。俺の血で変質したのだ。その程度の肉体強度で済むものか」
「あ、そう」
もっと穏便に確かめる方法はなかったのだろうか。天井付近から床に叩きつけるなど正気ではない。とはいえ腕の感覚は戻っている。体が潰れてから回復するまでの間に聞こえた風切り音はどうやら、魔王がロープを切ってくれたものであったらしい。
意地悪で、すぐ乱暴する。……けれど優しい気もする。魔王とは、不思議な男であった。
「なあ、ごめんな」
「何が」
「ローブ汚した」
「洗濯しろ。裂け目も縫い合わせておけ」
「っ、……わかった」
裂いたのお前じゃん。口から飛び出しそうになった文句を辛うじて呑み込んで頷く。つい喧嘩腰で物を言いそうになる。すっかり癖になっていた。
自分は勇者で、相手は魔王だ。喧嘩など生温い。本来、両者の間に横たわるのは殺意であるはずだ。
勇者は魔王を殺すために剣をとり、魔王は勇者を殺すために迎える。そうして互いに殺し合い、どちらかが死んだらお終い。そうあるべきで、そうなるはずだった。
「おい、いつまで寝ているつもりだ。さっさと風呂に入ってこい」
飯にするぞ、と。そんな風に言葉をかけられる関係になれるはずないのに。なってはいけないと、思っていたのに。
「なあ、風呂の前に軽く俺のこと洗ってくれよ。べちゃべちゃして気持ち悪い」
「洗っても貴様は気持ち悪いだろう」
「普通に悪口だろ、それれれぇええええ!」
魔法で生み出された水が滝のように降り注ぎ、勇者の言葉ごと体を押し倒した。せっかく起こした体が再び床に沈み、勇者はまた泣いた。
やっぱ嫌いだ、こいつ。




