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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「僕の魔法は、貴女を暖めるためのものですから」

息抜きに書きました。慣れない短編ですが、どうか最後までお付き合いください。

 子供のころからずっと聞かされてきた話に、精霊様は人類の守護者だというものがある。僕もかつては、その言葉を盲目に信じていた。


 それを信じきれなくなったのは、いつからだろう。敵国の軍隊に、故郷の村を焼き払われてからだろうか。強制労働に駆り出されて、片目を失ってからだろうか。それとも……今、目の前に広がっている凄惨な光景を、幾度も目の当たりにした辺りからだろうか。


 精霊様は、気まぐれに選んだ人物に、力を与えてくれる。『魔法』と呼ばれる、超常現象を巻き起こせる力を。けれど、それの使い道を決めるのは、結局人でしかない。


 その分かりやすい『力』は、争いの火種になった。どの国でも『魔法』さえあれば他の国との対等な軍事力を持てる。そんなこの世界の常識が、僕には呪いのようにしか感じられない。


 そして、魔法は常に人の何かを奪っていく。それは記憶だったりするし、親族との形見だったりするし、その人の身体そのものだったりもする。


 人が、人の身を削って、人と争う。争いが起こる理由は、目の前の相手と自分も対等な軍事力を持っているから、ただそれだけで充分だったらしい。


 ……なんて、皮肉気に言ったけれど、結局それは本質を突いているのだろう。だって、僕も、この魔法という力を与えられなければ───故郷の復讐のため、軍に身を投じることなんてなかっただろうから。


 
























 冷たい息を吐く。夏の間に始まった筈の戦争は、土壇場で相手方に幾人かの魔法使いが現れたことで泥沼に沈んだ。互いに決定打のないまま拮抗し、じりじりとした睨み合いを続けるうちにいつの間にか氷点下だ。


 いつになったら帰れるんだという兵士達の愚痴も、次第に聞きなれたものになっていく。日常のように続く死と隣り合わせの生活に、この気候と同じように心は冷え込んでいく。


 僕も、いつになったら終わるんだと何度も口に漏らした。けれどその度に、もう一人の僕がこう答える。「敵軍を焼き尽くしたらだ」と。


 吐いた息が僅かに熱くなる。この戦争が長引く理由の一つは、戦争開始当時はこちらの魔法使いの方が多かったはずなのに、相手の幾人かの一般兵が魔法使いに化けたせいだ。そんな理不尽があるかと叫びたくなるが、どうも、戦場ではよくあることらしい。


 精霊様は気まぐれで、人柄を掴みにくい性格のものが多い。けれど何故か決まって、死に瀕した人間を助けることが多いらしい。僕が精霊様に魔法を与えられた時も、同じような状況だった。だが助けたその人間が、更に多くの人間を殺めることになるというのだから、皮肉な話だ。


 吐いた息が、自分の体温より高くなる。それに気付いて慌てて口を抑えた時、頬に冷たい手が当たった。



「あっ、なんだか温い空気が流れてきたと思ったら、また溢れちゃってる。フィン君はいつまで経っても慣れないねぇ」


「……エナさん」



 手が伸びてきた方に目をやると、うちの魔法師団の紅一点がにへらと笑いながらそう言った。戦場にありながらも女性らしさを失わない眺めの金髪に、明るい容姿。身に着けているのは、魔法師団の隊長であることを示す格式ばった軍服。


 魔法使いの大先輩である彼女のことを密かに尊敬していた僕は、返答に悩んで口を噤んでしまう。その間に、エナさんは次の句を紡いだ。



「火傷してない?この前は戦場だったってのもあって酷いことになってたけど」


「流石に自軍地でまであれを暴発するようだと、この作戦からは外されていたでしょうね」


「あはは、それもそっか……隣、座っていい?」


「……ええ、どうぞ」



 今の会話にそこまで興味を惹かれるような要素があっただろうかと内心首を傾げながらも、承諾する。けれど彼女の視線を見て、ここに腰を下ろした理由を察した。



「ここ、見晴らしいいねぇ」


「……はい、そうですね」



 返答がやや遅れたのは、考え事をしていたせいで今の今まで景色に一切目を向けていなかったから。だが、言われてみると、確かにここは良い景色だ。


 僕たちが居るのは、地上から遥か離れた上空、気球船のバルコニーだ。冬の冷気もあって冷える此処は、一人になりたい時に向いていて、良く訪れる。


 随分と遠くまで見通せる景色の最奥には雪がかかった山岳が連なり、真下には綺麗な緑の平原が広がっている。こんな高所からの光景を見たことある人物は数少ないであろうことからも、特別感が感じられた。


 ふと、自分は人より体温が高いからいいが、エナさんは寒くないのだろうかと思い立つ。景色を楽しんでいるところに無粋かとも思うが、この人に風邪でもかかられると戦力としてかなりの痛手だ。葛藤の末、口に出す。



「寒くありませんか?ここは、随分と冷え込みます。体調を崩しかねません」


「ん~?……確かに、ちょっと寒いかも。困ったなぁ、もうちょっとこの景色を見てたいんだけど」


「貴女に体調を崩されては、これからの作戦にかなりの支障が出ます。一度中に戻られた方が」


「フィン君は副隊長みたいなことを言うねぇ。これくらいへっちゃらだよ」



 そうは言っても、へっちゃらで片付けるには低すぎる気温だろうから、やはり納得はできない。それが顔に出ていたのか、エナさんはむっと不満げな顔をすると、何故かこちらに両手を差し出した。



「そんなに気になるなら、フィン君が温めてくれたらいいんじゃない?」


「───は!?あ、いや、ああ……」



 一瞬とんでもないことを言い出したと思って驚いたのだが、自分の『魔法』のことをご所望なのだとすぐに気付いて胸を撫でおろす。そして言葉の意味を呑み込めると、まず呆れが表面に出た。



「魔法を、そんなことで……」


「私の体調が崩れたら大変だって言ったのは、フィン君だけど?」


「えぇ……いや、そうですね……」



 魔法は、大なり小なり行使した魔法使いの大切なものを盗んでいく。だから魔法を使うということは魔法使いの中では神聖視されていることの筈だが、どうやらこの隊長にそんな常識は通用しないらしい。


 反射的に断ろうとして、すぐに思い直す。そういえば僕だって魔法を神聖視しているわけでもなく、この程度なら代償も精々髪の毛の先程度だ。それをけちるのも馬鹿らしい。


 差し出された両手の辺りに僕も手を差し出すと、細心の注意を払って魔法を行使する。すると人も言えないような淡い朱色が広がり、極寒とも言えたバルコニーは少し肌寒い程度にまで温められた。


 とはいってもすぐに空気は入れ替わってしまうから、行使した状態を慎重に維持する。「お~」とエナさんが歓声を上げると同時に、僕の髪の毛の先が、僅かに赤熱して擦り減った。



「……そういえば、フィン君は代償が自分の身体そのものなんだね。なんというか、君は、命が大切って人には見えないんだけど」


「僕は……確かに、自分を大切に思うような人間ではないかもしれません───ただ、残ったものがこの身一つだけだったというだけです」


「……ふーん」



 今度はこちらが訝し気な目で見られる番のようだった。こちらにやましいことはひとつもないが、少しだけ居心地の悪さを感じる。僅かな沈黙ののちに、エナさんがぽつりと言った。



「まだ聞いたことがなかったね。フィン君は、どうして軍に志願したの?」



 軍隊ではよくある話題。彼女が他の隊員にも同じことを聞いているのを見たことがある。その時に抱いた懸念を目の前にして、僕は少し顔を顰めた。



「……ありきたりですよ。聞いても、面白くないと思いますが」


「人の動機をありきたりで片付けるなら、こんなこと聞かないよ」



 どうにも、はぐらかされてはくれないらしい。彼女のような人は嫌うかもしれないと思ったから隠していたかったのだけれど、ここで上手く嘘をつけるほど器用な人間でもなかった。……あるいは、無意識に、これを吐露出来る機会を待っていたのかもしれない。



「僕の故郷は、片田舎の農村です。生活は楽というほどでもありませんでしたが、不満があるわけでもない……今考えると、随分幸せな生活をしていました。けれど……八年前の大侵攻で、帝国の魔法使いに焼かれたんです。僕は運よく逃げ延びましたが、他の村人は全員死んで、そこからの生活は酷いものでした」


「うん」


「家無し文無しでなんとか生きながらえて仕事を見つけて……でも、自分の全てを奪っていった帝国への怒りは消えませんでした。自分はその時にはもう片目を無くしていて徴兵はされませんでしたが、結局、自分で志願してここにいます。つまり、ただの復讐心です」



 一気に言い切ってから、目を伏せる。今目の前の人がどんな顔をしているのかを見るのが怖かったからだ。しかし中々反応は帰ってこず、沈黙が辛くなって結局顔を上げる。


 エナさんは、何かを考えている顔で僕の手をじっと見ていた。この場に熱気を出し続けている、魔法の根源をじっと見つめていた。


 すると、彼女は僕が反応できないくらい自然な動作でそこに自分の手を重ねた。驚いて声も出せないでいると、いつもより少しだけ堅い声で彼女は言った。



「精霊は、ある程度その人が望んでいる系統の魔法をくれるんだって」


「ええ、知っています」


「フィン君は……故郷を焼かれたって言った。けど、君の魔法は『火』なんだね」


「……僕は」



 確かに、それなら順当に行けば僕の属性は水か、或いは目の前の彼女と同じように治癒か、そんなところに収まっていただろう。けれど僕の属性はあくまで、故郷を焼いたあの憎らしい炎だった。



「僕が、自分の動機を国や民を守るためではなく、復讐と言ったのは、それが理由です。僕は……故郷を焼いたあの魔法使いを、帝国を、同じ目に味わわせてやりたいんです。あの日焼かれた家族と同じ目に合わないようにでもなく、あの惨劇を今度は防いでみせるというでもなく、ただ同じ目に味わわせてやりたいんです」



 自分に宿った魔法が火だった時、どうしようもなく自分が復讐を望んでいるのだと気付かされた。あの時出会った精霊は、そんな僕の内心を完璧に見通していたのだ。


 目の前のこの人は、自分を温めている火がそんな動機で現れているものだと知って、嫌悪するだろうか。そんなこちらの心配を覆す様に、エナさんは言った。



「それにしては……君の火は、随分と温かいんだね」


「それは……そんなことを言われたのは初めてです。僕の火を受けたものはみんな、熱い、焼けると叫びますから」


「そっか。でも、私にとっては暖炉と変わらないね」



 自らの魔法を暖炉扱いなんて、他の魔法使いが聞いたら怒り狂うに決まっているほどの暴言だ。けれど僕からするとなんだかおかしく感じて、ふふっと笑いを漏らしてしまう。



「僕は暖炉ですか。これでも、戦場だと恐れられている方だと思っていたんですが」


「ようは使いようだからね。魔法も、刃も、結局、人がどう使うかでしかない。そうでしょ?」



 それは奇しくも、僕と同じ意見だった。ただ、その口ぶりからして、僕よりもきっと冷めていないような、楽観的な見方をしているように感じた。エナさんらしいなと思う。



「では、今だけは、僕が火属性になった理由は貴女の暖炉になるためですと言っておきます」


「助かるよ~。強がっちゃったけど、実は結構寒かったんだよねぇ」



 エナさんが普段の柔らかい口調に戻る。それにしても、この手はいつ離してくれるのだろうかと疑問に思うと、僕の魔法を包むように、彼女の魔法が少しだけ現れた。



「何を───」


「いつか貴方の心から復讐の炎が和らいで、平穏に暮らせるようになりますように」



 そう言い切ると同時に、もうエナさんの魔法の光は消え去っていた。彼女の魔法が傷を癒すものであると知っていた僕が、意図が掴めず困惑していると、エナさんが悪戯が成功した子供のような表情で言った。



「おまじない。といっても、私が自分で考えたおまじないだけどね。どうだった?」



 おまじないに、どうだったもなにもないだろう。そう思ったのとは相反するように、自然と言葉が口に出た。



「今回の作戦も、生きて帰れそうです」


「それは良かった」





 ぴーーーーっと、汽笛のような音が鳴り……同時に、気球の高度が下がっていく。作戦行動直前、各員用意開始の合図だった。





















未だ有効な対抗策が確立されていない超高度からの、敵本陣へ少数精鋭による強襲作戦。硬直した戦場に打開の一撃を叩きこもうと提案された作戦は、魔法すら届かない領域から叩き込まれる雷撃のような攻撃だった。


 とはいっても、あちらの魔法が届かないということはこちらの魔法も届かない。気球の数に限りがある以上、こちらは人数を削らざるを得ず、得られる優位性といえば奇襲効果程度のもの。それでも、戦況を動かすにはこれしかないという判断だった。


 このまま本格的な冬に突入してしまえば、起こるのは凍死による共倒れ。それほどに、両国とも軍を広げ過ぎたのだ。何も得ずに撤退することも、冬を越せるほどの物資を供給することも出来ない。


 降下方法は、風属性の魔法使いによるやけくそじみた不自由落下で、言ってしまえばこの作戦は決死隊のようなものだった。貴重な魔法使いを何人も詰め込んで、成功も怪しい死地に送り込む。何とも……見慣れた光景だ。


 魔法使いは、良くも悪くもあまり人として見られない。この程度の無茶を言い渡されることぐらいザラだ。それでも生き延びてきたから、僕はここに立っている。他の隊員も、同じようなものだ。


 遥か下方の地表で、慌てふためいたように動き回る敵軍の姿が見える。此方の降下に対応しようと軍隊を再編しようとしているようだが、もう遅い。



「………」



 一歩踏み出せば地獄へ向かいことになる場所に立って、誰もが無言を貫いている。ただ、目にだけ、ギラギラと輝く決意を秘めて。そんな隊員を背に、隊長が───エナさんが、口を開く。



「───これより我らは、生還も困難な戦場に身を投じる。目標は敵軍本陣。一つの矢のように飛び、敵将の心臓を穿つ。我らの部隊ならば、きっと成し遂げられる。そして……無事、生きて帰ろう、みんな」


「「「「「「───はっ!」」」」」」



 合図されずとも、全隊員の声が重なる。それを見届けたエナさんが、手に持った軍旗を振りかざした。



「出撃!」



 ゴーグルを装着して、外套を翻し、風の魔法使いを中心に気球から飛び降りる。瞬間、恐ろしいほどの冷気が全身に叩きつけられた。だが、そのために僕が居る。


 地上に向かって真っ直ぐに手を掲げる。迫りくる冷気を切り裂くようにして、熱気の幕が展開した。バルコニーで使った時の何倍も強い魔法の行使。左頬に激痛が走り、焦げた匂いがした。


 構わない。そのまま魔法を維持し続ける。そのままの寒気に対応し続けるだけの熱気を一人で出し続けるのは無謀に近いが、風魔法が叩きつけるような冷気をある程度捌いてくれている。ならば、問題ない。


 頬の火傷が広がっていく中、尋常でない速度で景色が流れ、どんどん敵兵の姿が大きくなっていく。そして相手の表情まで見えそうなほどになった時、風の魔法使いが叫んだ。



「減速するぞ!!!」



 全身が強烈に引きずり回されるような感覚と共に、自由落下で加速していた身体がぐんぐん減速していく。平衡感覚が掻き回されて定がでなくなるが、視線だけは地上から離さない。


 ヒュン、とすぐ近くを風切り音が通過した。遂に敵軍の弓兵の射程に入ったらしい。空中で減速していく隊員達は、このままだと良い的だ。冷気を捌く必要が無くなった僕は、外側だけに向くよう注意して全力の熱波を放った。


 ゴウッと季節外れの蜃気楼が揺らめき、近付いてくる矢の群れが全て黒く焦げ、焼け落ちた。僅かに残った勢いも、風魔法によって振り払われて力なく地上に降り注いでいく。



「ぐっ!」



 恐ろしく長い数秒が過ぎ去り、遂に身体は地上に辿り着いた。だが勢いは完全に殺しきれておらず、建造物の上階から飛び降りたような衝撃に襲われた。僕は無事に足から着地出来たから骨が少し軋むくらいで済んだが、幾人かの隊員が悲痛な悲鳴を上げる。


 声の方向へ振り返ると、一目で負傷してない隊員の方が少ないと分かるほどの惨状が目に入る。普通ならばこの時点で作戦は失敗と言い切れる状況だが、予期できていた範疇だ。



「みんな、立ち上がって!」



 空気を切り裂くような声が響き渡る。それと同時に、場違いなほどの柔らかい光が部隊全員を包み込んだ。すると先ほどまでの惨状がまるで嘘だったかのように、全員が五体満足で立ち上がる。



「───隊長!代償は!?」


「大丈夫!これくらいならまだまだいけるよ!」



 僕が反射的にそう叫ぶと、一切活力を失っていない返事が返ってくる。エナさんの代償が何であるのかはぱっと見では分からないが、そう言うのであれば信じるしかない。


 こうしている間にも、此方の着地地点を把握したのであろう敵軍の足音が近付いてくる。息を深く吸い込んで正面に向き直して敵軍本陣に進攻しようとした時、隊員の一人が叫んだ。



「た、隊長!こいつが、こいつが……!」



 明らかに冷静を失った隊員の声に、全員が焦りの目を向ける。その視線の先では、必死な顔の隊員の隣で、降下する部隊を落下から守った風の魔法使いが、地面に伏せたままブツブツと何かを言っていた。



「おい、どうした!」



 近くにいた僕が呼び掛けながら近寄ると、彼が呟いている声が鮮明に聞き取れる。それを聞いた瞬間、背筋にぞわっと冷たいものが走った。



「こ、ここは……どこだ?なんで、俺は、こんな場所に……?」


「……お前」



 かつて、同じような状態に陥った魔法使いを見たことがあった。魔法の代償が『過去の記憶』だった魔法使いが、戦場で代償を支払い過ぎた時のことだ。そして、戦場の渦中で自失した彼がどうなったかも、僕はよく知っていた。


 だからこそ、どう声を掛ければ良いかが分からない。この状態の人間にどんな言葉をかけても、更なる混乱しか招かないと知っていたから。しかし、迷っている時間すらも今は惜しい。


 隊全体が彼の現状を察して固まる。しかしその空気を一閃するように言葉を放ったのは、またも隊長だった。



「彼は、ここに置いていきます。他に代償が深刻な者が居ても同様です。我々は一刻も早く、敵本陣に向かわなくてはなりません」


「っ!」



 僕を含めて数人が、何か言葉を発しようとして押しとどまった。何故なら隊長こそが、この隊に所属している者の中で誰よりも仲間思いだということを、みんな知っていたから。


 その隊長が、即断で彼を置いていくと言ったから。その言葉を誰よりも言いたくない彼女が、誰よりも早く言って見せたから。それにどれほどの覚悟が必要だったのか、推し量ることも難しい。なのに、他の者から言えることなどあるだろうか。


 僕は、腰に身に着けていた軍刀を引き抜く。先頭を走るのは自分だ。この隊で、一番攻撃的な魔法を使えるのは僕だから。既に自失した彼は視界に無い。振り返ることも、しない。



「目標、敵本陣。突撃!」


「「「「「「了解!」」」」」」



 声が揃う。僕が駆け出した道を、隊員達が続く。その視線の先では、急遽編成し直した為かガタガタの陣形を組んだ帝国軍が、此方に向けて矢を番えたところだった。



「……置いて行かないで」



 背後から聞こえた声に足が止まりそうになったが、それでも振り返ることは無かった。














 先頭に立つと、自分達に飛来してくる矢の軌道がよく見える。熱波で焼き払っても良いが、地に足が付いた今だと他の隊員に任せることもできる。


 ズズ、と何かがずれるような音と共に、敵軍の前線まで繋がるような一直線のトンネルが出来た。土属性の魔法使いの魔法だ。矢避けよして、これ以上分かりやすい物も無い。


 心の中で感謝を告げるとともに、自分の身体が驚くほど軽くなる。それに任せて、即席のトンネルを矢のような速度で駆け抜ける。複雑な理論の為仕組みはよく知らないが、生命魔法の身体強化によるものだ。


 グングンと敵の槍衾が近付いてくる。誤射を恐れ帝国軍の矢の雨が薄れる。すると残る障壁は槍衾だけ。これを崩して乱戦に持ち込むのは───僕の魔法だ。



「燃え尽きろ!」



 相手を怯ませるため、軍刀を振るい、全力で吠える。すると僕の咆哮に負けないほどの轟音が溢れ、巨大な斬撃のような蒼炎が、帝国軍の前線を横一線に焼き払った。


 それだけで、敵の最前線を形作っていた敵兵の何割かが物言わぬ黒炭に姿を変える。一瞬のうちに巻き起こされた理不尽に、敵軍の中に悲鳴じみた声が上がった。



「───炎の魔法使いまでいるぞぉ!」


「こ、こんなの、止められるわけないだろ!」


「こっちの魔法使いは何処にいるんだ!」


「知らねぇよ!あ、あいつらは全員最前線だろ!」


 

 聞こえてきた内容に、口角が上がる。その為の奇襲、その為の一点突破だ。敵本陣を守る魔法使いは完全にゼロということはないだろうが、それでも手薄なのは間違いない。


 そのままこじ開けた突破口が閉じる前に飛び込もうとして、全身の激痛に、否応なく足が止まる。痛みの元凶は、一斉に全身を覆った軽度の火傷。普段は冷気にも熱気にも強い身体が、今は焼けるように熱い。


 すぐに、背後から暖かい光が飛んできた。骨の髄までを焼き尽くしてしまうかのような熱が嘘のように消えて、身体が軽くなる。全治とまではいかないが、十分なコンディションまで回復した。



「立てる!?」



 エナさんの張り付けた声が聞こえた。他の隊員達が、僕の魔法で出来た隙間に飛び込んでいく。遅れるわけにはいかないと真っ直ぐに立ち上がり、大声で返した。



「問題ありません!」


「気を付けて!さっきの彼くらい酷いと、治せないから!」



 魔法の匙加減が苦手な僕だからか、そんな警告まで付いてきた。身体にまだ残っている熱を吐き出す様に、ゆっくり深呼吸をする。大丈夫、この軟弱な軍を引き千切るのに、先ほど以上の火力は要らない。



「───燃え尽きろ!」



 部隊を囲むように動いていた敵の隊を、見せしめるように紅蓮で薙ぎ払う。近付いてきていた兵は悲痛な悲鳴を上げて火柱と化し、部隊が通った道はとても通れない火の海に変わっていく。


 威力自体は初撃に劣る。だが、あいつらを焼くには魔法の余波だけで充分だ。目に見えるように敵軍の動きが悪くなり、遮る肉の壁はどんどん擦り減っていく。


 火の魔法は、戦闘に向いている。他の魔法が風を刃にしたり、土を槍にしたりしなければならない一方で……炎は、ただ、必要な出力をそこに現界させるだけで事足りるからだ。


 その一方で、火は人に原初の恐怖を思い出させるからか、比較的火属性の魔法使いは少ない。僕がこの戦場でこうも好き勝手に暴れ回ることが出来るのは、それらの要因が重なった結果だ。



「燃え尽きろ!」



 声を重ねるごとに、部隊はどんどん前に踏み出していく。遂には、戦意を失って逃げ出す兵まで現れ始めた。無理もない。常人と魔法使いとの差は、この程度の数で覆せるものでは無い。


 次々と敵兵が焼けていく。あの日故郷を焼いた者達と同じ鎧を着た連中が、今度は為すすべもなく焼かれていく。その事実に、ぞわぞわと背筋が泡立つ。


 そして部隊は遂に、帝国軍の壁を潜り抜けた。ここまで僅か十数分、まさに矢が飛ぶような速度の進軍。その先に見えるのは───敵本陣の旗。



「奴らを止めろ!今すぐだ!」



 今更準備を終えたのか、指揮官の近衛らしい全身甲冑の騎士が数人、天幕から飛び出してくる。だが、火属性魔法持ちに、それはあまりにも愚かな選択だ。



「どけっ!」



 兜のすぐ正面で爆炎を発生させてやるだけで、騎士達はビクンと身体を震わせると、倒れて動かなくなった。脳まで沸騰しているであろうその死体を踏み越えて、一番豪華な天幕を探して突き進む。



「みんな、あれだ!」



 一緒に先頭近くを進んでいた隊員の一人が、とある方向を指さしてそう叫ぶ。立っている旗に、一際大きい天幕。僕も確信を持って頷いた。



「隊長!見つけました!」


「行きましょう!全隊、目標発見!フィン君に続いて!」



 最後まで、一番槍の栄誉は頂けるらしい。僕は何時でも魔法を発動できるように集中し、目当ての天幕に飛び込んだ。



「───貴様は!」



 最初に視界に映った物は、帝国の魔法使いが着る軍服を身に着けた男。何か魔法を発動させようと此方に手を向けたが、火属性を相手に、その初動はあまりにも遅すぎる。


 ごうっと蒼の炎が敵魔法使いの顔を撫で、感覚器と呼吸器を焼き払う。命を奪うには足りないが、その状態で魔法を使えるほどの集中を保てるはずもなく。



「───他に魔法使いは?」



 意識を向ける必要すらなく、追加の爆炎で脳を焦がして止めを刺す。火属性とこの距離で相対した時点で、彼は詰んでいたのだ。念のため、後続の隊員にそう尋ねる。



「居ないな。そいつだけだろう」



 土属性の彼がそう返す。周りを見れば、突入した時の一瞬で、天幕内に居た護衛達も別の隊員が一掃したようだ。となると、この天幕に残っているのは一人だけだった。



「何か言い残すことはありますか、帝国指揮官殿」


「……何もない。見事な奇襲だった」



 壮麗な皺を顔に刻んだ帝国軍服の男が、此方を見据えてそう言った。そうですか、と一言だけ返すと、軍刀を構え、首に向けて横一線に振るった。




















「隊長、敵指揮官を打ち取りました」



 血がべったりと着いた軍刀を適当な布で拭いながら、エナさんにそう伝える。彼女は大きく頷くと、隊全体に響き渡る声で言った。



「敵指揮官は打ち取った!作戦前に指示した通り離脱する。最後まで気を抜かず付いてきて!」


「「「「「はっ!」」」」」



 幾分か減った声が重なる。それに気付いてぐっと歯を噛み締めるが、隊長の最後まで気を抜かず、という言葉通り今は頭の隅にそのことを追い払った。そしてみんなが天幕から出たのを確認して、帝国旗と天幕に火をつける。


 これで、嫌でも自分達の本陣が落ちたのだと帝国軍全体が知るはずだ。その混乱の隙をついて、同時に一斉攻勢に映る筈の自軍と合流する。だがお互いの間にある帝国軍が、あちらの主力だ。まだまだ気は抜けない。


 その時───ふと、嫌な感覚が風のように部隊全体を通り過ぎたような気がした。反射的に周囲へ注意深く目を配るが、おかしなものは何一つ発見できない。


 過去に似たような感覚を味わったことがあった気がするが、どうにも思い出せなかった。周りのみんなは特に何も感じていないようだが、それでも不信感を拭い去ることが出来ない。


 違和感の正体を掴もうと、更に注意深く周囲の様子を伺った時───足元に転がる帝国兵の死体のうち一つが、ピクリと動いた。



「───隊長を守れ!!!!」



 考える間もなく、今日一番の声で叫ぶ。そして近くに居たエナさんを庇って抱き寄せた瞬間───爆発したかのような勢いで、死体だった筈の者から『水』が溢れ出した。
























「な、にが……!」



 視界が滅茶苦茶になり、気が付いたら何かの建造物のようなものに下敷きになっていた。一瞬だけ意識が暗転したが、すぐに取り戻して、身体の上に乗った何かを力任せに退ける。


 視界が開け、自分の身体にのしかかっていたのが砕けた土の障壁だったと気付く。土の魔法使いが、あの一瞬で反応して壁を生成したのだ。しかし、その強度をよく知っていただけに、容易く砕かれてしまっているこの光景にゾッとする。


 続いて辺りを見渡すと、ここら一帯が全て泥沼のような姿に変わっていることが分かる。意識が途切れる一瞬前に見えたのは、帝国兵の一人から溢れた濁流だが……魔法一つで、これほどのことが出来るなんて、信じられない。




「───エナさんは!?隊長は何処だ!」



 はっと我に返ってそう叫ぶ。しかし辺りから返事が来ることは無かった。舌打ちをして近くの砕けた土壁の山に駆け寄ると、破片の隙間から隊員の腕が覗いていた。



「おい、大丈夫か!」



 それにのしかかった土石を押しのけて……息が詰まる。邪魔を退けた場所に、その隊員の身体が無かったから。遅れて、その腕がバラバラになった仲間の一部だったと気付く。


 よく周りを見ると、同じようにバラバラになった隊員達の死体が、そこら中に転がっていることに気付く。そこでようやく、あの一瞬だと……自分とエナさんを守れる程度の範囲の土壁しか出せていなかったのだと理解した。



「っ……!隊長!返事をしてください、隊長!」



 崩れそうになる膝に活を入れて、必死に隊長を探す。自分が助かっているのなら、その陰に居たエナさんはまだ助かっている可能性が高いから。周りに見えるものが死体だけであっても、彼女だけはまだ助けられるかもしれないなら、心折れている暇なんてない。



「フィン、くん……」


「エナさん!!!」



 土石の下から微かに聞こえた声に飛びついて、変な崩れ方をしないよう細心の注意を払って退ける。すると、泥塗れになってしまったエナさんの姿がすぐに現れる。



「エナさん……よかった……何処か、怪我は?」


「足が、動かなくて……」



 その声にエナさんの足へ目を向けて、すっと頭の芯に氷が刺されたような冷たさを感じた。土石を退かした足の先───太腿より先の部分が、両足とも既に無くなってしまっていたから。


 こうなったら、もうエナさんの魔法でも治すことは出来ない。見たものを彼女に伝えるのは勇気が必要だったが、止血の為にも、伝えなくてはならなかった。



「太腿から先が……両足とも、千切れてしまっています。今すぐ、止血して下さい……!」


「……そっか。分かった。それと、隊員達は……?」


「っ、ぜ、全滅……です。全て確認出来たわけでは無いですが……生存は、絶望的だと、思います」



 エナさんの顔が、くしゃりと歪む。彼女の悲痛な顔にまた心が折れそうになるが、渾身の力で感情をぐっと飲み込み、随分と軽くなってしまった彼女の身体を支えて持ち上げる。



「ここから、離脱します。しっかり捕まっていてください」



 せめて彼女だけでも、絶対に生きて連れ帰る。そんな決意を胸に抱えて駆け出そうとして……腕の中のエナさんが、僕の腕を押し返した。



「フィン君……私のことは置いて行って」


「っ馬鹿なことを言わないでください!」


「馬鹿は君でしょ!君だけなら絶対に逃げ切れる!でもっ、荷物一つ抱えて、帝国の前線を抜けられるわけない!」



 言葉を失ってしまう。エナさんがこんなに声を荒げているところは、初めて聞いたから。けれど僕だって、エナさんを見捨てて一人でのうのうと生き残るつもりなんて、ハナから無い。



「エナさん、お願いです……これ以上、何も失いたくないんです……」


「……君は」



 エナさんが何か言おうとした時、ガチャリ、と何かが動いた音がした。ここで、生き残っていた他の仲間が居たのだと思えればどれほど良かっただろうか。けれど、僕はすぐにそうでない可能性を見て……静かに、近くに転がっていた軍刀を拾った。


 音の方へ視線を向ける。そこでは……今まさに、帝国兵の鎧を身に着けた男が、幽鬼のように揺らめいて立ち上がるところだった。奴が何かは簡単に想像が付いて……僕は、この世の理不尽を心の底から呪った。


 もし、この地獄のような惨状で生きているのだとしたら土壁に守られた僕達か……この破壊を引き起こした、張本人。しかも、ついさっき、魔法に目覚めたのであろう一般兵。


 やはり、精霊が人間を守ってくれるなんて大噓だ。精霊はいつも、自分から何かを奪っていくことしかしない。故郷の炎も、僕の目的も、身体も、仲間も……全部。


 どうしようもない理不尽に、行き場のない怒りが胸を掻き回す。その衝動のままに放った爆炎は真っ直ぐ奴に向かって飛んでいき……手前で、水の障壁に阻まれた。



「フィン君、水魔法だ!相性が悪すぎる!」


「分かってます」


「分かってるなら君だけでも逃げてよ!これは命令!フィン君、逃げなさい!」


「それは……できません」


「なんでよ!」



 逃げられない理由。それなら、幾らでもあった。故郷を、親族を焼かれた時の無力感に対する復讐。隊のみんなを殺した奴に対する復讐。エナさんという尊敬する人を置いていけないこと。そして───



「僕の火は……今日だけは、エナさんを暖めるためのものですから。こんな冷たい場所に、貴女を置いていけません」



 奴が、水の障壁を張りながら近付いてくる。そいつは焼け焦げた兜を無理矢理に外すと、火傷で殆どがに爛れた顔を露出した。僕が焼いた顔だ。そして、僕も良く知っている感情を眼に宿らせて、口を開く。



「暖める火、だと……?ふざ、けるな!みんな、みんな!お前がその炎で焼いたんだろうが!あいつらも、全員!お前が焼いたんだ!」


「……先に火をつけたのは、お前達だ」


「なら、全部、ここで沈めてやる。お前は悪鬼だ。帝国を揺るがし、人の命を喰う悪鬼だ!殺してやる……殺してやるぞ!」



 奴が、水を槍状に変形させて放ってくる。僕はそれを、全力の炎で迎え撃った。


 水の槍が炎に触れた瞬間、水蒸気が爆発するように広がって、辺りに熱水が降り注ぐ。全力で放った炎の代償に、前腕に酷い火傷が広がった。


 激痛を、歯を喰いしばって堪える。水魔法を炎で防ごうと思ったら、全力で迎え撃たなくてはならない。これくらいの負傷でいちいち動きが鈍るようでは、どうしようもない。


 エナさんが後ろにいるから、当然避けることもしない。全て受け止めて、あの障壁ごと焼き払う。



「フィン君、腕、治すから見せて!」


「断ります。そうしたら、あいつはエナさんから狙います」



 水蒸気が晴れて、再び奴の姿が現れる。その周囲には……先ほどと同じような水の槍が、計八本浮遊して待機していた。


 それを見て、腹が決まった。相性の問題で先に代償で駄目になるのは僕の方だ。なら、あれを迎撃しながら直線に接近して、水の障壁に直接魔法を叩き込むしかない。



「これで……死ね!」



 僕の腕の火傷を見て、勝ち誇った顔で奴が水の槍を放つ。それが動き出す瞬間、僕は代償のことなど気にも留めない全出力で、全身を炎に包んだ。そのまま、全力で走り抜ける。


 一本目の槍が炎で蒸発する。二本目、三本目は勢いを殺しきれずに右腕と左腕を掠めていった。四本目と五本目は槍の状態を保ったまま、脇腹と額を引っ掻くように傷付けていった。



「っっっぁぁぁぁあああああ!!!!」



 六本目と七本目が、右腕と腹を完全に捉えて貫いた。激痛に意識が飛びかけて、喉奥に血の塊が溢れて呼吸が詰まる。そこに八本目が飛来して───自分の魔法ではない淡い光が、槍の軌道をずらした。


 不可思議な現象に気を取られそうになるが、すぐに正面に向き直る。奴の水の障壁は、もう触れられる距離にあった。


 まだ動く左腕を、水の障壁に突き刺す。驚愕に歪む奴の顔を掴んで、全力で炎魔法を叩きこもうとした瞬間───部隊のみんなを薙ぎ払ったのと同じような水が、また奴の身体から溢れた。
























 遠くから、誰かの声がする。


 周りは暗くて、何も見えない。その中で、声の人物に向かって手を伸ばす。


 幾度か僕の手は空を切って……そして、暖かい手に掴まれた。














「───フィン君、起きて!起きてよ!」


「エナ、さん」



 すぐ近くに、エナさんの泣きそうな顔があった。


 僕の手はエナさんの手に覆われていて、そこにはエナさんの魔法の光が灯っていた。けれど、隙間無く火傷で爛れた前身は、一向に治る気配がない。もう、エナさんの魔法で治せる範疇の怪我ではなくなってしまったらしい。


 僕は立ち上がろうとするが、手足が本当に炭になってしまったのかのように動かない。でも、立ち上がらなくてはならなかった。結局、奴に炎を叩きこめなかった。今は姿が見えないが、またいつ現れるか分からない。



「エナさん、あいつは、どこに……」


「それどころじゃ、ないでしょ……君、自分がどうなってるか、分かってる……!?」


「右腕が、もう、使い物になりません……足も、動くか怪しいです……ですが、まだ、魔法は撃てます……!」



 力を籠め続けると、僅かに足が動いた気がした。けれどその足は、エナさんに抑えられてしまう。



「エナさん……?」


「……フィン君、聞いて」



 怪訝な声を出すと、エナさんは静かに僕を見つめて、言った。



「今の私の魔法だと、君の傷は治せない。そんな身体だともう、一歩も動けない」


「分かって、います。けれど、あいつは、僕が殺さないと……」


「ねぇ、そう言えばまだ、私が軍に入った理由を教えてあげてなかったね」



 突然場違いなことを語りだす彼女に、目を丸くする。しかしそんな僕のこともよそに、彼女はそのまま話し続ける。



「私ね、戦争で友達を失ったことがあったの。その子は軍人で、凄く仲のいい友達だったんだけど……軍に医療班が足りなくって、怪我の処置が出来なかったんだ」


「……」


「だから、その時まだ魔法使いじゃなかった私は軍医として勉強してね、医療班として軍に入れてもらったの。私の友達と同じように、治療の手が足りなくって死んじゃう人が出ないように。けど、私一人だけの力だったら、結局手が足りなくて死んじゃう人も沢山いたの」


「それは……仕方ないと思います」


「そうかもしれないけど……私は仕方ないで済ませたくなかったの。そうしたら、この魔法に目覚めた……けど、そんな私の代償は『自分の寿命』だった」


「な、そ、そんな!?」



 普段魔法を行使しても代償が表に現れない理由が、ようやく分かった。それと同時に、今まで彼女が大量の怪我人を癒していた光景を思い出す。あれだけの人を癒すのに、一体どれほど命を削ったのか、見当もつかなかった。



「酷い話だよね。使えば使うほど、私が助けられる総数も減っちゃうの。それでも……目の前の大切な仲間を守れるんだから、後悔したことなんて一度だってない。だから───私の残りの寿命を、全部君にあげる」


「───駄、目です、そんなこと!僕は、エナさんを守るために……」


「……私だって、君達を守るためにここに来た。けど、残ったのはもう、フィン君だけ」



 エナさんの涙が一滴零れて、僕の胸に落ちた。



「だから、せめて、君だけは守りたい。隊長の最後の我儘を、聞いてくれる……?」


「……ずるいですよ。そんな言い方されたら、断れるわけないじゃないですか」


「あはは、ごめんね……」



 エナさんの手が、僕の胸に触れる。そこから普段の何倍も大きな光が溢れて、どんどん僕の全身を包んでいく。



「ねぇ、フィン君」


「……何ですか?」


「ありがとう。この作戦で死ぬときはきっと、冷たい場所で凍えながら死ぬんじゃないのかと思ってたんだけど……君のおかげで、暖かいよ」


「当然です。僕の魔法は……エナさんを暖めるためのものですから」



 ひときわ大きな光が溢れた。全身を覆っていた激痛が嘘のように引いていって、身体が軽くなる。痛みや怪我で霞んでいた視界も回復して、最後に、はっきりと彼女の顔を見ることが出来た。


 そして、僕の怪我が全て癒えると同時に───エナさんは、砂のように溶けて、崩れ落ちた。
















 僕が、身体を起こす。それと同時に、少し離れた場所で奴も身体を起こした。


 代償なのだろうか、その動きはぎこちない。けれど此方に向けてくる殺意は一切の濁りが無く、再び水の障壁を展開する。



「何故、無傷で……!くそっ、くっ、絶対、殺してやるぞ……悪鬼め……!」



 そして再び、水の槍が多数飛んでくる。僕はそれを、全力以上の炎をぶつけて叩き落とした。


 当然、代償で傷一つ無くなった皮膚に、また火傷が刻まれる。しかし、その火傷はすぐに淡い光に包まれて消え去った。


 何発も、何発も絶えず水の槍が叩き込まれる。その度に炎が渦巻き、全てをただの水蒸気に変えていく。異変に気付いた奴が、当たり散らす様に叫ぶ。



「なんで……なんでだ!今日だけに、全部代償を注ぎ込んだんだ!お前だけは……お前だけは道連れにするために……なのに、なんで」



 悲痛な声だった。理不尽に振り回されるものの叫びだった。それに憐れみを覚えることは無かったが……少しだけ、自分に似ていると思った。



「お前も、もう休め」



 僕の身体を中心にして、今までのどれよりも大きな炎が渦巻く。それは嵐のように周りを侵食して広がっていき……全てを灰に変えていく。


 遥か遠方からでも見えるほどの、巨大な火柱があがる。それはまるで、墓標のようだった。
















 その日、英雄が一人、無傷で帝国の前線を全て焼き払って帰還した。


 これまでにないほどの大戦果を挙げた彼は、自国で紅蓮の英雄として祀り上げられ。


 敵国からは、煉獄の悪鬼として恐れられていくことになる。

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