九
その夜のことだ。
ご飯を配るために、また少年の部屋へとやってきた。
あれからご機嫌が良くなっているといいなと思いながら一声かけつつ入室する。
「失礼、するぞ」
今度はドアを開けても、枕は飛んでこなかった。
どうやら少年は布団に包まったままのようだ。
お昼に置いたトレーもそのままで、食事に手をつけた様子もない。
「ごはん、だぞ」
声をかけても反応がなく、私はそっと布団を捲ってみた。
すると、ハァハァと息の荒い少年。
顔が真っ赤で辛そうだ。
「大丈夫か?」
おでこを触ったら熱々だ。
私は慌てて、綺麗な布と冷たい水を取りに行く。
とりあえずおでこに冷たい布を置いてみたけれど、まだご飯を配っている途中だから、ずっとここに居られない。
少年の様子を見る限り、とても心配である。
「また、くる、するぞ」
急いでご飯を配り、介助が必要な人のところにも寄っていく。
そしてやっと手が空いて、私は少年の元へ急いだ。
「大丈夫か?」
声をかければ少年の瞳が開いた。
トロンとした瞳の少年は文句を言う気力もないようだ。
どうやら先程よりも熱が上がっているようで、冷たかった布も少年の熱で温まっていた。
布を水に浸してギュッとしぼり、少年のおでこに置けば、少年はスッと目を瞑った。
「うーん、薬、いるぞ」
ローズ様が熱を出した時に薬湯をよく飲んでいたから、この世界にも薬があるのは知っている。
けれどあの薬は、公爵家にいる薬師の人が調合した薬ということしか私は知らない。この世界に薬局があるのかさえわからない。
「困る、する」
どうしようと悩んだ私だけれど、こういう時は人に聞くのが一番だ。
私が気軽に話しかけることができるのは、モニカと、料理長のカールさんと、レナードさんだ。
その三人の中でパッと頭に浮かんだのはレナードさんで、私はレナードさんの部屋へと突撃する。
「失礼、するぞ」
慌てて入室した私を、怪訝な顔で見ているレナードさん。
「どうした?」
「聞く、したい」
「なんだ?」
「少年、熱、あるぞ」
「少年?」
「髪、緑、瞳、紅い細い、子供」
少年の特徴を伝えていけば、レナードさんは一つ頷いた。
「ナッシュだ」
どうやら絶賛反抗期の少年の名前はナッシュらしい。
「薬、あるか?」
「魔塔に薬師はいない」
「えーと、病気、診る、仕事、人、いるか?」
「ああ」
「どこ? 私、呼ぶ、するぞ」
「俺だ」
「へ?」
「俺の属性は光だ」
「属性? 知る、ないぞ」
「属性というのは、魔力の種類みたいなものだ」
「属性、種類、光?」
なんだ、なんだ。
いきなり属性だなんてファンタジーなことを言われても、わけがわからない。
「……ナッシュの部屋はどこだ?」
「二つ、隣」
ナッシュ少年の部屋の方向を指させば、レナードさんは、体を起こした。
ベッドサイドのテーブルにつかまり、立ち上がるレナードさん。
ふらつく体を咄嗟に支えた私は、そのまま一緒に歩き出す。
「悪いな」
「歩く、する、大丈夫か?」
「……まあ、少しぐらいはな」
ゆっくりだけど一歩一歩歩いていけば、少年の部屋へとたどり着いた。
ベッドに腰かけたレナードさんは、少しの距離を歩いただけだけれど、少し疲れているようだ。
レナードさんは、ナッシュ少年の様子を観察して、スッとシャツを捲った。
すると、血の滲んだ包帯が見えた。
「この怪我からの発熱だな。あとは魔力を大量に消費したことによる疲労もあるだろう」
「たくさん、寝る、する、治るか?」
「魔力はそれで回復するだろうが、この傷は……ちょっと厄介だな」
そう言ったレナードさんは、怪我をしている場所に手をかざす。
そして、小さな小さな声で何かを呟いた瞬間、手のひらから淡い光が出てきた。
多分これ魔法だ。
初めて見た。
魔術師だとか魔塔だとか、ファンタジーな単語を聞いても現実感がなかったけれど、いきなり手から光が出れば本当に魔法があるんだと実感した。
時間にすれば数秒だけど、レナードさんが手をかざす前と後では、ナッシュ少年の様子は明らかに違っている。辛そうだった呼吸も落ち着いて、顔の赤みも引いたようだ。
「これで、怪我は大丈夫だろう。あとはたっぷり寝て食べればいい」
そう言った後疲れたような吐息を吐き出したレナードさんは、ふらつきながら立ち上がる。
「部屋に戻る」
「うん、手伝う、するぞ」
そう言った私をキョトンとした顔で見るレナードさんに、私は首を傾げる。
「……魔法を使うところを見ても、何とも思わないのか?」
「魔法、すごいぞ」
「は?」
「便利、とても、よい」
「いや、そうじゃなくてだな、怖いとか、気持ち悪いとか」
「ん?」
そういえば、モニカが魔術師は恐れられている存在だと言っていたことを思い出す。
「魔法、不思議」
「そうだ、自分にはない力を持つ人間を怖いと思わないか?」
「レナードさん、怖い、ないぞ」
魔法という未知の力は怖いのかもしれないけれど、私にはレナードさんは怖く見えないのだ。
それに私は異世界にトリップという不思議体験経験者だ。手から光がでて怪我が治ったって大して驚かないのはそのおかげもあるだろう。
「じゃあ紅い瞳はどうだ?」
「りんご、いちご、美味しい、仲間、よい」
ポカンとしたレナードさんは、次の瞬間笑い出した。
「笑う、すぎるぞ」
「……いや、悪いな。今まで悩んできたことが、りんごといちごと同じと言われるとは思わなかったんだ」
「うむ、それは、悪い、したぞ」
そんな話をしながら一歩一歩進んでいるけれど、行きよりも明らかに寄りかかる力が強くて、私はレナードさんが心配になる。
「大丈夫か?」
「それなりにな」
なんとも微妙な返事をしたレナードさんが転ばないように私は支える腕に力を込めた。