八
その日から私は仕事が増えて忙しくなった。
掃除の合間にご飯運び係をして、一人で食べれない人の食事介助ももちろんやっている。
「失礼、するぞ」
「はい、待ってました」
「ご飯だぞ」
「来てくれて嬉しいです」
そう言って私がご飯を配るのを待っていたのはモニカだ。
モニカはすっかり私に懐いたようで、最初の頃のツンツンした感じがなくなって、今では私にべったりになった。
「今日もやってください」
「時間、短い、よいか?」
「はい」
期待を込めた瞳で私を見るモニカに私は近づいた。
そしてよしよしと頭を撫でる。
どうやら、泣いた時に頭を撫でたのを気に入ったらしいモニカ。
最初は遠慮がちに、今では堂々と撫でてほしいとお願いされるので、私はモニカの部屋に来るたびに頭を撫でている。目を細めて気持ちよさそうな顔をする甘えん坊のモニカはまるで猫の様だと思う。
そんなモニカだけど、甘えん坊なのには理由があった。
なんと世間では魔術師は恐れられている存在で、子供でも紅い瞳で産まれたというだけで一般の人には受け入れてもらえないらしい。田舎に行けば行くほどその傾向が強いそうで、モニカのいた村では紅い瞳の子供がいるというだけで家族も大変な思いをしたそうだ。
家が貧しかったこともあり、半ば売られるような形で魔塔に連れてこられたモニカは当時四歳だったらしい。当時のことはあまり覚えていないようだけど、それから一二年が経ち、現在の年齢は十六歳。
「頭を撫でてもらうのは気持ちがいいです」
「そうか?」
「はい、今日はあなたのことを教えてください」
「ん?」
「私ばかり話してしまって、あなたのこと何も知らないことに気づいたんです。お名前は何と言うのですか?」
「名前、私、すずきーじゃないぞ、あれ、ほら、名前」
やばい、やばいぞ、私。
なんで鈴木とか言ってるんだ。
私、ローズ様の身代わりじゃないか。
うっかり忘れてた。
ものすごく、すごーく大事な事実に気づいた私。
「え? すずきー?」
「違うぞ、名前、ローズ」
「ローズさん?」
「そうだぞ」
身代わりとしてここにきて病弱な公爵令嬢として大人しくすると言ったのは私だけれど、ここ最近の行動を振り返ると、元気いっぱい働いている。
「うむ、困る、する、かもぞ」
「はい?」
「気にする、ないぞ」
「あの、ローズさんは、外国の方ですよね?」
「ん?」
「言葉が片言ですし、以前お掃除しに来た方も外国の方で出稼ぎで魔塔の掃除をしていたようなので」
「私、前、働く、する、いたのか?」
「はい、すぐに辞めてしまう方が多くて、長く続いた人はいませんけど」
私は外国どころかこの世界の人ではない。でもローズ様はこの国の公爵令嬢だ。モニカの質問を私は肯定するわけにも否定するわけにもいかない気がしている。
これは困った。
その時、私はピンときた。
「お手洗い、行く」
「あ、はい、いってらっしゃい」
困ったときのお手洗いだ。
今回も無事にピンチ? を脱出できたと思う。
しかし、困った。
うっかり元気に働いてしまっている。
今更、病弱なふりをして働くのもどうかと思うし、かといってこのまま元気に働くのも大丈夫だろうかと悩む。
しばらく廊下で佇んで考えてみた。
けれど、結局考えてもいい案は浮かばず。
「まあ、いい、するぞ」
元々深く悩むのは苦手だし、現時点でとりあえず大きな問題になったりしていないし、なるようにしかならないのだから。
そんなことがあり、一応気をつけなければと思い行動していると、今度は心配されることとなった。
「なんだ? 今日は大人しいな」
そう言ったのは、食事介助中のおじいさんだ。
「私、いつも、大人しい、してるぞ」
「何を言っている? いつもうるさいぐらい喋っているだろう」
フンと鼻で笑ったおじいさんは日々元気になっているような気がする。
食事の量も増えたし、初めて会った日よりも顔色がいい気がする。
気のせいかもしれないけれど、心なしか白髪が減った気もする。
「どうした? 何か困りごとか?」
「私、困る、ないぞ。あ、でも、困る、する、ビリーさん、寝る、長いぞ」
魔力切れをおこしたらしいビリーさん、あれから一度も目覚めない。
実際は、目覚めているのかもしれないけれど、私が来たときはずっと寝ている状態なのだ。
「……ビリーのやつ、恐らく魔力を譲渡したんだ」
「魔力、譲渡?」
譲渡、という単語を初めて聞いた私はさっぱり意味がわからない。
「譲渡というのは、渡すことだ」
「魔力、渡す?」
「恐らく、俺に、魔力を譲渡したんだ」
にぎにぎと手を握ったり開いたりするおじいさん。
「俺は死ぬはずだったんだ」
「え?」
「魔術師は魔力切れをおこすと弱る、回復していないのにまた魔力を使うと、どんどん体が弱っていく。俺の体はもう限界で、もう目覚めることはないと思っていた。それが目覚めたら変なのがウロウロしていて」
「ん? 待つぞ、変なの、私か?」
「……フフ、お前以外に変な奴がいるのか?」
笑うおじいさんはレアだ。
このおじいさん若い頃は絶対モテたはずだ。
いつもムスッとしていたから、カッコいい笑顔に思わず見惚れてしまう。
「おじいさん、笑う、たくさん、よいぞ、モテる、するぞ」
グッと親指を立てた私をポカンとした顔で見るおじいさん。
「……おい、俺はおじいさんじゃないぞ」
お年寄りはみんなそう言うのだ。
本人はいつまでも若い気がするらしく、施設のおじいちゃんおばあちゃんもよく似たようなことを言っていたことを思い出す。
「名前、何か?」
「レナードだ」
「レナード、レナード、うん、覚えたぞ。レナードさん」
妙な顔をしたレナードさんは食事も終わり、水分補給もばっちりで、介助は終わった。
まだゆっくりレナードさんと話をしていたいところだけど、私は急がねばならない。
「よし、私、行くぞ、次、待つ、してる」
「ああ」
「また、くる、するぞ」
空になったトレーを持って食堂へと急ぐ。
新たにトレーを持ち、私は気合いを入れる。
だってこれから、強敵の部屋へと行かねばならないから。
「失礼、するぞ」
ドンと飛んできた枕を片手で払いのける私。
フッ、今日は防御に成功。
二度もやられてなるものか。
「ごはん、だぞ」
「入ってくるな」
紅い瞳をギラギラさせて睨みつけてくるのは、多分中学生ぐらいの緑色の髪の男の子だ。
最初は寝ている時にしか部屋に入ったことはなかったからわからなかったけれど、昨日初めて起きている時に遭遇。
ドアを開けた瞬間枕が飛んできたのだ。
しかもなかなかのスピードで飛んできた枕が直撃して、一度目は見事にやられた。
この少年、反抗期真っ只中といった感じでイライラした様子なのだ。
怪我もしている様子だし、ベッドから動けないようなのだけど、手伝おうとすれば怒り出してしまい、手がつけられないのだ。
「ごはん、一人、食べる、できるか?」
「うるさい、でていけ、こっちにくるな」
「ごはん、置く、する、食べる、しろ」
ベッドサイドのテーブルに食事のトレーを置いた瞬間。
ガシャーンと大きな音とともにトレーが床に落ちた。
少年の手が当たって落ちたのだ。
「……俺が悪いんじゃない、俺は、こっちにくるなって言ったのに、おまえが勝手に」
「気にする、ないぞ」
「なんだよ」
「怪我ない、よい」
「なんだよ、おまえ」
「掃除、まかせろ」
「……知らねえ」
顔まで布団を被っていじけた少年は、トレーを落としてしまった瞬間バツの悪そうな顔をしていたから、多分本当は悪いと思っているのだろう。
それから掃除をしている間、少年は一度も顔を出すことなかった。
新しいご飯を持ってきても、布団を被ったままの少年。
今日のところはそっとしておいたほうがいいだろうと、私は何も言わず扉を閉めたのだった。