四二
最初は早朝だけだと思っていたのに、神官長は少しでも暇な時間があると私のいる場所に現れるようになった。神官長は言葉を教えることに関してはスパルタで、根気強く教えてくれる。それでもどうしても私はうまく喋れない。
「困ったものじゃ」
「ごめんぞ。私、話す、難し」
この国の人は基本的にものすごく早口だ。聞き取るのには慣れたけれど、私はみんなのように早口で歌うように喋ることができない。微妙な発音の違いで意味が変わると頭ではわかっている。だから気をつけて同じように発音しようと頑張っているけれど、音痴な私は、どうしても同じ音程で喋れないのだ。
神官長の顔色を伺っていれば、神官長は髭をなでながら目を瞑り、何やら考え込んでいる様子だ。
「私、頑張る、するぞ」
「うむ、心意気はよいのじゃが」
単語と単語を繋ぐ発音がどうも上手くできないけれど、神官長の言葉は聞き取りやすかった。だから私は神官長の真似をすることにした。
「おはようござます」
「ふむ、まずまずの挨拶じゃな」
「ありがとうござます」
「うむ」
「今日は、収穫するのじゃ」
「……儂の喋り方を真似せずともいいのじゃが」
「言葉、先生、お手本なのじゃ」
「うむ、しかしじゃな、スズは若いおなごじゃから、年寄りのような言葉遣いは似合わぬ」
「神官長、喋り方、ゆっくり、優しく、とても発音しやすいのじゃ。私、大変、好ましく、思っておるのじゃ」
「うむ、しかし、やはり若いおなごがそのような話し方はやはりだめじゃ。それならば前のままでよい気がするのじゃが」
そんな話をしながら、今日も庭仕事に精を出す。神官長は畑仕事したことがないと言っていた割には、知識が豊富で、植物の名前や育て方を知っていた。だから私が教えられることなんてほとんどないのに、神官長は一生懸命私の手元を見て、畑を耕すのだ。
神官長の姿に触発されて、私は庭に出て庭仕事をするようになった。三日もすれば部屋でダラダラするだけでは時間を持て余し、神殿の庭仕事は暇を潰すにはうってつけだったのだ。
「そろそろ、咲くころじゃ」
今にも花が咲きそうな、大きな蕾を前にそう呟いた時だった。
蕾に影がかかり、私は後ろを振り返る。
後ろには神官が三人。いつも神官長の周りにいる三人だ。みんなおじさんだけれど、何やらいい話をしに来た雰囲気ではないようだ。
「神官長様がお優しいからと、調子に乗ってはいけないよ」
「その通りだ、そもそも君は本来なら塔で謹慎していなければならないのだ。このように自由に出歩くことは遠慮していただきたい」
「神殿預かりとなっている身、自重して行動するように」
どうやら、私が自由に歩き回っているのがお気に召さないようだ。わかったという意味を込めて一つ頷けば、一応納得してくれたのか、三人神殿の中へと戻って行く。
また、文句を言われる前に、部屋に戻ろうとしたところで、後ろから声がかかる。
「スズ」
「ん?」
呼ばれた声に振り向くと、急いで来たのか息を切らして、吹き出る汗を拭うビリーさんがいた。相変わらず筋肉ムキムキだけれど、妙に疲れたように見えるのは目の下の隈のせいだろう。
「ビリーさん、どうしたのじゃ?」
私の言葉に、ビリーさんはポカンと口を開けている。
「どうしたって、そりゃあ、スズの喋り方がどこぞのじいさんみたいで驚いているんだ」
「私、話す、上達したじゃろう?」
「いや、まあ、確かに、前より長い文章喋れているが、上達したかと言われたら何とも言えないぞ」
その言葉に返答したのは、後ろから聞こえ来た神官長の声だった。
「スズの喋りは上達しておる。儂のおかげでな」
神官長の登場に何とも言えない顔をしたビリーさんの表情に私は、この二人あまり仲が良くなさそうだったことを思い出した。
「魔術師が神殿の敷地で何をしておる?」
「神官長には関係ありませんが」
「何を言うておる? スズの身柄は儂が預かっておるのじゃぞ」
「魔塔からの届け物と、魔術師みんなからの伝言を預かって来ただけです」
「ふん、あまり長居するでないぞ」
忙しいらしい神官長は、先ほどの神官三人に急かされて去って行った。
そして妙に疲れているビリーさんは、ここ最近の出来事を話してくれる。レナードさんの様子や、魔塔のみんなのこと。
「神殿での暮らしはどうだ?」
「広い部屋、ふかふかベッド、豪華ご飯、素晴らしいのじゃ」
「……公爵様が神官長に口添えして、スズの待遇が良くなったみたいだな」
あれを口添えと言っていいのかわからないけれど、神官長の想い人のミーシャ様と関わりがあることをわざとらしく漏らした公爵様のおかげで、私の待遇は改善されたのだから公爵様のおかげなのは間違いない。
「まあ、スズならうまくやっているだろうとは思っていたが、元気ならいい」
「私、とても元気じゃ」
「俺は、元気じゃない」
「どうしたのじゃ?」
「あいつらみんなスズはどこだ? いつ帰ってくるんだ? とうるさくてな。料理長なんて、スズと意見交換しながら料理を作っていた頃が恋しいらしく、帰りはまだかと食事の度に厨房から出てくるんだ。料理長だけでなく、会うやつ、みんなしつこくスズはいつ帰ってくるのかと聞いてくるんだぞ」
「私、料理長の料理、恋しいぞ」
「早く帰って来いよ」
フッと笑ったビリーさんはポンと私の頭を撫でた。その横顔が妙に疲れて見える。
「ビリーさん、無理する、よろしいないぞ」
「……そんなに疲れて見えるか?」
「うむ、疲れる、果てる、見えるぞ」
「……それじゃ、少し元気をわけてくれるか?」
それはもちろん、私の元気をあげられたらあげたいぐらいである。異世界だし、そんな魔法でも存在するのだろうかと疑問に思っていれば、ビリーさんは突然、私を抱きしめるではないか。
「嫌じゃないか?」
「嫌じゃないぞ、でも、これ、元気なるか?」
「おう、これで、元気になった」
ニイと笑ったビリーさんは、本当に元気になったのか、軽い足取りで帰っていく。その背を見送り私は、ビリーさんに抱きしめられた瞬間のフワッとした何とも言えない気持ちを持て余す。
この気持ちはなんだろうかと悩んで、ハッと、思い出した。
「抱擁、ストレス軽減するのじゃ」
抱きしめるという行為にはストレス軽減の効果があると聞いたことがあるのを思い出して一人納得し、苗を植えるための準備に取り掛かる。
明日は新たに苗を植えようと、神官長と約束しているから、明日のために畑を耕して肥料を撒いて下準備だ。
翌日は、朝早くから神官長と二人はりきって畑へ向かう。
「今日、ミーシャ様、好きな苗」
「ほうほう、それは良き事じゃ」
「ミーシャ様、苺収穫、お菓子作る、楽しみ」
私がそう言うといつもよりも張り切った神官長が苗の入った箱を持ち上げる。
その時だ。
「ウグッ」
苗の箱を落として、妙な態勢で静止した神官長。
「大丈夫か?」
「ウググ」
腰に手をやりそのまま動けない様子の神官長の姿を見て、私はこの症状に見覚えがあった。
「ぎっくり腰じゃな」
私の呟きに言葉も出ないらしい神官長は、駆け付けた神官達に運ばれていった。最後に、私を一睨みする神官達に、私は無実だとわかるように思わず両手を挙げた。
更新遅くなりました。
少しでも楽しんでいただけると幸いです。




