四一
その後、すぐに塔から出された私。
滞在時間は10分もなかった塔に背を向けて、次に案内されたのは神殿の奥にある綺麗な部屋だった。
大きな窓のある部屋は広々として開放的で、座り心地の良さそうなソファが置いてある応接間と、奥には寝室があった。寝室の真ん中にある大きなベッドには見るからに柔らかそうな布団が置いてあり、触ると想像通りふかふかだった。
寝具や家具は高級品で、その豪華さに圧倒されていれば、あっという間に時間が過ぎていたようで、いつの間にか、食事が運ばれてきた。
「スズ様、食事でございます」
「こんな、たくさんか?」
「お召し上がりください」
突然の好待遇に困惑しつつも、食べてゴロゴロして、何ともゆったりとした時間を過ごしていれば、神官が一人部屋を訪れた。
「食事が終わりましたら、神官長からの取り調べがございます」
「わかったぞ」
神官長はどうも私が適当に喋るのがお気に召さないようだし、喋り方に気を付けなければと、気を引き締める。通訳の役割をしてくれるビリーさんもいないから、自分だけが頼りなのだ。
神官長はぞろぞろと神官たちを連れてこの部屋に入室した。神官長が目の前の椅子に腰かけて、神官達は周りに立ったまま控えるようだ。大人数の妙な圧迫感に若干のいたたまれなさを感じてしまう。
「儂、一人でよい」
「かしこまりました」
人払いをした神官長と二人になって、向かい合って座る。
部屋の中の人数が減ったことで、少し息がしやすくなった。
これから事件のことを事細かに聞かれるのだろうと身構ていれば、目の前の神官長は何やら目を瞑って考え込んでいる様子である。
「スズ、ミーシャ様を知っておるのか?」
「へ? ミーシャ様、ござますか?」
「そうじゃ」
突然のミーシャ様の話題に困惑する私と、前のめりの神官長。
「知っている、ござますぞ」
「なぜ、知っておる?」
「専属侍女、住み込みぞ」
「な、なに? ミーシャ様と一つ屋根の下で過ごしていたじゃと?」
なんだか興奮した様子の神官長に私は、これは何の取り調べだろうかと不思議に思った。
「その話、詳しく聞かせてもらおう」
「ミーシャ様?」
「そうじゃ」
「ミーシャ様、王様、母ぞ」
「それは知っておる」
「お城、近く、住む家ぞ。クレオさん、通い、私、住み込みぞ」
「クレオじゃと?」
「クレオさん、知ってるか?」
「もちろんじゃ、しかしクレオは引退して隠居生活を送っているはずじゃと認識しておったが」
「クレオさん、通い侍女ぞ」
「なるほど、それでミーシャ様のご様子は?」
「……なぜ、聞く、する?」
私がそう言った瞬間、なぜかポッと頬を染める神官長に、私はピンときた。
「ミーシャ様、美しいぞ」
「ほう、スズはなかなか見る目があるようじゃな」
「うむ、ミーシャ様、優しいぞ」
「ほうほう、それはそうじゃろう。ミーシャ様は昔から皆に優しいのじゃ」
「神官長、ミーシャ様、恋か?」
「な、な、何を言う、儂をいくつじゃと思っておる」
私は知っている。恋や愛に年齢は関係ないということを。日本で勤めていた介護施設のおじいちゃんおばあちゃんたちは年齢なんて関係なく、誰が好きだとかそんな話をよくしていた。好きな人に褒められると一日やる気になると嬉しそうに話すおじいちゃん達の様子に、いくつになっても恋はできるんだなと思ったのを覚えている。
「恋、愛、年齢、関係ないぞ」
「なんじゃ、急に」
「神官長、妻、いるか?」
「儂は結婚はしておらん」
「ミーシャ様、未亡人、一人ものぞ。狙う、してるか?」
「な、何を言うておる、儂はそのようなこと考えておらん、ただ、ミーシャ様が健やかに日々を過ごされているのか気になっただけじゃ」
「元気ぞ、しかし、膝痛い、庭、自分で、やる、できるない、寂しい。私、庭、仕事一緒、やる。ミーシャ様、嬉しい、庭好きぞ」
「……ミーシャ様が、庭仕事を?」
「うむ、花、綺麗、飾る。野菜、育つ、食べる、嬉しいぞ」
そんな話をしていると、神官長はポツリポツリと話し出した。
若い時に一目見た瞬間から、ミーシャ様が好きだったこと。告白する前に、ミーシャ様が王様と婚約してしまい、自分は想いを告げられなかったこと。年をとってもずっと好意を持っていること。
「儂の初恋じゃ」
「初恋?」
「今でもお慕いしているのじゃ」
頬を染めてそう言った神官長は、いかにミーシャ様が素晴らしいかを語る。これが恋なのか、推しの魅力を語っているだけなのかはわからないけれど、実に楽しそうである。何やら顔の血色もよくて、若返りの効果でもあるのではないだろうかと思わせるほどだ。
「告白、するよろしい」
「な、何を、言っておる。儂はそのようなこと望んでおらぬと言っておるじゃろう」
「好き、違うか?」
「もちろん好ましいとは思っておる。じゃが、今更……」
「明日、来る、限る、ないぞ。伝える、よろしい」
「ふむ、そのようなことを若いおなごが言うとは、スズも苦労しておるのじゃな」
毎日、何気なく過ごしている日々は当たり前なことじゃなくて、すごく尊いものなのだ。異世界に来るまで、いつもの日々が明日も続くと信じて疑わなかったし、それが当たり前だと思っていた。そうではないとわかったから、伝えたいことがあるのならば、思った時に言うべきだと思ったのだ。
「思う時、伝える時ぞ」
「わかっておる。しかし、儂はミーシャ様が健やかに穏やかに過ごしさえいれば幸せなのじゃ。そのために、できることはやる所存じゃ」
という話をした翌日、神官長はなぜか早朝から私の部屋へとやってきた。
「いい朝じゃな、それでは行くぞ」
「……おはようぞ」
眠い目をこすりながらそう言った私に対して、神官長は元気はつらつだ。
「スズ、挨拶は、おはようございますじゃ」
「おはようござますじゃ」
「じゃはいらぬ」
「おはよう、ござます」
「ご、ざ、い、ま、す、じゃ」
「ござぃますじゃ」
「じゃはいらぬと言っておるじゃろう」
早朝、外はまだ薄暗い時間に寝ぼけたまま、突如言語トレーニングが始まり徐々に覚醒してきた。
「朝ぞ」
「うむ、儂は忙しいのでな、朝しか時間が作れぬのじゃ。行くぞ」
「どこぞ?」
「外じゃ」
大急ぎで着替えて、連れられてきたのは、神殿の中庭だった。
神殿の中庭は、よく手入れされているようで、花壇にはいろとりどりの花が咲き誇り、圧巻だった。
神官長は中庭の自慢がしたかったのだろうかと不思議に思ったのは一瞬。
「ほれ」
そう言って手渡されたのは、園芸用の手袋と小さなスコップだった。雑草でも抜いてほしいのかと思い、首をかしげて神官長を見上げる。
「オホン、儂に園芸を教えてほしいのじゃ」
「え……」
思わぬことを言われた私が返答できずにいると、神官長は言った。
「ミーシャ様の庭の手入れを儂も手伝えるようになりたいのじゃ」
「手伝う?」
「うむ、しかし庭仕事は素人でな、教えてほしいのじゃ」
どうやら神官長は、ミーシャ様の家の庭仕事を手伝いたいと本気で思っているようだ。
「私、専門、庭、仕事、違うぞ。庭師、教えて、もらう、よろしい」
「だめじゃ、あやつらは儂に気を遣って、教えるどころではないのじゃ。それでは、学ぶことにはならぬ。それに、ミーシャ様の家の庭を手入れした経験があるのはスズだけじゃからな」
最後はまたもポッと頬を染める神官長に、内心でずっこける私。
「スズ、これはギブアンドテイクじゃぞ」
「ギブアンドテイク?」
「スズは儂に庭仕事を教える、儂はスズに言葉を教えてやろう」
「言葉、教える、いらないぞ」
「何を言うておる、ミーシャ様の側でそのような失礼な物言いで過ごすことは儂が許さぬ」
その日から、神官長と会話をしながら庭仕事をするという奇妙な早朝の時間を過ごすこととなった。




