三九
大きなその声の主は、緑の髪のナッシュだった。
ナッシュは、立ち上がり大きな声で話しながら歩き出した。
「スズは、俺の態度が悪くても、俺が食事のトレーをひっくり返したときも怒らなかった。熱が出た時は看病してくれた。俺はスズに感謝してる」
いつも素直じゃないナッシュが、私の目を見てそんなことを言うものだから、私は嬉しいよりも先に驚いた。だってナッシュと言えば、万年反抗期と言われるぐらいツンツンした態度で、素直にありがとうなんて言わないのだから。
「スズに感謝しているのは、俺だけじゃない。魔術師の長老のじいさんは、スズに肩を揉んでもらったんだと嬉しそうに言っていたし、腰痛持ちの姉ちゃんは腰を揉んでもらって楽になったんだって言っていた。それに寝たまま動けない魔術師の頭を洗うために、重たい水を何度も部屋まで運んだり、弱ってご飯を食べられない魔術師のために、料理長と一緒に食べやすいご飯を作ったんだ。俺はいろんな人からそれを聞いてきた」
ナッシュはそう言い終えて、モニカの隣に並んだ。
「今日、ここにきたのは俺たちだけだけど、もし証言が必要ならここに来ると、スズに世話になった魔術師はみんな言っている」
「ほう、魔術師たちがそんなことを……」
「そうだ、魔術師はみんなスズの味方だ」
魔塔で出会ったみんなの顔が脳裏に浮かぶ。最初は話しかけても無視されたり、部屋にさえ入れてもらないこともあった。ナッシュなんて最初は私のことを毛嫌いしていたのに、こんなに嬉しいことを言ってくれるなんて感動してしまった。
ナッシュは言いたいことを言い終わったようで、モニカの手を引く。
目が合ったナッシュとモニカにありがとうの意味を込めて微笑めば、モニカは笑顔で頷いてくれて、ナッシュは照れた顔を隠すように足早に席に戻って行った。
それから、神官長が神官たちと額を突き合わせて話し合っている様子をしばらく見ながら、私は不安な気持ちがなくなっていることに気づいた。みんなが証言してくれたことがすごく嬉しくて、自分のやった介護の仕事をほめられたことで、やっぱり私はこの仕事が好きだと心の底から思ったのだ。
ほんの一瞬、ホッとした瞬間、神官長の視線がこちらを向いた。
「スズ、親、兄弟が無理なら、遠い親類でもよいのじゃが、誰かおらぬか?」
「……遠い、来る、不可能、ござます」
「血の絆を重んじる神殿の基準では、やはり血族の証言が欲しいのだ」
難しい顔をした神官長の言葉に反応したのはビリーさんだった。
「神殿にとって血の絆が大事なのは知っています。ですが、スズの血族をここに呼ぶことはできないそうですから、公爵令嬢や魔塔から証言者が来たのです」
「ふむ、貴族と魔術師の証言があればと儂も思ったのじゃがな、なんせ魔術師が証言者として神殿に来るなんてことは前例がなくての。お主たちは神殿を毛嫌いしておろう?」
「……魔術師は神殿が嫌いなわけではなく、外の世界に興味がないだけです。今回は皆が世話になったスズのためだと特別に魔塔から出てきたのです」
笑顔で話しているのなぜか怖い二人の話に口を挟める人なんていなかった。どうやら神殿と魔塔の仲はあまりよくないらしい。
「とにかく、今回は王族誘拐という大事件じゃ、慎重に判断せねばなるまい」
「それはもちろんですが……」
「スズの身柄は、引き受ける親族がおらぬため、神殿預かりとする」
「なんだと?」
ビリーさんのあまりの迫力に隣のアンがギュッと私にしがみついてきた。
睨み合う二人の殺伐とした雰囲気に戸惑う私と周囲のみんな。
そんな中、突然大きな音を立てて後ろの扉が開いた。
「私にも、証言させていただきたい」
その声に真っ先に反応したのは隣に座っているアンだった。
「パパの声だ」
まさかと思って後ろを振り返るけれど、立ち上がっている人が邪魔で私には誰が入ってきたのか見えなかった。
「誰じゃ、騒々しい」
神官長の呟きに答えるように、後ろから声が響く。
「近衛騎士団、団長、アドルファス・カーライル、失礼を承知で、私にも証言させていただきたく参上いたしました」
どうやらアンの言う通り本当におじさん騎士がこの場に現れたようだ。ソワソワするアンと私の前に、おじさん騎士が現れたのだけれど、真剣な表情で前を向いていて、こちらには気づかない。
「突然、何事じゃ」
神官長の言葉に、おじさん騎士は言った。
「あの日、レナード殿下を呼び出したのは私です」
隣のアンが、信じられないと大きく目を見開いたのがわかる。おじさん騎士はきっとここにアンがいることに気づいていないのだろう。
「どういうことじゃ?」
「私は娘可愛さにスズを」
黙って聞いていられたのはそこまでだった。
「あー!」
突然の私の大きな声に視線が集まるのがわかる。おじさん騎士はその時になって初めて私を視界に入れた。ハッと息を飲む様子に、隣にいるアンにも気づいたことがわかった。
私は、アンの病気を治すためにおじさん騎士がしたことは悪いことだと思うけれど、どうしてもおじさん騎士が犯人だと言いたくなかった。最初は確かに誘拐されたけど、事情を知れば恨むことはできなかったし、アンの家で過ごすうちに、アンを好きになったし、おじさん騎士は悪い人ではないとわかったから。だから、おじさん騎士に何も言うなとわかるように小さく首を振る。
けれど、おじさん騎士は私たちから視線を逸らして神官長の方へと向き直る。
「スズは誘拐犯ではありません。誘拐された側の人間です」
その言葉に周囲の人たちが驚いている中、おじさん騎士は言った。
「アン。ごめんな」
「パパ?」
「パパは悪いことをしたんだ。スズを誘拐して、レナード殿下を脅してアンの治癒をお願いしたんだ」
「え?」
「パパはアンが大好きだから、アンさえ元気にさえなれば他の人のことなんてどうでもいいと思ってしまったんだ。こんなパパでごめんな」
おじさん騎士の震えるその声に、呆然とするアン。
様子を見守る神官長に、私はどうにかみんなが幸せになる方法がないものかと頭を悩ませる。
その時、重ねられたのは小さな手だった。
「スズは、パパに誘拐されたの? だからアンのお家にいたの?」
アンは大きな瞳に涙を溜めて、私をじっと見ていた。
その時、不意に閃いた。
「アン、聞く、するぞ」
「なあに?」
「正直、答える、よろしい」
「うん?」
「アン、パパ、悪いこと、するか?」
「パパは悪いことなんてしないよ。寂しい時は抱きしめてくれるし、お料理だって上手だし、困っている人がいたら助けるし、いつも優しいし、パパは絶対悪いことなんてしないよ。パパは優しくて強いんだよ」
アンの言葉に、私は神官長を見て言った。
「父、悪いこと、するない。親族、証言ぞ」
「……ほう」
「血の絆、証言、大事、違うか?」
「ふむ」
親族の証言がとても大事で、神殿の基準では大きな意味を持つようだから、アンの一言は大きいのだろうと思う。
「しかし、俺は確かに悪いことをしました」
おじさん騎士は誤魔化す気がないらしいけれど、私はおじさん騎士より大きな声で言う。
「違うぞ、おじさん騎士、悪い、ないぞ」
「いいえ、俺が悪いのです」
「悪い、ない」
二人意見が正反対だから、妙な空気になって、神官長は頭を抱えていた。
誤字脱字報告してくださった方ありがとうございました。
 




