三六
その日、おじさん騎士は夜遅い時間になっても帰ってこなくて、おじさん騎士がいつも着用しているエプロンはキッチンの椅子にかかったままになっていた。
「パパは?」
「きっと、仕事、忙しいぞ」
「今まで、お泊りでお仕事行くことなんてなかったのに」
不安そうなアンに、私はアンの好物のオムレツを作ってあげることぐらいしかできない。
「アン、明日、朝、オムレツ、作るぞ。たくさん、食べる、アン、元気、父、喜ぶぞ、食べる、しろ」
「うん、でも、パパと一緒がいいな」
「明日、起きる、父、帰る、してる、よいぞ」
「うん」
「寝る、よろしい」
「スズ、ここにいて」
「よいぞ」
翌日、アンが起きる時間になってもおじさん騎士は帰ってきていなくて、アンは口数も少なく、食欲もないようで、一日中元気がなかった。
「パパまだかな?」
何度もそう言って、外を眺めるアンに私は何も言ってあげることができない。まさかおじさん騎士が家に帰ってこないとは私も思わなかったから。
午後になり、玄関の扉がノックされる音に、アンの顔に笑顔が戻った。
「パパだ!」
「……私、お出迎え行くぞ」
おじさん騎士なら自分の家だから、ノックするはずがない。ノックをしたということは違う人である可能性が高い。ビリーさんならいいけど、もしかしたら指名手配犯を探しに来た誰かかもしれない。ドアにのぞき穴なんてないし、どうしたものかと悩んでいると、外から声がした。
「おーい、スズ、俺だ、ビリーだ。開けろ」
その声にほっとした私は、ビリーさんを迎え入れる。
「迎えに来た。行くぞ」
「……私、一人か?」
「いや、レナード殿下も連れていく。そのために馬車できたんだ」
「おじさん騎士、帰る、ないぞ、アン、娘、一人、置いていく、できるないぞ」
「……ハァ。仕方ない、娘も連れていく」
「ビリーさん、ありがとぞ」
レナードさんはビリーさんが抱えてくれるので、私はアンに事情を説明する。
「パパは?」
「アン、よく聞く、よろしい。私、出発するぞ」
「え? スズどこかに行っちゃうの?」
「うむ、行くぞ。私、いない、アン、一人、困るする、アン、一緒、行くする、よろしい」
「どこに行くの? パパは?」
どこに行くのと聞かれて、そういえば私は行き先を聞いていないことに気づいた。レナードさんを抱えたビリーさんが、部屋の外で待っている。アンはビリーさんを見た瞬間、私にしがみついた。
「ビリーさん、怖い、ないぞ」
「でも、だって、魔術師だし、大きいし、怖いよ」
ギュッと私にしがみついて、小さいな声でそう言ったアンの姿に、ビリーさんと視線で会話をする。小さく首を振る私の言わんとすることがわかるだろうに、ビリーさんはわざとのごとくアンに聞こえるように大きな声を出した。
「今から行くのは城だから、騎士団長もいるだろうが、スズたちは留守番するか?」
その言葉にアンの私にしがみついていた手の力が緩んだ。
「パパのところ?」
「アン、父、仕事場、行く、するか?」
「パパの?」
「うむ、城だぞ」
「行く」
ということで、まだ歩くまで回復していないアンをおんぶして運ぶ。
「しっかり、掴まる、よろしい」
「うん」
アンがしがみついたのを確認して、馬車へと移動していれば、ビリーさんが何とも言えない顔で私を見ているではないか。
「ビリーさん、どうした?」
「いや、子供が子供を運んでいるようにしか見えん」
「私、大人ぞ」
「サイズ感の問題だ……俺が二人まとめて抱えるか?」
「私、力持ち、問題、なしぞ」
アンはビリーさんのことを怖がっているのか、必要以上に喋らずに大人しかった。馬車の中でも私にしがみついたまま離れない。
「ビリーさん、私、なぜ、城、行く?」
「とりあえずは無罪を主張するのなら、自ら名乗り出たほうが心証がいいだろう?」
「うむ、悪い、ない、堂々、する、よろしい」
「そうだ。やましいことがないのなら、堂々としていればいい」
「で、私、何する?」
「スズは……喋らなくていい」
「ん?」
「畏まった喋り方は苦手だろう?」
「苦手ぞ」
「それに、スズが発言を求められることはほぼない」
「なぜだ?」
「聞かれることは一つ、スズがレナード殿下を誘拐したか否かだ」
「してないぞ」
「ああ、だから、いいえと答えればいい。あとは、証言者が証言してくれる」
「証言者? 誰だ?」
「それは、お楽しみってやつだ」
そう言ってニヤリと笑うビリーさんは、それっきり何も言わなかった。ただ機嫌がいいようで、時折鼻歌を歌いながら外を眺めている。
「アン、大丈夫か?」
「うん、スズは、悪い人なの?」
「へ?」
「スズはお城で悪いことしたって聞かれるの?」
子供というのは、大人の話をきちんと聞いているものである。まだアンには意味が詳しくはわからないだろうと思っていたのに、ちゃんと理解しているようだ。
「アン、私、よい人だ」
「うん、スズはとても優しい、いい人だよ」
「うむ、だから、心配ないぞ」
「でも、悪い人か聞かれるんでしょう?」
言葉に詰まる私に、助け船を出してくれたのはビリーさんだ。
「スズは悪いことをしていないんだが、悪いことをしていると勘違いされてるんだ。だから悪いことをやってないと今から言いに行くんだよ」
「スズ、捕まるの?」
「まあ、誤解が解けなければ、牢屋行きだが」
驚くアンを見ながら、私も驚いている。牢屋行なんて初耳だからだ。ビリーさんが大げさに言っているだけだといいのだけれど。
「スズがいい人で、悪いことはしていないと言ってくれる人がいるから大丈夫だとは思うんだが、アンちゃんもスズが悪い人かどうか聞かれたら、答えられるか?」
「うん、アン、言えるよ。スズはとってもいい人、優しくて、おもしろくて、元気なの」
「そうか、それなら心強い。もし聞かれたらスズにしてもらったことや、なんでいい人と思うか正直に話してほしい」
「うん、スズ、アンがスズがいい人だって言ってあげるからね」
ギュッと私の手を握りそう言ったアンに、私は複雑な心境になる。だって、私の無罪が証明されたら、真犯人は誰だろうかという話になるだろうから。そうなったら、おじさん騎士が牢屋行になるのだろうかと考えると無罪が証明されたって嬉しくない。
ビリーさんにそのことを伝えたくてもアンの目の前で、そんな話はできなかった。
そうこうしているうちに、馬車はお城へと入っていく。
深く眠っているレナードさんは、馬車が揺れていても起きる気配はない。ただ、昨日よりも減った皺と、顔色がいいことに少し安心している。城についたらレナードさんのために待機している医師が見てくれることになっているそうだ。
「よし、行くぞ」
「うむ」
「いいか? スズは黙ってろよ」
「私、まかせろ」
ドンと胸をはってそう言った私は馬車の外へと足を踏み出した。
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