三二
目覚めは不意に訪れた。
私は自分のいる場所に見覚えがなく、動きを止めた。
小さな部屋のベッドの上で寝ていた私。
室内には人の気配はなく、窓の外が明るいことから今が朝だとわかる。
ここはどこだろうかと考えていれば、おじさん騎士に何やら妙なにおいのするハンカチを嗅がされて眠ってしまったことを思い出した。
「ん? レナードさん、会うした? 夢? あれ?」
レナードさんの声を聞いた気がしたけれど、あれは気のせいだったのかもしれないと思う。夢か現実があやふやで一人で首をひねる。
その後ゆっくりとベッドを出て、体に異常がないことを確認し、そっと窓の外を眺めてみた。
「見る、ないぞ」
この世界で私が見たことがある景色なんて限られているけれど、見覚えのある景色ではなかった。それならと、そっと部屋の扉を開けてみれば、そこはダイニングキッチンだった。大きなテーブルと椅子が三脚。キッチンのコンロには大きなお鍋が置いてあるし、テーブルには新鮮そうなフルーツが並んでいた。
知らない場所を勝手にウロウロするのもどうかと思い、そのまま、しばらく様子を伺ってみても人の気配はしなかった。
「誰か、いる、ないか?」
私の問いかけに帰ってくる声はない。
ダイニングに繋がっている扉があと三つもあるから、私は、一番近くにあった扉に手をかける。
「失礼、するぞ」
小さく開けた扉から覗けば、ベッドに寝ている人と目が合った。
「……だあれ?」
五歳ぐらいの小さな女の子にそう聞かれた私は、とりあえず笑ってみた。
「私、スズ、だぞ」
「……スズ?」
「うむ、スズだぞ」
「わたし、アン、こっちにきて」
布団の中から手招きして私を呼ぶアン。迷ったのは一瞬で、部屋に入れば嬉しそうに笑う。
「スズは何してるの?」
「起きるした」
「うん、朝だもんね。今パパが朝のパンを買いに行ってるんだよ」
「パパ?」
「うん、私、病気が治ったから、お腹が空いたって言ったら、私の好きなパンを買ってくるって」
「病気、治る?」
「うん、病気だったの。胸が痛くて、キュウってなってたのに、金色のお兄ちゃんが来てから元気になったんだよ」
「……金色のお兄ちゃん?」
「紅い目の魔術師なのに、怖くなかったんだよ」
金色の髪で紅い目、さらには病気を治したということから、思いつくのは一人だ。やはりあれは夢ではなくて、レナードさん本人だったのだと確信する。そして恐らくここはおじさん騎士の家ではないだろうかと予想する。
「アン、父、うさぎハンカチ、持つか?」
「うん、お父さん、うさぎさん大好きだよ」
その言葉で、私はアンがおじさん騎士の娘ということがわかった。
「アン、元気?」
「うん。元気だよ」
「金色、お兄ちゃん、魔術師、どこ行く、したか?」
「寝てるよ」
「寝る?」
「うん、お隣の部屋で寝てるよ」
「私、隣、部屋、行く、するぞ」
「え? 行っちゃうの?」
ウルウルとした瞳に負けそうな私だけれど、金色のお兄ちゃんがレナードさんだと確認したいのだ。
「すぐ、もどるぞ」
「絶対、絶対、戻ってきてね」
「うむ、約束ぞ」
アンの部屋を出て、隣の部屋の扉を開けてみれば、そこは寝室になっていた。
小さな部屋のベッドの上にいるのは予想通りレナードさんだったのだけれど、私の想像する姿ではなかった。
「レナードさん、おじいちゃんぞ」
レナードさんの輝いていた金色の髪が、初めて出会った時のように、白くなっている。肌の張りもなくなっていて、恐らく魔力がなくなっているのだろうと思う。
「大丈夫か?」
話しかけてみても、返事はない。
命に別状はないだろうかと呼吸を確認すれば、きちんと呼吸していることがわかりほっと息を吐きだした。
それから、しばらくの間レナードさんを眺めていた私だけれど、部屋の外から聞こえてくる物音に立ち上がった。そっと扉の隙間からダイニングを伺うと、そこにはフリルのついたエプロンが恐ろしく似合わないおじさん騎士がいる。
おじさん騎士が私を眠らせて誘拐してきたのだと思うから、きっと私は怒っていい立場である。何か他の方法を探そうと提案する私を無視して眠らせたのだから絶対に怒っていいはずだ。しかし、私はこの世界の言葉で罵る言葉をあまり知らないのだ。公爵家は品のいい人達ばかりだったから、誰かが誰かを罵っているのをあまり聞いたことがないし、魔塔であった人も口が悪い人はいなかったのではないかと思う。それでも必死に罵る言葉を思い出しながら、扉を開けた。
「こらー!」
「え、あ、スズ様、起きたのですね」
「起きたの、ですね、ないぞ。小童め。私、怒る、するぞ」
「こ、小童?」
「よろしい、ない、行い、ダメぞ」
「……この度は誠に申し訳ございませんでした」
神妙な面持ちで深々と頭を下げられたら、怒るに、怒れないではないか。そもそも怒りを持続させるのは体力も気力もいるし、なんだか大きな体を小さくしている姿を見ていたら言いたい言葉が出てこなくなった。
「まあ、いいぞ」
「いいえ、私は許されないことをしました。娘可愛さに、スズ様を誘拐して、レナード殿下を呼び出して、スズ様をたてに娘の治癒をしていただいたのです。魔術師の魔力がなくなるとどうなるか知りもせずに、自分本位で行動してしまいました」
どうやらおじさん騎士の無謀な計画はうまくいったらしい。
「終わる、する、後悔、仕方ないぞ。大事、次、どうするだぞ」
「しかし、レナード殿下は、娘を治癒した後から一度も起きておりません」
「うむ、魔術師、そういうものぞ。近く、水、置くする。起きる、ごはん、たくさん、食べる、用意、大事ぞ。たくさん、寝る、飲む、食べる、とても大事」
「かしこまりました。できることはすべてやります」
「手伝う、するぞ」
そんな話をしていたら、アンがおじさん騎士を呼ぶ声が聞こえてきた。
「娘を紹介させてください」
「もう、会う、したぞ。アン、可愛い、女の子」
それから、改めてアンを紹介してくれたおじさん騎士と一緒に朝食の用意をして、アンとおじさん騎士と三人で食卓を囲む。
アンはまだ歩けないようでおじさん騎士が抱き上げて移動して、食事もたくさんは食べられないようだった。
「アン、おいしいかい?」
「うん、とってもおいしいよ。アンこのパン大好きだよ」
そう言ったアンを見ながら、なぜか涙ぐむおじさん騎士。
「泣く、どうした?」
「グスン……アンは、レナード殿下に治癒してもらう前は、スプーン一杯の粥を食べるのもやっとだったのです。それが、こんなに美味しそうにたくさん食べる姿が見れて、俺は幸せです」
「パパ、アン、もう元気だから、泣かないで」
泣きながら笑うおじさん騎士は、やっぱりいい父親である。だからこそ、わざわざ私を誘拐するなんてことやらなければよかったのにと思うのだった。
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