三一
ドアを開けて、目の前に居たのはおじさん騎士だった。
何も言わずにじっと私を見つめるおじさん騎士の様子に私は内心で首を傾げた。
「どうした、ござますか?」
「……力仕事など男手が必要でしたら、何かできることはないかと思いまして、伺いました」
人のよさそうな顔で笑って親切にもそう言ってくれるから、私はクレオさんに確認するために、おじさん騎士に背を向けた。
その瞬間、後ろから襟をグイっと引っ張られて、出てきた足が玄関の扉を蹴って閉めた。
驚く間もなく腰には硬い物が当たる感触。
「え?」
必然的に腰を見れば、硬い物は短剣だった。
「静かに」
そのまま大きな声を出そうと思ったけれど、私は思いとどまった。
だって家の中にいるのは高齢者二人なのだ。
なんだか様子のおかしなおじさん騎士と鉢合わせになったら危険だ。
そう思っていたのに聞こえてくる声はクレオさんのものだった。
「スズ? 誰が来たのかい?」
クレオさんがそう言いながら、扉を開けた瞬間、腰の短剣が押されるのがわかった。
「力仕事、手伝う、騎士、きたぞ」
「……スズが来るまでは手伝いの者を呼んでいたことがあったけど、もう不要だと言っておいたんだけどね」
おかしいなと首をかしげるクレオさんに、おじさん騎士は言った。
「陛下から何か困りごとはないか聞いてくるように言われて参りました」
「そうなのかい、せっかく来てくれたのなら、薪割でも頼もうかね」
「おまかせください」
「私、薪、場所、教える、するぞ」
「頼んだよ」
パタンと扉が閉じた瞬間、耳元で声がする。
「助けを求めるチャンスを自ら逃すとは、何を考えているのですか?」
お年寄りを巻き込むなんて危ないことはしたくなかった。それにおじさん騎士が用事があるのはどうやら私のようだから。
「用事、教えろ、ござます」
「こちらへ」
おとなしく言われたとおりに歩いていけば、そこは家の裏の薪を保管している倉庫を奥へと進んだ森の中だ。
「スズ様に恨みはありませんので、おとなしくしてください」
「誰、恨み、あるか?」
「レナード殿下です」
「え?」
「娘が助かるには魔塔で治癒を受けるしかなくて、魔塔で治癒が受けられるその日を何年もずっと待っていたのです。やっと順番が来たと思ったのに、先日突然治癒が打ち切られました」
それは何とも言えないけれど、レナードさんの味方をしたくなるのは、今にも力尽きそうなレナードさんを見たからかもしれない。
「魔法、使う、大変ぞ」
「こちらは命がかかっております」
「レナードさん、命、かかる、一緒ぞ」
「……何を言っているのですか?」
「魔法使う、疲れる、体、老化」
「老化しても、命があればそれでいいでしょう」
「魔法、たくさん、使う、命、ないぞ」
「魔術師のことは詳しく知りません」
魔法を使うということがどういうことなのか、魔力がなくなると魔術師はどうなるのか、おじさん騎士は知らないのかもしれない。私はこの世界のことはまだわからないことばかりだけれど、助けてほしいと願うなら、魔術師が魔法を使うとどうなるか知ってほしいと思う。
「全部、助ける、できる、ないぞ」
「そんなことはわかっているんだっ!」
大声でそう言ったおじさん騎士は、切羽詰まった様子だ。
「娘は苦しむために生まれてきたんじゃない、これから楽しいことも嬉しいこともたくさん経験するはずだ。最後の希望が魔塔での治癒なんだぞ、助かりたいのはみんな一緒だ、俺だってそれぐらいわかっている、だから何年も待ち続けた。それなのに、突然治癒が打ち切られるなんてあんまりじゃないか」
歯を食いしばりそういいながら地面を拳で叩く様子を、私はただただ見ていることしかできない。
「……俺はレナード殿下に交渉します」
「交渉?」
「そうだ、スズ様は人質です」
「人質、私、なぜだ?」
「なぜって……魔塔から出ることがないレナード殿下がスズ様に会うために城まで通っているという話が噂になっています」
引きこもりのレナードさんが魔塔から外出したという噂が広まるだけで、こんなことになるなんて驚きである。
「人質、やめる、しろ」
「なぜですか?」
「よろしい、ない、行い、娘、聞く、嫌、思うぞ」
「スズ様は……おかしなしゃべり方で、まともなことを言うものですから、こちらの調子が狂います」
力なく笑うおじさん騎士は悪い人ではないのだ。おじさんなのにウサギの刺繍の入ったハンカチを持っている、小さいものが好きな優しい父親なのだ。そもそも私を人質にするという作戦から、うまくいかない気がするし、どうにかならないものかと頭を悩ませる。
「おじさん、騎士、とても、いい人、何か、よい案、考える、よろしい」
「いいえ、もう手遅れです」
その言葉と同時にグイっと腕を引かれたと思ったら、おじさん騎士の腕の中にいた私。
驚く間もなく、口元に当てられた布の感触に息を止めた。
「驚きました。これが何かわかっているようですね」
おじさん騎士の太い腕をパンパンと叩いてみるけれど、ビクともしない。明らかに吸ったらダメなやつだとはわかるけれど、ずっと息を止めることはできなかった。
遠くなっていく意識の中、最後に見たのは、ハンカチに刺繍されている可愛いウサギの顔だった。
それからどれぐらいの時間が過ぎたのだろう。
なぜか目は開かないし起き上がれないけれど、音は聞こえていた。
「スズ、スズ」
「……ぅ」
聞こえた小さな声に、なんとか声を出せば、手を握られたのがわかる。
「スズ、聞こえるか? 聞こえたら返事をしてくれ」
「ぅ……うぅ」
私の手を握っているのは恐らくレナードさんだ。心配そうな声に返事を返したいのに上手くいかない。
その時、この場にもう一人の声がした。
「殿下、お願いしてもよろしいでしょうか?」
この声はおじさん騎士の声だ。
「……わかっている。だが、スズの様子が気になる」
「スズ様でしたら、眠っていただいただけですので、心配ありません。殿下が約束を守ってくださるのなら、スズ様のことは私が責任を持ちます」
「約束を違えるなよ」
「もちろんでございます」
握られた手が離されるのがわかるのに、力を入れることさえできず、声を出したくても出せなかった。頬を撫でられたと思ったら、不意に離れていく気配と、扉の閉まる音を最後に私の意識は再び沈んだ。




