三〇
その翌日のこと。
響くノックの音に、反応したのはクレオさんだ。
「坊ちゃまだったら、ミーシャ様にお会いできるか聞くんだよ」
「はーい。誰だ、ござますか?」
「スズさん、私です。モニカです」
「モニカ?」
「なんだい、スズの知り合いかい? 行っておいで」
すぐそばで様子を伺っていたクレオさんは訪ねてきた相手がレナードさんではなかったから残念そうにそう言って、私を送り出してくれる。
玄関を開けた瞬間、私の胸に飛び込んできたモニカ。
「スズさん、急にいなくなったからびっくりしたんですよ」
「ごめんぞ」
私はモニカを庭のベンチへと連れていった。
「今日は、ローズと一緒にお城まで来たんです」
「ローズ様?」
「はい」
モニカの話では、城内の敷地にモニカ一人では入れないから、ローズ様がカイリー殿下に頼んでここにきたようだ。
「ローズ様、カイリー殿下、許す、したか?」
「いえ、ただ、スズさんに会うためなら、使えるものは使うと言ってましたよ」
自分勝手な理由で婚約破棄したカイリー殿下のことをローズ様は許せないと言って、話しかけられても無視していたのに、わざわざ私に会うためにカイリー殿下にお願いをしたのだとしたら、なんだか申し訳ないような嬉しいような気持ちになった。
「スズさんはいつまでここにいるんですか?」
「いつまで?」
「はい、また魔塔に帰ってくるんですよね?」
「……わかる、ないぞ」
「え?」
「働く、時間、いつまで、決まる、ないぞ」
「そんな……私はスズさんに魔塔に居て欲しいです」
それからモニカは、私がいなくなった後の魔塔の様子を教えてくれた。三階の療養者達のお世話は以前のようにビリーさんがやるようになったそうなのだけれど、ものすごく不評らしい。
「ホワイトさんはスズさんみたいに優しくないですし、甘えさせてはくれませんから、みんな文句言ってますよ。でもホワイトさんだけでは大変だから、療養者のお世話はローズが頑張ってやってましたよ」
「ローズ様が?」
「はい、噂をすれば来ましたよ」
スズと私の名を呼びながら、走ってきたローズ様は顔色もよくて元気そうである。
ローズ様と再会した私はローズ様に痛いほど抱きしめられた。
「スズ、わたくし、魔塔でのお仕事頑張りましたのよ」
「えらい、ござます」
「まあ、スズ、言葉遣いが少しお上手になったかしら?」
「はい、ござます」
「スズがちゃんと返事をしてるわ」
ここにきてから最初の三日は、はい、という返事しかできなかったから返事は完璧だと思う。これもクレオさんのおかげである。
「私、返事上手、できるぞ、ござます」
「前は、うむとお返事してたじゃないの」
「うむ、はい、意味、同じ、ござますよ?」
うむもはいも、イエスの時に使うのだから、私からすれば同じなのである。
「フフフ。相変わらずね」
それからローズ様は、今日ここに来る前に王様の前で正式にカイリー殿下からの謝罪を受けたことを報告してくれた。許す許さないも自由だと王様直々に言われたこともあり、これからゆっくり考えるそうだ。
「それで魔塔で働く必要がなくなったから、家に帰ることになったの」
「そっか、ローズは帰っちゃうのね」
寂しそうにそう言ったモニカに、ローズ様は言った。
「わたくし、魔塔に行くことができてよかったと思っているの。働く大変さも、魔術師の方が怖くないということも、魔塔に行かなければわからなかったわ。それに、お友達ができたことが一番嬉しいわ」
その言葉にモニカは嬉しそうに笑っていた。
「私はローズと友達になれたことも、スズさんと出会えたこともすごくすごく嬉しい」
「もちろんスズも大事なお友達よ」
「うむ、友達ぞ。私、お姉さん、親分ぞ」
「スズはまた、変な言葉ばかり覚えて。フフフ」
異世界でできた友達二人が帰っていき、私は急いで仕事にもどる。
ミーシャ様とクレオさんは、訪ねてきたのがレナードさんではないことに残念そうだったけれど、私は二人が訪ねてきてくれてとても嬉しかった。
その翌日には、魔塔まで迎えに来てくれたおじさん騎士が困ったことはないかと様子を見に来てくれたし、別の日にはビリーさんがナッシュと二人で会いに来てくれた。
「ナッシュがスズに会いたいとうるさくてな」
「俺はそんなこと一言も言ってねえからな]
「ふーん」
「勘違いするなよ、俺は鍋を取りに来ただけだ、ブス」
「はい、はい、だぞ」
借りていた鍋をナッシュに手渡すと、奪うようにとって足早に帰っていく。
「またあいつはあんな態度で、悪いな。ナッシュは素直じゃないだけで、スズが急にいなくなったこと心配していたんだ」
「ナッシュ、素直、ない、わかるする。問題、ないぞ」
ツンツンしているのが当たり前のナッシュである。
「それはそうと、レナード殿下が会いに来ただろう?」
「うむ、きたぞ」
「かれこれ十数年魔塔から出たことがないレナード殿下が外に出たと大騒ぎでな」
「十数年……」
「王様に呼び出されて事情を聞かれるのは俺で、おかげでここ最近大忙しだ」
「ビリーさん、大変ぞ」
「まあな。それだけレナード殿下が外に出たことがすごいってことなんだ。レナード殿下は仕事さえも魔塔で完結させてたんだぞ」
魔塔に居た時に見たレナードさんはほとんど寝ている姿だったから、仕事をしているイメージがなかった。
「仕事?」
「治癒を望む人を魔法で治療してるんだ。依頼を受けて魔塔まで来た人だけだがな」
そういえばレナードさんは医者のような役割をしていたことを思い出す。
それから、ビリーさんはミーシャ様に挨拶をして、帰り際私にそっと耳打ちした。
「明日レナード殿下がまたここに来るそうだ」
「わかったぞ」
「ミーシャ様にお会いするそうだから、そのつもりで」
「ミーシャ様、言う、喜ぶするぞ」
「いや、レナード殿下の気が変わってもしも来なかったらがっかりさせるだろうから、言わないでおいてくれ」
「わかったぞ」
ビリーさんが帰っていくのを見送って、部屋に入ると、クレオさんが椅子に座ってうたた寝中だった。
「スズが来てからクレオも肩の力を抜いて過ごしてくれるようになったし、この家も賑やかになったわ」
「ごめんぞ、ござます」
静かに暮らしているところに、毎日誰かが訪ねてくるようになったのだからうるさいのかもしれないと今気づいた。
「うるさい、ない、ござますか?」
「賑やかになって嬉しいわ。なんだか嬉しいから、明日は久しぶりにケーキでも焼こうかしら」
明日はちょうどレナードさんが来る予定だからナイスタイミングだ。途中で起きたクレオさんも加わって、あーでもないこーでもないとケーキについて話しあっていれば、あっという間に時間が過ぎていく。
そんな風にのんびり過ごしていたからだろうか、私は警戒心というものをどこかに置き忘れてきたのかもしれない。
翌日、ノックの音にすぐに気づいた私は、レナードさんが来たのだろうと相手を確認せずに扉を開けてしまったのだ。




