二八
ミーシャ様の専属侍女になって、三日目のこと。
「小娘、食材を取りに行ってきな」
おばあさんの、その指示に思わずニンマリとしてしまう。
「食材、持ってくる、したぞ」
「……何だって?」
「朝、持って、くる、したぞ」
「フン、そこそこ使えるようだね」
初めて褒められて、嬉しくて緩む口元を引き締める。
「調子に乗るんじゃないよ、スズにはまだ教えることがたくさんあるんだ」
顔が緩んでいる自覚があったけれど、嬉しくてもう我慢できなかった。だって、三日目にしてついに名前を呼ばれたのだから。
「名前、嬉しいぞ。おばあさん、名前、呼ぶ、したい、ござます」
そう言った私を見て、一瞬驚いた顔をしたおばあさんは自分は名乗ってないことに今、気づいたのかもしれない。
「クレオさんと呼びな」
「クレオさん、覚えるしたぞ。ヘヘヘ」
「ヘラヘラしてんじゃないよ。次はお茶の用意をしな」
「私、まかせろ、ござます」
初日こそ、指示されるがままに仕事をしていたけれど、だんだんとやるべきことがわかってきたから、できることはやったり、私なりに頑張っていたのだ。それでもクレオさんはミーシャ様に直接関わることをあまりさせてくれなかったのに、お茶の用意をしろだなんて嬉しいじゃないか。
「フフン、フフン、フン、フフフン」
嬉しくて思わず鼻歌を歌いながら私はお茶の用意をしたのだった。
最初はどうなることかと思ったけれど、ミーシャ様とクレオさんと一緒に過ごす内に、私は二人の仲の良さに気づいた。今日も二人一緒にティータイムを楽しむようで、この日も二人は楽しそうに何やら話している。
コンコンというノックの音に、私はクレオさんを見た。
「城からの使いがほとんどだ。用件を聞いてきな」
「はい、ござます」
その日、ミーシャ様の家を訪ねてきたのはビリーさんだった。
「ビリーさん?」
「よう、荷物持ってきたぞ。ローズ嬢とモニカが荷造りしてくれたから、一応中を確認してくれ」
大きな袋を運んできてくれたビリーさん。中を見れば、クローゼットの物を丸ごと持ってきてくれたことがわかった。普段着や下着などの細々としたものはもちろん、公爵様が持たせてくれた勉強道具やドレス、公爵家のみんながくれた刺繍のハンカチやマフラー、ぬいぐるみも入っていた。
「ビリーさん、ありがと。助かるぞ」
「それと、こっちはみんなからだ」
そう言って手渡されたのは、なぜか鍋だった。
「開けて見ろ」
「……エビチリ」
「そうだ。俺はそれを渡すために来たようなもんだ」
ビリーさんの話では、私がミーシャ様のところで働くようになったことを説明すると、みんな寂しがってくれたそうで、餞別に何かプレゼントをという話になったそうだ。
「嬉しいぞ」
「まあ、聞け、話しはここからだ」
「なんだ?」
「プレゼントというのはスズが好きな物だ。そうすると誰もが口をそろえて、料理長の作るエビチリだと答えたわけだ」
「うむ、カールさん、作る、エビチリ、最高ぞ」
「それを聞いた料理長が、大量のエビチリを作ったんだよ」
「大変、嬉しいぞ」
「……運ぶ方はどれだけ大変か、考えればわかるのにあいつら。その筋肉は何のためにあるのかと言いやがって」
「ははは」
「俺の筋肉はエビチリを運ぶためにあるんじゃねぇ」
「ビリーさん、おもしろいぞ」
まだ三日しか経っていないのに、魔塔の皆の話が、懐かしく感じるなんて不思議である。
「ところで、ここでやっていけそうか?」
「うむ、問題ないぞ」
「そうか、スズなら大丈夫という俺の勘は当たったな」
忙しそうなビリーさんは、急ぎ足で帰っていき、鍋を手に部屋に入ると、クレオさんとミーシャ様は目を丸くしていた。
「これはなんだい?」
「エビチリ、ござます」
「エビチリ?」
私が勝手にエビチリと命名した料理だけれど、これはぜひミーシャ様にもクレオさんにも食べて欲しい。その夜はカールさんのお手製のエビチリが食卓に並び、おいしいおいしいとエビチリを食べる私につられてか、食の細いミーシャ様もいつもよりよく食べていた。
その日から、私はミーシャ様と直接関わることが増えた。
とは言っても、ミーシャ様はまだまだお元気で自分でできることの方が多いから、私が手を出すことはほとんどない。食事の用意のお手伝いだったり、重たい物を持ったり、段差で転んでもすぐに支えられるように近くに居たりと、直接介護というよりは見守りをしている感じだ。
この日は、室内でティータイム中の二人の話声を窓越しに聞きながら庭の雑草を抜いていた。一心不乱に雑草を抜いていたら、不意に話声が途切れ、窓の中の様子を伺うと、ウトウトと座ったまま寝ていたのはクレオさんだった。
私の視線に気づいたミーシャ様は、鼻に人差し指を置いて、静かにするようにと私に合図をし、そっと席を立ち、外に出てきた。
「あなたが来てからは、クレオはいつにもまして張り切っていたから疲れたのでしょう。少しだけでも寝かせてあげましょう」
「はい、ござます」
いつも元気いっぱいのクレオさんだけど、おばあちゃんなのだから、体力がないのは当たり前だ。
「わたくし、あなたを気に入ったわ」
「え?」
「今までの子たちは、まずクレオとうまくやれなかったわ」
「うまく、やる、難しい、わかる、ござます」
「フフフ、そうでしょう。それに、みんなわたくしを病人か何かと勘違いして、あれやこれやと口出ししたり手出ししたりするのよ。だけど、スズは違ったわ。わたくしができることを奪わないし、助けてほしいと思った時には助けてくれる」
それは私が、介護士でたくさんの利用者さんを見てきた経験があるからだ。自分でできることはできるだけ自分でやった方がいいと知っていたから、必要以上に手を出さなかったのだ。
「ありがと、ござます」
「それにスズは働き者だわ。四六時中わたくしの側に居なくてもいいのよ。お休みをとってもいいし、やりたいことがあったらやりなさい」
「私、やる、したい、あるぞ、ござます」
「何かしら?」
「私、畑、触る、よい、ござますか?」
庭に隣接している一画が、チラチラと視界に入るから気になって見てみたら、そこには花ではなく野菜があることに気づいたのだ。ただ、しばらく手入れをしていないのか荒れていて、私が勝手に触っていいかわからなかったのだ。
「スズは畑仕事もできるの?」
「詳しい、わかる、ないぞ、ござます。雑草、抜く、苗、植える、少し、わかる、ござます」
「実は、あの畑はわたくしが作ったのよ。最初はうまく野菜ができなかったのだけれど、庭師に聞いたりして立派な野菜ができるようになったのよ。でもね、膝を悪くしてからは長い時間立っていられないし、しゃがんだりできなくなってしまってね」
そう言って畑を見つめて膝をさするミーシャ様に、私はいいことを思いついた。
「私、ミーシャ様、一緒、作業、する、ござます」
「まあまあまあ、それは嬉しいわ。誰もがわたくしが畑仕事をするのを反対して、もうできないと諦めていたのに……楽しみが増えそうだわ。フフフ」
その日からミーシャ様は、よく外に出るようになった。庭に置いてあった白いテーブルと椅子を畑が見える位置に置いたら、時折そこに腰かけて畑を眺める時間が増えたのだ。私が作業していると覗きに来て、アドバイスをくれるようになった。
そんなある日のこと。
「スズ」
「ん?」
庭で作業していた私の名を呼ぶ声に、私は声のした方を振り向いた。
すると、そこにいたのはレナードさんだった。




