二七
その後、ゆっくり休みたいと言うミーシャ様が寝たのを確認し、私はビリーさんを見送るために玄関の外まできた。
「私、ビリーさんに、聞く、したい、あるぞ」
「なんだ?」
「働く、時間、お金、知る、したいぞ」
正社員なのかパートなのかなんて、そんな区別はないだろうけど、せめて勤務時間と給料だけでも把握しておきたいのだ。なんと言っても、ここは異世界。家もなければ貯金もない私は、いつ路頭に迷っても不思議ではないのだから。
「そんなこと気にしてるのか?」
「私、お金、ない、とても、大事ぞ」
「城の侍女の給金はいいぞ。さらに王太后様の専属侍女となれば上乗せされる。確か、週の最後に自分の管轄の責任者から手渡しで給料が貰えるはずだ。勤務時間は今回の場合ははっきりと言えないが、疲れたら休みをとればいい」
「困る、する、また、聞くするぞ」
「おお、わからないことがあったら、何でも聞いてくれ。俺も顔を出しにくる」
「うむ、私、寝る、どこだ?」
「は?」
そもそもこの世界に私の家はないから、家から通うという選択肢はない。魔塔から通えたらいいのにと思ったけれど、住み込みで働いていた前の職場から出勤する人なんていない。かと言って、自分の家でもないのに、公爵家から通うわけにはいかない。公爵様もローズ様も、公爵家から通っていいかと聞けばきっといいよと言ってくれるとは思うけれど、ずっと誰かの好意に甘えてばかりではいられない。これは自立するいい機会かもしれない。
「私、家、とても、遠くだぞ。働く、寝る、組み合わせ、助かるぞ」
「……家はあるが、遠いから住み込み希望ってことか?」
ビリーさんは、私が言いたいことを理解するのがとてもうまいのだ。説明がすごく下手なのに、いつも何を言いたいのか正確にとらえてくれるから助かる。
「実は住み込みで頼みたいと言われているんだが、それはスズがここでの仕事に慣れたら話そうと思ってたんだ」
「私、住み込み、助かるぞ」
「……王太后様の世話を頼んでおいて聞くのも何なんだが、家には帰らなくていいのか?」
「家、遠い、帰る、無理ぞ」
「スズぐらいの年齢だと親御さんが心配しているんじゃないか?」
「私、大人ぞ」
「は?」
そこからは、私が数を理解していないと勘違いされるという毎度おなじみのパターンで、私は数を理解しているということを証明し年齢を告げた。
「二二だって? 嘘だろ?」
「私、大人ぞ」
「俺より年上なんて信じられない」
「……ビリーさん、いくつだ?」
「俺は二一だ」
「は?」
私はこんなにしっかりしていて落ち着いているビリーさんが、年下ということが信じられなかった。恐らく三〇歳ぐらいだろうと思っていたのに、まさか年下とは想像もしていなかった。
「ビリーさん、おじさん、思うしたぞ」
「なんだと、こら」
「疲れる、顔、してるぞ。たくさん、寝ろ。とても、驚く、したぞ」
「それはこっちのセリフだ。けど、まあ……あの妙な安心感は、子供が出せるもんじゃないか」
「何がだ?」
「なんでもない。もしもだが、ここでの仕事が無理だと思ったら魔塔に帰ってこい。馬車乗り場に行って、魔塔まで行きたいと言えば乗せてくれる」
「馬車、乗り場?」
「ああ、王城の東側にある、行けばわかるようになってる」
「東、わかる、した」
この世界、電車やバスがあるわけではないから、移動は馬か徒歩が一般的なようだけれど、私は馬車の乗り方も知らないことに今気づいた。
「仕事の内容について、通いの侍女から聞いてくれ」
「うむ、働く、内容、聞く、する」
「あとは、大丈夫そうか?」
「みんな、お城、行く、言う、ないぞ。よろしく、言う、しろ」
「ああ、ローズ嬢やモニカには伝えておく」
「……レナードさん、伝える、しろ」
「ああ、レナード殿下にも言っておく」
去っていくビリーさんの背を見送っていれば、ビリーさんは立ち止まり振り返った。
「ミーシャ様を頼む」
「私、まかせろ」
その言葉に安心したように小さく笑ったビリーさんは今度こそ帰っていった。
その日、ミーシャ様の家で働くことになった私は、なぜ今までの侍女達がこの職場が続かなかったのかすぐにわかった。
原因は、恐らくこの人。
ミーシャ様の家に通いで来ている元侍女長、おかっぱの白髪頭の小さなおばあさんだ。短めの前髪が可愛いのだけれど、とてもじゃないけれど、そんなこと言える雰囲気じゃなかった。
「小娘、あんたがスズかい?」
「私、スズ、ござます。よろしく、ござます」
「珍妙な喋り方の小娘……あんたで間違いないね。返事は、はい。いいね?」
「はい」
思わずはいと返事をした私に、合格と言わんばかりに一つ頷いたおばあさんは杖で廊下をさして言った。
「小娘、片付け、開始」
「片付け?」
「質問するんじゃないよ、返事は?」
「はい!」
恐らく、割れた花瓶を片付けろということだろうと解釈した私は急いで掃除をするために駆けだした。玄関近くの納戸から掃除道具を見つけて、割れた花瓶とお花を片付けて、濡れた床を綺麗にしていく。最後はピカピカに拭きあげて、一息ついた瞬間。
「小娘、食材を取りに行ってきな」
「食材?」
「返事!」
「はい」
とりあえず、大きな声で返事をしたものの、食材をどこに取りに行くのかも全くわからず、おばあさんの顔をじっと見つめる。
「城の厨房は玄関出たら真っ直ぐ行って、右だ。さっさと行きな」
「はい」
大きめの籠を渡された私は、籠を腕にかけて玄関を飛び出した。
「真っすぐ、右、真っ直ぐ、右、急ぐ」
その日は、とにかくおばあさんの指示通りに迅速に行動した。
時折、ミーシャ様と目が合うことがあるけれど、話しかける暇さえ与えないとばかりに、おばあさんから次の指示がどんどん飛んでくる。
おばあさんは元侍女長というだけあって、指示が的確だし無駄がない。そろそろ仕事が終わりそうな絶妙なタイミングで声がかかる。まあ、言い方はちょっぴり怖いけれど、決して理不尽なことを言ってくるわけではない。
食材を取りに行ったり、二階の掃除をしたり、庭の落ち葉を拾ったり、お年寄りにはきつい作業が中心の業務は、日本での仕事を思い出した。お年寄りの家に行って、時間内で用事を終わらせる訪問介護で、スーパーにおつかいに行ったり、ゴミ捨てをしたり、似たようなことをしたことがあったのだ。
そう考えると、どこの世界でもお年寄りの困りごとは一緒なんだなと思う。
「私は帰るから、夜はミーシャ様が眠ったのを確認してから寝るんだ。明日は朝の七時に厨房で食材を貰っておきな」
「はい!」
「部屋は二階の部屋ならどこでも使っていい」
「はい!」
段差に杖の先が滑って転びそうになるおばあさんを見た瞬間、体が動く。
「危ない!」
思わず掴んだおばあさんの服の袖を思いっきり引っ張ってしまった。
「痛い、ない、ござますか?」
「ああ」
「段、気をつける、しろ、ござます」
「……年寄り扱いするんじゃないよ」
落ちてしまった杖を渡せば、おばあさんは黙ったまま玄関へと向かい、出て行ってしまった。
杖をついて帰宅するおばあさんが心配になり、こっそり後をつけた私は、おばあさんが城内に入っていくのを見届けてから、急いでミーシャ様の家に帰宅。
そっと玄関の扉を開ければ、ちょうど部屋から出てきたであろうミーシャ様に出くわした。
「わたくしはもう寝ます。あなたもゆっくり休みなさい」
「かしこまり、ござます」
自分の部屋となる二階の部屋のベッドには、埋もれたくなるようなフカフカな布団が用意されていたから、本能に従い布団にダイブした。
疲れた体が布団に沈み込む。
「風呂……明日ぞ」
ほんの少し横になるだけのはずが、もう瞼が開かなかった。




