二六
それから、ビリーさんが私を持ち上げ、私は窓枠に手をかける。一人では届かない位置にある窓だけど、無理することなく手が届いたから、小さい窓を全開にして、顔を入れて中を確認してみる。
「いけるか?」
「うむ」
「大丈夫そうか?」
「入る、できるぞ。下、台 ある、危ない、ないぞ」
「よし、入ったら、すぐに玄関の鍵を開けてくれ」
「わかったぞ」
窓の真下はちょうど作業台があったから、降りるときも困ることなく無事に着地に成功。
急いで玄関のある方角に向かえば、廊下の真ん中に花瓶が倒れていて割れていた。もしかしたら先程の物音は、この花瓶が割れた音なのかもしれない。割れた花瓶を避けて、先に進めば、玄関近くに倒れている人がいる。杖を片手に持ったまま倒れているおばあさんがきっとミーシャ様だろう。
「大丈夫、ござますか? 私、怪しい、違うぞ、ござます」
私が声をかけても意識がないのかミーシャ様は身動きしなかったから、急いで玄関の鍵を開ける。ドアを開けた瞬間、玄関前にいたビリーさんは慌てた様子で入ってくる。
「ミーシャ様!」
ぐったりとした様子のミーシャ様から返事がなくて、ビリーさんは焦った様子でミーシャ様の全身状態を確認していた。
「頭をうってるな」
「大丈夫か?」
「……俺が治す」
その言葉にこの世界には魔法という便利なものがあったのだったと思い出す。以前レナードさんがナッシュの治療をした時に魔法を使ったのを見たことがある。
ビリーさんがミーシャ様の頭に手をかざせば、淡い光が手のひらからでていた。私はその様子を見ていて、レナードさんが魔法を使った時より、光が薄いということに気づいた。魔力がどうとか私にはわからないけれど、濃度が違う気がする。
そんなことを思い出している内に、治療が終わったのか、光は止まった。その時には、ミーシャ様の顔に赤みが戻って、明らかに症状が改善していたけれど、ビリーさんの額からは汗が吹き出し、疲れたように肩で息をしていた。
「もう大丈夫だ」
疲れているであろうビリーさんだけど、ミーシャ様を抱き上げ奥の部屋へと入っていくから、私も後に続いた。ビリーさんはミーシャ様をゆっくりとベッドに降ろして心配そうに様子を伺っている。
「……うぅ……」
「ミーシャ様、大丈夫ですか?」
ミーシャ様が目を覚ましそうなので、急いでキッチンへと向かい、コップに水を汲み戻る。ビリーさんからミーシャ様にコップを渡してもらえば、ゴクゴクと水を飲み干したミーシャ様。
「大丈夫ですか?」
「……ビリー、なぜここに?」
「今日は用事があって訪ねさせていただきました。俺のことより、ミーシャ様は一体どうされたのですか?」
「ちょっとつまずいたのよ」
そう言って怪我をしていたであろう場所を押さえたミーシャ様だけれど、驚いた顔になった。
「まさか、あなた、魔法を使ったの?」
そう聞かれて、スッと視線を逸らしたビリーさんにミーシャ様は大きな声で怒り始めたではないか。
「あれほどわたくしが、魔法を使うなと口を酸っぱくして言ったことを、忘れたとは言わせませんよ」
「……すみません」
「すみませんじゃありません!」
「はい」
「魔法というのはそんなに簡単に使っていいものではないとわかっているはずでしょう! とくにビリーは魔力が少ないのだから、使わないと約束したはずよ!」
血管がキレそうなほどの大声で怒鳴り散らすミーシャ様はなかなか迫力だった。私が言われているわけではないのに、圧倒されてしまう。
「はい、すみません。咄嗟のことでしたので、衝動的に行動してしまいました。以後気をつけます」
怒られているビリーさんの反省の言葉は満点なんだけど、全然反省している態度ではなかった。
「……一体どうやったら、わたくしの話をきちんと聞いてくれるのかしら」
困ったように額を押さえたミーシャ様に、ビリーさんは小さく笑っていた。
「ちゃんと聞いてますよ。俺はそんなにポンポン魔法は使いません、今回魔法を使ったのはミーシャ様だからです」
「わたくしは、あなたの命を削ってまで生きたいと思いません」
「そんな大げさな言い方しないでください。俺は自分の限界を超えるようなことはしませんよ」
「今後は絶対に使わないでちょうだい」
二人の様子からわかるのは、ミーシャ様とビリーさんが親しいのだということ。そして怒られているはずのビリーさんが少し嬉しそうに見えるのは気のせいではないと思う。
「ところで、その娘は誰なの?」
ビリーさんと話していたミーシャ様の視線が私へと向かった瞬間、ビリーさんが私を手招きする。
「今日からミーシャ様専属の侍女となります、スズです」
「専属侍女? わたくしには必要ないわ」
「いいえ、また今日みたいなことがないとは言い切れませんし、王様直々の命令でございます。それにスズは俺が王様に推薦したほどの、素晴らしい人材です」
ビリーさんが私のことを推薦したなんて初耳である。しかし今は、自己紹介が先だ。
私は背筋を伸ばして頭を下げた。
「スズ、ござます。よろしく、ござます」
パチパチを瞬きをしたミーシャ様。
「少し喋り方は独特ですが、人間性に問題はありませんのでご安心ください」
「少し?」
「いえ、まあ、かなり独特な喋り方ですが、あのレナード殿下がスズのおかげで元気になったんです」
「レナードが、元気に?」
「はい」
「それは、本当なの?」
「もちろんです。なあ、スズ、殿下は食事も自らされてるよな?」
「うむ、レナードさん、ご飯、食べる、ござます」
「……そう、そうなのね。あの子が、元気に」
瞳に光る涙を指で拭うミーシャ様は心底嬉しそうに見えて、私はレナードさんが元気になったことをこんなに喜んでくれる人がいることを知った。
「それもスズの献身的な介護による力が大きいんです。まあ、喋り方は、かなり独特ですが、スズの人柄は太鼓判を押しますよ」
まるで見た目は悪いが味はいい野菜でも売るかのようなセールストークに、ミーシャ様は何かを言いかけて口を閉じた。
「スズは、適応能力も高いし、根性もあります」
「……そこまで言うのなら、勝手におし」
ということで、私は、本日から王太后様の専属侍女となったのだ。
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